綱~勝利をたぐり寄せる手~
調査の結果、女性は詐欺の常習犯だと判明した。痴漢だと騒いで賠償金を奪っていたらしい。
しかし、軍の医師に目をつけたのが徒となった。軍の医師にかかれるのは軍に所属している人間だけだ。つまり男だらけである。少数派の女性が医師にかかったら目立つのだ。
ガルバドス軍は女性も雇う珍しいタイプの軍ではあるが、それでも女性はかなりの少数派なのだ。
「ウルガ老のように高齢の医者ならたやすく騙せるとでも思ったのかな」
アスターはそう思いつつ、ウルガ老が無罪でよかったと安堵した。
ところがその数日後、ウルガ老が牢に入れられた。それを命じたのはカークだという。 アスターは驚いてノース軍公舎へと向かった。
「カーク将軍、うちに所属している医師を勝手に牢に入れないでくださいよ~!」
「私は怒っているのですよアスター。あの医師は私の可愛いマクシリオンの尻を触ったのです!」
アスターは思わず呆れてカークの側で頭を抱えているマクリシオン赤将軍を見やった。マクシリオンはアスターがカークの元へいた頃の同僚で短い黒髪と黒目を持つ体格のいい真面目そうな男性だ。つまり冗談が通じそうにない。そんなデカくて厳つい男の尻を触ったというウルガにも呆れたが触られたマクシリオンにも呆れた。何故避けないのだ、ヨボヨボのじーさんの手ぐらい容易に避けられるだろうに。
「なんであんなじーさんに触られているんだアンタは。避けろよ」
「いや、恐らく彼はつまづいてとっさに何かに捕まろうとしたのだと思う。それで私に触れただけだと思うんだ。だがカーク様が判ってくださらなくて」
「ちょっとカーク様!じーさんが躓きかけて、とっさにマクシリオン殿に捕まろうとしただけだそうですよ!こんなことで老い先短いじーさんを牢に入れないでくださいよ!」
「何を言うんですかアスター。彼が私の可愛いマクシリオンの尻に触ったことは事実なんですよ。なのに無罪で釈放しろと言うんですか!」
「当然ですっ!ウルガ老にとっては誰の尻だろうがただの手すり代わりだったんですから!そもそもマクシリオン殿なら本気でチカンされたら自力で対処できるでしょう!彼が痴漢じゃないと判断したならそうなんです。そうでしょう?マクシリオン殿!」
「え、ええ、痴漢と言えるような触り方ではありませんでした」
「ほら彼もそう言っているではありませんか。ご老人は大切にするものです、カーク様。彼らが今までしっかりと働いてくださった恩義は忘れてはいけないと思います!」
「ハァ……全く。こうなると貴方のその眩しいほどの誠実さは厄介ですね。正論過ぎて面倒です。判りました、釈放を許可します。さっさと連れて行きなさい」
「ありがとうございます、カーク将軍」
「ところでアスター。マルガレーテ姫をご存じですか?」
「ええと……すみません、十何番目かの王女ってことぐらいしか……」
「ではロジーネ姫のことも知らないと?」
「はい、判りません。そちらも王家の姫君ですか?」
「ええ、そうです。実は以前から王家からの婚姻話がしつこいぐらい延々と入ってきておりましてね。まぁ私の実家は大貴族と断言できるほど力のある家ですし、私も個人でこのように出世している大変優秀な人間です。それで結婚申し込みが延々と続いているというわけです」
「なるほどさすがカーク様ですね」
「ええ、ですがいいかげんウンザリしております。王家が相手となると断るのも気を使うのですよ。ただ生き延びるための道具に使われるのもウンザリです」
「あー、そういうことですか」
粛正から生き延びるための手段というわけだ。王家から逃げたいのだろう。
現国王バロジスクは苛烈な手段を執ることがある武闘派の王で、玉座につく前に自分の兄弟姉妹を多く粛正した過去を持つ。その時生き延びることが出来た兄弟姉妹は嫁ぎ済みの者だけだったそうだ。
そしてバロジスクは自分の子供たちにもそうするよう促している。つまり王子王女たちは殺し合いを推奨されているのだ。
バロジスクは愛人が多く、身分が低い女性から生まれた王子王女もいる。そういった子供たちは後ろ盾がないため、このままでは勝ち目がない。
