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◆みどりの分かれ道(3)


『女がいいのか?』

そうフィールードに問われたのはその日の夜だった。
仕方なくフィールードの家を訪ねたサフィールは、月見をしようと牧場へ誘い出された。
しぶしぶ後を追ったサフィールは突然、柔らかな草の上で押し倒された。
月夜のため、全く周囲が見えないわけではない。夜にしては明るい方だろう。それでも夜のせいで覆い被さる相手の表情が見えない。
フィールードの声は焦りと怒りが混じっていた。

「小さい頃からずっと好きだったんだ。渡さねえ。今更、女なんかに渡せるかよ。俺の方がずっとお前を好きだ」

話を聞きつつ、サフィールは大きくため息を吐いた。
好かれている自覚はあった。気に入られていなければこれほど毎日通ってこられることはないだろう。そう思っていた。気付いていて行動に出なかった結果、こうなった。

『付き合っているヤツいないのか?』
『忙しいからな』

何度も繰り返したやりとりを思い出す。
暗に付き合う暇などないのだ、だから誰とも付き合っていないのだ、という意味を含む返答にフィールードはいつも安堵と困惑の雑じった表情を見せていた。
サフィールが誰とも付き合っていないということへの安堵と。
忙しいから付き合う気がないという拒絶に気付いていたのだろう。

『付き合っているヤツいないのか?』

いつもそう問われる時はかすかな緊張を含んでいた。その問いへの返答を誤れば、彼からの告白に繋がることにサフィールは薄々気付いていた。
幼い頃から好きだったというフィールード。そのフィールードの好意にはずっと昔から気付いていたのだ。

彼は背をあわせて座るのが好きでよくもたれるように座っていた。
泊まっていいかと聞かれたこともある。
最近は、外に連れ出されるのが面倒で、わざと無視したこともある。そのときは物言いたげに見つめられることが多かった。
気付いていたのだ。気付いていながらいつの間にか追い詰めていた。

「俺の方が絶対好きだ。絶対……絶対だ……」

俺の方が、そう繰り返すフィールードの声が怒りから涙混じりに変化する。
肩に食い込む腕の力に痛みを感じた。感じる痛みはフィールードの心の痛みでもあるのだろう。

以前、兄に言われた言葉を思い出す。

『サフィ、お前って難しいのかも』
『どういう意味だ?』
『お前がそういうヤツだと俺は知っているけれど、他のヤツはどうかな』

お前は判りづらいのかもしれないと兄はときどき言っていた。その兄には言わずに通じていたからその時はあまり深く考えなかった。
今、思えば兄とは口に出さずに会話ができていた。無表情なサフィールの感情を兄は読み間違えることがなかった。怒っているときは無表情でも怒っているのだと気付いていたし、その理由さえも兄はいつも気付いていた。しかし今思えば、兄だからこそ気付けたのだろう。兄はそんな一面がある。呑気そうに見えて、他人をよく見ていて、読み間違えることがなかった。
兄の言うとおりだ。自分は難しいのだろう。気の強いフィールードが泣いている。それだけのことを自分はしてしまったのだ。
すがりつくような姿勢で腕に込められた力が痛い。
覚悟を決めなければならないようだ、とサフィールは思った。
フィールードを泣かせてしまった。泣かせるほど傷つけてしまった。
遠回しに拒絶し、逃げ続けてきた結果、こうなってしまった。
いつまでも逃げてはいられない。覚悟を決めなければならない。傷つけた責任を取り、傷を癒して、彼の愛を受け止め、彼を愛する覚悟を決めねばならないだろう。
邂逅の儀も終わった。もう成人したのだ。いつまでも子供ではいられない。逃げ続けるわけにはいかないのだ。

「フィー、俺は女がいいなんて言ってないぞ」
「……え?」
「お前が俺を好きなこと、俺はちゃんと判ってる」

そう告げるとフィールードの腕からゆっくりと力が抜けていった。
そのまま押し倒された体を起こすと、月明かりで相手が呆然としている表情が見えた。きっと目は真っ赤だろう。
ポケットを探るとコインがあった。ピンと弾く。

「表?裏?」
「え?……う、裏」
「表だ。俺の勝ちだな。俺が上だ」

押し倒し返すとフィールードが驚いているのが見えた。ヤる側ならば、角度的に相手の表情が見えるようだ。ちょうどいいとサフィールは思った。
抵抗されるかと思ったが、フィールードはあっさりと力を抜いた。抵抗する気はないらしい。ただ、ちょっと拗ねた表情を見せた。

「いいけどな…ちょっと騙された気分だ」
「やめておくか?」
「いや、ヤる」
「それは良かった。やめろと言われてもやめたくなかったところだ」

そう正直に告げるとフィールードは逆に嬉しそうな表情を見せた。
頭に巻いたバンダナがちょっと邪魔だなと思う。
手を伸ばしてフィールードのバンダナを取り、汚さぬようポケットに入れた。
そう言えば彼はいつも兄ではなく自分を呼んでいた。そんなことを今更ながらに思い出しつつ、目を閉じたフィールードに口づけた。