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◆震天の腕輪(しんてんのうでわ)(5)



ライティンは黒髪を持つ二十代半ばの青年で、ディガルド公爵家の下男である。いわゆる召使いだ。
そして彼はコンラッドの乳兄弟である。
ライティンの家は、代々、ディガルド公爵家に勤めている。ライティンと弟のレイティンも幼い頃から公爵家の為に働いている。恐らく子が生まれれば子供も公爵家に勤めることになるだろう。彼はそれを疑っていない。上流貴族に仕える家系なら自然なことだからだ。
そしてそんな家系に生まれれば、仕える家への忠誠心も強く叩き込まれる。
ライティンと弟レイティンはディガルド公爵家の将来を憂いていた。

「ガルバドスが来るぞ、兄上」
「判っている」

ライティンと同じく黒髪黒目の弟レイティンは騎士だ。領主軍に勤めている。
大柄な体躯を生かすため、護衛の方で役立ちたいと領主軍に入ったのだ。
当然、彼は軍内部のことに詳しく、公爵家の屋敷に来た時は、兄に情報を持ってくる。
代々、公爵家に住み込みで雇われている二人の家だ。公爵家が実家であり、帰省先でもあるのだ。

「時代は動いている。ガルバドスがいる限り、この西の地は荒れる。
次期領主のクルツ様が愚かだと言っているわけじゃない。だがあの方は平凡だ。臆病なクセに貴族としてのプライドだけは一人前だ。正直、あの方じゃ頼りない」
「レイティン、滅多なことを言うな。今のは聞かなかったことにしてやる」

口では弟を咎めながらも、内心ではライティンも同じ意見を持っている。

北のサンダルス公爵家の双子将軍。
南のミスティア公爵家のコウ。
三大公爵家のうち、他の二家の後継者はそれぞれ領民から高い支持を受け、評判がいい。
西の後継者だけが凡庸な人物だと言われている。
ディガルド公爵家の長男である次期領主クルツは、可もなく不可もなく、ごく平凡な能力の持ち主なのだ。

「できるだけ早く、周辺の領主をまとめないと大変なことになるぞ。ガルバドスがでてくれば、バール騎士団だけじゃ持ちこたえられない」

レイティンの意見にライティンは頷き返した。
ガルバドスがでてくれば、まず真っ先に危険となるのが西の地だ。
そして、その西の地を守る要となるのが西方守護を担当するバール騎士団だ。
城塞都市ハーゲンを本拠地とし、粘り強い守りを得意とする総数一万五千の騎士団。
バール騎士団は屈強な戦力を持つが、ガルバドスがでてくれば単体では持たないだろう。
その場合、当然ながら他から援軍を求めることになるが…。

(北のディンガル騎士団は、北の大国ホールドスへの牽制の意味も持つ。状況によっては動くことができない。近衛軍は頼りになるが、国王直属だ。そう簡単に動かすことはできず、出動まで時間がかかる…)

そうなると、地元が頑張らねばならない。この場合は領主軍だ。
三大貴族は総じて強い領主軍を持つ。当然、ディガルド公爵家も大きな領主軍を持っている。
しかし、ガルバドスの戦力はディガルド公爵家の領主軍を上回る。
ガルバドスがでてくれば西の領主たちが全員で頑張らねば、地を守ることはできないだろう。
要するに幾ら大貴族でも、ディガルド公爵家の兵力だけでは守りきれないのだ。
そのことを次期領主であるクルツは判っているだろうか。

(判ってないだろうな。公爵家の戦力のみで倒すつもりだろう)

へたにプライドが高い人物はこんなときやっかいだ。他者から力を借りようとしないのだから。
北の後継者二人が双将軍として名を馳せていることを必要以上に意識している人物だ。ここぞとばかりの名をあげようと張り切るだろう。

「兄上、せめてコンラッド様にお伝えしておいてくれ」
「あぁ」
「…あの方が後継者だったらよかったのに」
「そりゃ誰もが思っていることだろうぜ」

長兄クルツ、次兄オーギュスト、三男コンラッド、末妹レナーテ。
7人兄弟の中で、正妻の血を引くのはこの四人だ。
運命は皮肉なことに、四人中、唯一、継承権を持たないコンラッドに最高の頭脳を与えた。
大貴族の直系として求められる能力をコンラッドは確かに有している。彼ならば他の二大公爵家に引けを取らないだけの功績を残すことができるだろう。
ただし、継承できれば、の話だ。
惜しまれることにコンラッドには継承権がない。現状では継承できないのだ。

「できるだけのことをしてやる。だから死ぬなよ、レイティン」
「判っている」

領主軍のみでガルバドスに立ち向かったら、軍は壊滅状態になるだろう。
しかし、そのことをクルツは判っていない。功績作りに躍起になっている。
今はそれをいさめる人物が必要だ。
バール騎士団からも先を見越して、ガルバドスが侵攻してきた時のための協力体制について、文書が何通も送られてきているが、クルツは無視しているようだ。
ガルバドスの動きに、周辺の小領主たちも動揺が激しいと聞く。
こういうときこそ、大領主としてディガルド公爵家が動くべきなのに、クルツは自分のことしか見えていないようだ。
父親である現公爵はほぼ引退している。政務は息子に任せきりだ。

「オーギュスト様は全く頼りにならないし」
「まぁな」

享楽に耽り、全く政務に興味を示さない次男坊だ。彼に対しては、誰もがさじを投げている。

「そういやオーギュスト様の奴隷のことでコンラッド様に指示を受けていたんだ。ちょうどいい、お前手伝え」
「奴隷のことで?また手足のない奴隷でもお作りなさったのか、あの方は?」

オーギュストの性癖の悪さは、ディガルド公爵家に仕える使用人たちには周知の事実だ。

「あぁ。今回は壊される前に助けろと言われている。そろそろヤバそうなんでな。動かねえといけねえって思っていた頃だ、ちょうどよかった」
「珍しいな。ヤバイ相手なのか?」

コンラッドは基本的に次兄の趣味に口を出そうとしない。
しかし、聡明な彼は状況的によくないと思えば行動することがある。
今回も彼が行動しなければならないと思う理由があったのだろうか。

「あぁ、『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』を捕らえているそうだ」
「!!!!」

レイティンは騎士だ。当然、『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』の貴重さも判っている。
騎士にとって、武具は命を守るための大切な宝だ。
当然、よき武具を打つことが出来る鍛冶師は、騎士にとって、とても大切な相手だ。
喉から手がでるほど欲しい貴重な人材を、よりによって性奴隷などにしているというのか。

「なんてことを…!!」
「だから今から助けるんだろうが。お前、『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』を軍へ連れていき、保護しろ。だが領主軍ではまずい。公爵家の手が届きにくい場所……できればバール騎士団辺りに連れていき、保護を頼め」
「判った。だが大丈夫なのか?」

それほど貴重な人材を逃がせば、兄やコンラッドが咎められるのではないだろうか。

「そこはコンラッド様が何とかしてくださるだろう。俺が命じられていることは、壊されるより前に救い出せと言われているだけだ」

兄がそう言うのであれば、レイティンは手助けするだけだ。

「判った。必ず逃がそう」

元より、そのような話を聞かされては放っておけない。
やる気いっぱいにレイティンは頷いた。