公爵家の自室にて、コンラッドは冷め切った紅茶を前にうんざり顔であった。
「兄上方がなさることは、ろくなことにならない。そう思わないか?」
『レモンが入っていない。いい紅茶だ』
話しかけられた黒猫はズレた返答をしつつ、カップに顔をつっこんだ。
「まだお前にやるとは言ってないんだが…」
『ケチケチするな』
ぴちゃぴちゃと音を立てて飲む音が室内に響く。
ある意味、予想通り、ガルバドスが攻めて込んできた。
問題はその対応だ。
西の守りを担当するバール騎士団と連携を取って、力を合わせてこの危機を乗り切らねばならないというのに、長兄クルツは、功績をたてるのに必死で全く状況が目に入っていないようなのだ。
やる気いっぱいなのは結構だが現状をよく見て欲しいと思うコンラッドである。
自分のことに必死で現状が見えていない長兄クルツ。
遊ぶことにいっぱいで領地のことなどどうでもいい次兄オーギュスト。
どちらもコンラッドにとっては頭が痛い兄たちだ。
『む。頭が取れなくなった!』
「何をしているんだ、お前は」
黒猫は紅茶に夢中になり、カップに頭を突っ込みすぎたらしい。コンラッドは呆れつつ、カップを頭から外してやった。
『ふぅ、助かった。それでワシに何をさせたいんじゃ?』
「兄上に階段から足を踏み外してほしいだけだ」
長兄が適度に負傷し、戦場にでれなくなってくれればそれでいいのだ。
領主軍が壊滅的打撃を受けるのも困るし、バール騎士団の足手まといになるのも困る。
兄さえいなくなれば、領主軍は将軍らに任せることが出来る。
領主軍の将軍らは堅実派だ。兄の無茶な命令には困っていると聞く。兄がいなくなればしっかりバール騎士団と力を合わせて戦ってくれることだろう。
兄には申し訳ないが、軍が致命傷を受ける前に手を打つ必要がある。
『判った。ワシの得意分野じゃ。まかせておけ』
しかしお主も苦労するのう、と言われたコンラッドは苦笑気味に頷いた。
「全くだ」
しかし事態は思わぬ方向へ発展することとなる。
++++++++++
その夜のことである。
寝室で眠っていたコンラッドはちくちくと当たる猫の髭と小さな前足に揺さぶられた。
『おきろ、コンラッド』
黒い肉球にぷにぷにと頬を押され、コンラッドはため息混じりにおきた。
「なんだ?セバ。こんな夜中に…。紅茶なら…」
『お主の一番上の兄が死んだぞ』
ぎょっとしてコンラッドは黒猫を見た。
「セバ!」
『ワシではない。ワシはまだ、この屋敷すら出ておらぬわ』
疑われ、不本意そうに黒猫は否定した。
その黒猫の隣に浮かぶ、若い男の姿をした死霊ヘラルドがコンラッドの疑問に答えた。
『魂が飛んだ。死因は判らぬがおそらくは戦場での死だろう』
『死』に関して深い知識のある二人の死人は『死』の専門職についているようなものだ。彼らが告げる言葉に嘘偽りはないだろう。長兄クルツは死んだのだ。
コンラッドにわき上がったのは兄の死による悲しみよりも今後に関する問題の大きさだった。
(そうなると次兄上が後継者なのか?あの人が次期公爵だって?)
享楽主義者が三大公爵家のトップに立つという現実にコンラッドは軽く頭を抱えた。長兄クルツより遙かに頭が痛くなりそうだ。
(とりあえず今行うべきことはガルバドスを退けることだ)
元々長兄には戦場から退いてもらう予定だった。それが予定より幾分か早くなっただけだ。
計画はすでに出来ている。
問題は長兄の死という予定外の事態によって起きる、計算外の事態への備えだ。
(父上と次兄上に相談せねば…!)
父は大きなショックを受けるだろう。病に響かなければいいがと思う。
次代に全く興味を示していなかった次兄はどういう反応を見せるだろうか。しかし彼しか後継者はいないのだ。
(長兄上、貴方は死んではならなかったのに!)