王位につけないだけならいいが、王は王位継承者以外は不要と断言している。金の無駄だとまで言っているから殺される可能性大だ。だから王子王女は必死に嫁ぎ先を探しているというわけだ。
アスターには我が子を殺す王の考えが判らない。しかしバロジスクが『金の無駄』と言い切っているのだ。選ばれなかった王子王女が生き延びることができるとは思えない。自分の子供だというのに王位継承者以外は生きていても金の無駄などと言い切るのだから考え方が尖っている。そのせいで生き延びるために必死の王子王女たちに味方に付くよう頼まれているのだが……。
「そういえばノース様のところに第三王子や第一王女から連絡ありましたか?」
「ええ、協力要請がありましたよ。それ以外にも四件ほどありました。もちろん丁重にお断り申し上げましたがどの王子王女も必死なようですね。ノース軍はバルドイーン様側だと判っていながら申し込んでくるのですから」
「カーク様が処理なさったんですか?」
「ええ、ノース様の代理で私の名前でお断りしました。今回はその方がいいと判断しました。ノース様は平民に近いお生まれですからね。こうした方が丸く収まります」
「そのー、俺のところにも協力要請が来ているんですがカーク様はどのようにお断りなさいましたか?俺、キッパリと第一王子か第二王子につくからお断り申し上げますと伝えていいのか悩んでるんですよね……」
「ああ、そういえばベルンスト様に気に入られたそうですね。アスター将軍が第二王子についたと噂になってます」
「噂になるんですか、こういうことが……」
「バルドイーン第一王子以外に軍を味方につけた王子が他にいませんでしたから話題になっているのでしょう。しかも最も優秀な王子と言われているベルンスト第二王子ですからね。それで他の王子も焦っているようです。次の王が決まってしまえば大規模な粛正が行われるのは目に見えてますから」
「陛下はお元気です。すぐに次の王が決まるとは思えませんが」
「代替わりせずとも陛下がお元気なうちに次代を決めておくのはおかしいことではありません。今の王も先代がお元気な時に後継者として指名されましたからね。それは今の陛下が三十代の頃でした。そして陛下よりも有力だとみられる王子がおられたそうですがその王子を殺して玉座を奪っておられます。だから第三王子や第一王女はまだ望みを捨てておられないのですよ。一発逆転が可能だと思っておられるのでしょう」
「うう……俺そういう血なまぐさい話は苦手です……」
「ところでアスター、貴方は一体どういう条件で第二王子側についたのですか?」
「ええ、条件?そんなもの出されてませんが。元々のきっかけはあの方の愛人であるカミィ殿がレンディを襲ったことでして……」
アスターが詳しく事情を説明するとカークは呆れ顔になった。
「ベルンスト第二王子の愛人が死んだとは聞いてましたがそのようなことがあったのですか。それで葬儀と埋葬を手伝ったと……何というか貴方らしい話ですね。その女性は娼婦だったのでしょう?」
「俺は平民ですよカーク様~。娼婦が穢らわしい人間だなんて思いませんよ。それに娼婦だからと埋葬すらされずにドブ川へ捨てられそうになってたんですよ、あんまりじゃないですかー。オマケに愛する女性の葬儀に参列すら許されないなんて王子がお気の毒でお気の毒で……それで周囲の反対を押し切って連れ出しました。おかげで王子の側近の方々には恨まれているでしょうね」
「それはないでしょうね。貴方が王子につくことで第二王子側の勢力が大きく増しましたから恨まれるということはありえません。黒将軍を味方につける影響力というのはかなり大きいですから。せいぜい貴方のその性格が厄介だと思われている程度ですよ」
「俺の性格厄介ですか?」
「ええ、都合の良い操り人形に出来そうにないという意味で厄介だと思われていることでしょう」
「ええ……」
