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◆震天の腕輪(しんてんのうでわ)(9)


大河リノー沿いに位置する城塞都市ハーゲンを本拠地とする。
それがバール騎士団だ。
領主軍においていては万が一の時に守りきれない。そう判断したレイティンにより、イーニアスはハーゲンへ連れてこられた。
西の地において、ディガルド公爵家は絶大なる力を誇る。奴隷一人を解放して、騎士団へ放り込むことぐらい訳なく可能なのだ。

『いいな、ガルバドスの『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』という素性は隠しておけ。ただの鍛冶師として雇ってもらえるように言ってあるから』

領主軍の騎士だというレイティンはイーニアスに当座の生活費を渡しつつ、

余計な騒ぎは起こすな、万が一、オーギュストの耳にでも入れば面倒だから。
性奴隷に戻りたくはなかろう?ならばほとぼりが冷めるまで大人しくしておけ。

というようなことを告げ、領主軍へと戻っていった。


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バール騎士団の本拠地であるハーゲンは交易都市としての顔も持つ。
当然ながら物の流通が盛んで、騎士団のお膝元であるため、多くの武具が集まっている。
鍛冶師も多く、街には鍛冶屋の集まる通りまで存在している。
イーニアスは騎士団内部の鍛冶師として働くことになった。
仕事は騎士団の武具の管理の他、調理師やメイドらが使うあるナイフや包丁など、日用品の管理も含まれる。
最初は気楽に考えていたイーニアスはすぐにそれが間違いであることに気づいた。

『厳しい面接や試験も受けずに騎士団に入れるなんてラッキーなヤツだ』
『公爵様の口利きで入ってきたらしい。大きなコネ持ちなんだよ』

イーニアスはそんな陰口を叩かれ、同僚たちに阻害されるようになった。
そこでイーニアスは初めて、この騎士団付きの鍛冶師となるのが名誉なことであり、厳しい競争をくぐり抜けねばなれないことを知った。

(一般の小さな店でもよかったのに)

イーニアスはそう思ったが、すぐにそれは無理であると知った。
城下町に仕事で使いに行こうとしたところ、それが許されなかったのである。

「そなたを騎士団の城から出してはならぬと公爵家より命じられている」

イーニアスの行動は制限されていたのである。
それにより、同僚の鍛冶師たちもイーニアスがワケありの人物であると知り、ますます遠巻きにされるようになった。
騎士たちにもその噂が伝わったのか、イーニアスに仕事を頼む騎士は殆どいなくなった。
結果的にイーニアスは新人ということもあり、雑用や日用品の管理を中心に仕事を行うことになった。


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「いい男なのにお手つきじゃなぁ」

イーニアスにそんな感想を抱いたのは騎士団の若手騎士の一人ダニエルである。
その友人のセシリオは釣られたようにやや離れたところに立つイーニアスを見た。

「あぁ新人の鍛冶師か。ディガルド公爵家がらみらしいね」

バール騎士団は独立騎士団の一つであり、通常は領主の命令を受ける立場にはない。独立騎士団は国王直属なのだ。
つまり、貴族の命令もはねのけようと思えばはねのけられるのだ。
それでも引き受けたのは、今、三大貴族の一つともめ事を起こしたくないというバール騎士団の事情がある。ガルバドスが侵攻してくることが明らかである今、三大貴族の一つディガルドの不興を買いたくないのだ。ディガルド公爵家は西の地で絶大な影響力を誇る。

「腕はいいぜ、こないだ、短剣を頼んだんだ」
「へえ…」

好奇心旺盛な友はさっそく接触を試みていたらしい。セシリオは呆れ混じりにその短剣を見て驚いた。

「凄いな。ちゃんと見せてくれ」

手にとって詳しく刀身を見る。
見れば見るほど素晴らしい切れ味を感じさせる刀身だ。歪みも曇りも全くない。
ただの短剣でこれほどの輝きを見せるのだ。本気で武具を作らせれば相当な武具をつくれるのではないだろうか、あの鍛冶師は。

「あの鍛冶師、名はなんと言ったっけ」
「確かイーニアスって言ったと思うが」
「イーニアスか」

公爵家がらみなのが気になるが、鍛冶師は鍛冶師だ。良き腕を持っているのであれば、騎士としては申し分がない。むしろありがたい。命を守るための武具だ。妥協は許されないのだから。

翌日、セシリオは貯金を片手に新人鍛冶師の元を訪れた。

「武具を頼みたいんだが…」


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明るめの茶色の髪をした、やせ形の若い騎士に武具を頼まれたイーニアスは、久々に武具を打つな、と思った。
祖国にいる頃は高名だったこともあり、一年以上先まで予約が入っていた。
それがここに来てからはさっぱりだったのだ。

騎士たちはそれぞれ武具にこだわりがあり、新たな武具を頼むときはそれぞれがひいきの鍛冶師に頼む。その際、まだ二十代の若い鍛冶師に頼むことは滅多にない。壮年のベテラン鍛冶師に頼むのが普通なのだ。
騎士団の騎士たちもイーニアスの腕は未熟だと考えているのだろう。公爵家がらみでここに来たという事情もあり、ちょっとした武具の研ぎや日用品の管理程度しか頼まれることはなかった。
それがいきなり、初対面の騎士から武具を頼まれた。
それも整備ではなく、新品の武具の依頼だ。

『俺でいいのか?』

新品の武具を一から打つとなると値が張る。
材料費だけでも結構な値なのだ。

『君の短剣を友から見せて貰った。良い腕をしている。期待しているよ』

そういえば若い騎士に絡まれ、リハビリを兼ねて短剣を打ったことがあった。あれを見たのか。
腕を見込まれるのは嬉しい話だ。
イーニアスは小さく笑みを浮かべて頷いた。
すると目の前の騎士は少し驚いたようにイーニアスを見、そして釣られたように笑んだ。