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◆震天の腕輪(しんてんのうでわ)(6)


時は少しさかのぼる。
コンラッドは自室に肉体なき友を迎えていた。
闇の印は死者と語り合う印だ。
そんな闇の印を持って生まれたコンラッドは、幼い頃から死者を見、死者の話を聞くことができた。

『いろいろやっかいなことになっていそうじゃの』

そう話しかけてきたのは黒猫だ。
本体は黒い霧の塊のような老人だが、普段は黒猫に憑いている。名をセバといい、当人の話によると死人使いという闇の印の職に就いているそうだ。
大貴族になればなるほど、人の恨みを買いやすく、悪しき気が溜まりやすい。
当然、悪しき死霊も生まれやすいため、セバのような存在が、大貴族の屋敷には住まうことが多いのだという。

(死人が死人を祓うのか。奇妙なものだ)

コンラッドはそんな感想を抱いている。
そのセバの隣には一人の若い男がいる。正しくは『若く見える死霊』だ。
白っぽくて短い髪にごく普通の貴族服を身につけた二十代の男だ。
コンラッドにとっては先祖にあたるというその男はコンラッドにとって、家庭教師の一人だ。名をヘラルドという。
やはり闇の印を持って生まれたというヘラルドは、大変豊富な知識を持ち、コンラッドに様々なことを教えてくれる。長くこの家の歴史を見てきたという彼は、状況を読む目に優れている。

『コンラッド、鍛冶師だという性奴隷だが、助けようとしている者たちがいる』

通常の人間には見えない彼らは屋敷内部の事情にとてもよく通じている。
妹のレナーテとこの二人の死人は、コンラッドにとってよき情報者だ。

『内部ではない、外部からの手引きだ。だが、この家はそう易々と外部の者が入れるような小さな貴族ではないからな、苦戦しているようだ』
「それはそうだろう。外部ということはガルバドスからか?」

あの鍛冶師たちはガルバドス出身だということだった。助けようとしているのであれば、祖国からの者たちだろうと思ってのことである。

『そうだ。闇の悪しきルートで売られてきた者たちを当家に来たところまで突き止めたところを見ると、それなりの力がある者たちのようだ』
「奴らの素性、判るか?」
『鍛冶師のイーニアスと将軍のフリッツ。この二名が捕らわれている者たちだ。当然、外部から接触しようとしている者たちはこの二人の関係者だ』
「どちらも鍛冶師だと聞いていたが違ったのか……」
『片方は軍人だ』
「そうか。……鍛冶師はともかく軍人はまずい。しかも将軍位となると解放するわけにはいかないな。ガルバドスの戦力を回復させることとなる」

黒猫のセバは会話に口を挟むことなく、卓上にちんまりと座っている。
彼は紅茶が好きで、ティーカップに入った紅茶をピチャピチャとなめている。猫舌らしく、冷め切っている紅茶だ。

『放置するか?だがこのままでは長く持たないぞ、あの奴隷たちは』

コンラッドはぴくりと眉を動かした。
コンラッドは兄の性奴隷たちには興味がない。しかし、優れた腕を持つという鍛冶師だけは死なせるのが惜しい、という思いがある。

(さてどうする?軍人だけは殺しておくか?)

その方が面倒がなくて済む。軍事大国で将軍位まであがったほどの人材を解放しては、のちのち禍根となる可能性大だ。
だが…。

「二人。どちらも『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』だそうですわ、お兄様」

そう言っていた妹の言葉を思い出す。
ただ単に誤解していただけなのか、それとも意図的だったのか。
コンラッドは聡明な妹を気に入っている。彼女が持ってくる情報は意外と有益なものが多いのだ。

(解放するわけにはいかない。だが……命だけは待ってやろうか)

迷いつつもコンラッドはそう決めて、幼なじみの従者を呼んだ。


++++++++++


『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』の一人であるイーニアスは、体を揺さぶられる動きに気づき、緩慢に目を開いた。
大貴族の屋敷の一室で、彼は連日、気が狂うような快楽と苦痛を与えられて、体は疲弊しきっていた。
目の前には見知らぬ男が立っていた。