「まぁ貴方が第二王子につくことは特に問題ありません。私やノース様の敵に回るというならともかく、現時点ではバルドイーン様とベルンスト様は敵対なさらないようですしね。むしろ貴方が第二王子についたことはよかったかもしれません。これでバルドイーン様が後継者として正式に選ばれてもベルンスト様が殺されることはないでしょうから」
「ど、どういうことですか?」
「国王陛下は完全実力主義です。つまり実力がある者だけを評価なさる。実力がなければ我が子ですら切り捨てる、そういうお方です。つまり後継者となれなくても実力があれば評価なさる可能性が高い。黒将軍を味方につけたという事実をあの方は評価なさると思います。そしてお二人の実力が拮抗していればどちらかが選ばれてももう片方を簡単に切り捨てようとはなさらないでしょう」
「ええと、ベルンスト様についた将は俺だけじゃありません。ギルフォード将軍とスターリング将軍もベルンスト様側につきました。ギルフォード将軍のご実家が別の貴族にちょっかいを受けていたようで……それを退けるためにベルンスト様と取引したんです。それであのお二人がベルンスト様側につきました」
「なるほど貴方はその仲介をしたというわけですか?」
「そうです。これでギルフォード将軍のご実家にちょっかいを出してくる貴族がいてもベルンスト様が対処してくださいます。そういう取引です」
「なるほどこれでベルンスト様側は黒将軍が三名ということになりましたね。バルドイーン様がダンケッドとノース様で二名。レンディは中立ですからあとはゼスタ将軍とアニータ将軍ですか。今頃あの二人に他の王子が必死に接触しているところでしょうね」
「あ、一応あのお二人にはできれば中立でいてほしいと頼みました!」
「頼んだ?あのお二人に頼み事ができるほど交流があったのですか?」
「ゼスタ将軍には黒将軍に上がった際、将を一人譲っていただきました。その青将軍経由で一応頼むだけ頼んでみました。アニータ将軍にはリーチ元黒将軍経由で頼んでみました。俺、リーチ様とちょっと交流があるんです」
「貴方には時々驚かされます。それならゼスタはともかくアニータは要請を受け入れるでしょうね。元上官からの依頼ならば無碍に出来ませんし、勝ち目が低い他の王子についたところでメリットが少ない。それよりは要請を受け入れて元上司の顔を立て、貴方に恩を売っておこうと考えるでしょう」
「ええ、実際、お二人からは要請を受け入れるという返答を頂きました」
「なるほど、ゼスタも中立を選んだわけですか。まぁ理由はアニータとほぼ同じでしょうね。今更他の王子についたところでメリットが少ない。関わらずに済むならそうしたいというところでしょう」
ゼスタは二メートルを超える隆々とした体格を持つ三十代の将だ。質実剛健な人物で権力争いなどを嫌いそうなタイプに見える。そのため今回の王位争いには辟易していることだろう。
「それならダンケッドと話をつけておくといいですよ、アスター。彼は王妃になりたくないと言っていますから、この結果を歓迎するでしょう」
「ええ、そうなんですか?正直この問題はダンケッド将軍の要望だけじゃ動かない気がしますが」
王位継承問題は多くの人間の思惑が絡んでくる。王妃になりたくないなどという希望で物事が動くようには思えないのだ。
「それでも話を通しておけばいざというときに違っていますよ」
「判りました。早めにお会いしようと思います」
「ではここで会いなさい。貴方がダンケッドの公舎に出向いてはあらぬ疑いをかけられる可能性がありますからね。偶然ノース様の公舎でお会いしたという形を装った方が疑われにくいでしょう」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
「情報料代わりですよアスター。これからも私のために働いてくれるよう期待していますよ」
「こちらこそいいアドバイスをありがとうございます。俺は貴族の考え方とか宮廷内の勢力争いがよくわからないので助かります。今後もお力添えをお願いします」
「ええ、判りましたよ」
こういうギブアンドテイクの関係は判りやすくていいとアスターは思う。
もっともカークに関しては報酬がとんでもないことだったりするので注意が必要ではあるのだが、今のところ寝間に引きずり込まれたことはない。
そうしてカークと話し合いを終えて部屋を出るとマクシリオンが追いかけてきた。
「アスター将軍、さきほどの件だがなるべく話が広まらないようにしてもらえないか?」
その要望を聞いて、そりゃそうだろうなとアスターは思った。ウルガ老がマクシリオンの尻を触って牢に入れられたなどという話はお互いにとって醜聞に近い。
だが今回の件は幸いにしてもみ消すのに相応しい事実がある。
「心配無用だ。実は先日ウルガ老にホントにチカン疑惑がかかってな。じーさんの診察を受けた若い患者が痴漢えん罪をかけて金をだまし取る女だったんだ」
アスターは先日起きた事件をマクシリオンに説明した。女性が胸をもまれたから賠償金が欲しいと騒ぎ立てた一件だ。
「まぁそういうわけでその一件に絡んで誤認逮捕されたってことにしておくから心配無用だ。マジでそういうことがあったし、みんなすぐに信じてくれるだろ」
「そ、そうか、よかった。安心した。ありがとうアスター将軍」
「ああ、アンタも大変だったな。ウルガ老には杖をプレゼントする。転ばないよう対策を立てないとな」
まだまだ働きたいとおっしゃる元気なじーさんだが老いによる衰えは起きている。黒将軍であるアスターからのプレゼントなら無碍に出来ないしちゃんと使ってくれるだろう。
ところがその後問題が起きた。ウルガ老が体調を崩して歩けない状態となっていたのだ。アスターはすぐに病院へ連れて行った。転んだ時の傷が原因で発熱していたウルガ老は入院することとなった。
「ちょっとカーク様!転んだウルガ老に治療も許さず放置ってあんまりじゃないですか!じーさん、入院しちゃったんですよ!」
ノース軍公舎へ引き返したアスターはカークに抗議した。
「牢の中の罪人の扱いなど私が知るわけないでしょう」
「じーさんはえん罪だったんですよ、あんまりですよ!」
「……罪人といえども治療すら許さないというのは確かにあんまりですね。判りました、ノース様に相談して改善を要求しておきます」
「お願い致します」
ノースは常識的で真面目な人物だ。この要求は受け入れてもらえるだろう。
一応慰謝料として医療費を払ってもらえることになったのでアスターはそれ以上の抗議を取りやめた。カークに対してあまりうるさく言っても後が怖い。
そうして公舎に戻ったアスターは顔なじみの店主が面会を求めていると教えられた。そうして会った相手はよく公舎前で兵士向けの屋台を営んでいる中年の男性だ。アスターとは徴兵時代からの顔なじみ相手である。
「アスター将軍!うちの常連客のじーさんが痴漢をしたって疑われて捕まっちまったんだ!ほら、あのつるっぱげで歯の少ないじーさんだ。けどな、あのじーさんヨボヨボで痴漢なんて出来そうないと思うんだよ。そういう悪さをする人柄でもねえ。それはもう何十年もうちの店に通ってくださってるから充分判ってる。どうか助けてやってくんねえか?」
「なんか最近痴漢関係のもめ事が多いな~。判った、なるべく早く牢から出せるよう頑張ってみるが一応一通りのことは調べるぞ。そうしないと周りが納得しねえだろうからな」
「ああ、じーさんが助かるならそれでいい。よろしく頼む」
アスターはそのじーさんをよく知らない。たまに店で見かける常連客の一人ぐらいの印象だ。
だがさきほどの店主の性格はよく知っている。信頼できる人物だと思っている。その彼が保証すると言うのだからきっと今回もえん罪なのだろう。だが捕らえられたからには一応調べてから釈放しないといけない。万が一の可能性があるからだ。
「今度店に来てくれ、奢るよ!」
「おー、ありがとな!ぜひ行かせてもらうよ!」
こういう風に出世してからも昔の相手と対等に付き合おうとするから知人友人が増えていくのだがアスターは自覚がなかった。
そうしていろんな立場の友人知人たちから多くの情報が集まり、黒将軍でも随一の情報網を持っているのだが全く自覚がないアスターであった。