「大丈夫か?今、オーギュスト様はでかけておられる。今のうちに助けてやる」

そう囁かれ、イーニアスは本当だろうか、と思った。
自分を捕らえたのは大貴族の次男坊だという。
彼の命令を覆すことが出来る者など一握りしかいないだろうに。

イーニアスはガルバドスの一地方に生まれた。
黒い髪に蒼い瞳の彼は精悍でごく普通に男らしい体躯の持ち主だ。
優れた鍛冶の才能で、弟子入り先ではすぐに頭角を現し、その後、高名な師に師事を受け、若くして『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』を受けるほどになった。
容姿も良い彼はよくモテた。実際、何人もの相手と浮き名を流した。彼は女性も好きな人物であり、性癖はごく普通の男らしい人物だったのだ。捕らわれるまでは。
しかし、その性癖もたたき壊された。
捕らえられてどれほどの月日が経ったのか。少なくともオーギュストに捕らわれてから軽く一ヶ月以上は経っている。
オーギュストは四肢切断も楽しむ完全なサディストであり、目の前で何人もの性奴隷が壊され、死んでいくのを見てきた。
イーニアスたちはそんなオーギュストに徹底的な調教を受けたのだ。
オーギュストと彼に仕える調教師たちはイーニアスの性癖を徹底的に変えた。
見られて興奮するように、痛みに快楽を感じるように、女性を抱けぬよう、後ろを刺激されねば達せぬように、完全に体を作りかえたのだ。
そしてそれはイーニアスと一緒に捕らえられた奴隷たちも同じだ。同種の調教を彼らも共に受けていた。

「来い」

そう言って連れていかれたのは別の部屋だった。
そこには一人の青年がいた。
イーニアスは彼を目にしてぎくりと体を震わせた。褐色の髪に黒い瞳で、黒の貴族服に身を包んだ青年はイーニアスに地獄のような快楽を教え込んだオーギュストに酷似していた。

「コンラッド様」
「判っている」

コンラッド、と呼ばれた青年は左手をイーニアスの首元に伸ばした。ぎくりとしてイーニアスが後ずさろうとすると、青年はイーニアスを強く睨み付けた。

「動くな、首をはねるぞ。そなたの枷を外すのだ」

その命じ慣れた口調もオーギュストによく似ている。
しかし決定的に異なるのは青年の身に漂う理性だ。静かな黒い瞳には、オーギュストにない聡明さが強く感じられる。
青年の左手首には水色の透明な細いブレスレッドがあった。二連だ。

「アンリ・ブレス」

青年が小さく呟き、イーニアスの首につけられた首かせに触れた途端、金属製の黒い首かせははじけ飛び、床に落ちた。

(今のは…ブレスレッドの力か。なんて力だ…一体どういう品なんだ、あれは……)

鍛冶師としての強い興味が働き、イーニアスは青年の手首を凝視した。
しかしその手がイーニアスの下肢に伸びてきて、イーニアスは慌てて後ずさろうとした。

「動くなと申している。不能になりたいのか、そなたは」

イーニアスたち性奴隷は、印を封じる首輪と性欲をコントロールするための貞操帯をはめられている。
それらの品は非常に特殊であるため、次兄オーギュスト以外の者が外すためには力づくで壊すしかないのだ。
場所が場所であるため、外すには非常に慎重にしなければならないのだ。

見られる。
触れられる。
そして極度の緊張。

すべてがイーニアスの性欲を昂めてしまう。なぜならそのようにオーギュストによって調教されているからだ。
しかし今はそういう状況ではない。今から逃げようとしている。そのために外してもらおうとしているだけだ。あまりに場違いな己の体の高ぶりにイーニアスは羞恥に泣きそうになった。

水色の透明なブレスレッドにより、貞操帯も無事外された。
解放された途端に限界近くまで昂ぶっていた性器から精液が飛び、イーニアスはしゃがみ込んだ。こんなときに達するなど恥ずかしくて極まりない。
荒く息を吐きつつ、混乱と羞恥で涙をにじませたイーニアスに白い手が伸びてきて、顎を捕らえる。
オーギュストによく似た容貌の青年にイーニアスは息をのんだ。
元々、整った容姿を持つ兄弟だ。間近で見るとその容姿の良さが際だつ。
理性漂う黒い瞳に見つめられ、イーニアスは縛られたように動けなくなった。

「そなた、名は?」

声までよく似ている。
命じ慣れた声と容姿に、イーニアスは反射的に口を開いた。オーギュストによく似た声と容姿の相手には逆らうことができない。捕らわれてからの念入りな調教で、服従心がすり込まれてしまっているのだ。逆らおうという考えすら浮かばなかった。

「…イーニアス……イーニアス=ロウニ」

青年は頷いた。

「そうか、ではイーニアス。そなたは今から私のものだ。いいな、兄オーギュストではない。私、コンラッドのものだ。そう覚えておけ」

思いがけぬことを言われ、イーニアスは驚いた。しかしやはり逆らうことができず、頷く。
青年は満足げに頷いた。

「よかろう。ではそなたを解放してやろう。レイティンについていき、彼の指示通りに動け。ただし、祖国に帰ることは許さない。それ以外であれば自由を許そう。さぁ行くがいい」