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◆霧に霞みし夢を見る(2)


ステファンの上司シードは藍色の髪と青い瞳を持つ二十代後半の青年である。
背は中背だが痩せている。皮肉屋で口が悪いために誤解されることが多いが、内面は部下思いで世話焼きな一面があるため、人気がある。
皮肉屋で判りづらいが実は親切というシードにはとにかくファンが多い。知らぬは当人ばかりなのである。
そんなシードは現在近衛第五軍の副将軍だ。
仕事熱心な彼はその日も深夜まで執務室に残って仕事をしていた。

(あー、くそ。情報が足りねえ。だが次はうちが出たい。内乱の鎮静程度じゃデカい武勲は立てられねえが、アルディンと俺に変わった第五軍の存在をアピールするにはいい機会だ。だが、西ってのが不利だよなぁ…ニルオスなら何か知ってそうだが第二軍に借りは作りたくねえ)

情報が欲しい。とにかく情報が。
現在荒れているというグラナベータ領で内乱が起きるのは時間の問題だ。内乱が起きれば近衛五軍のうち、いずれかの軍が出ることになるだろう。その仕事を得たいのだ。

(くそう、情報……)

そうぼやいていたシードはいつの間にか第五軍将軍アルディンが目の前まで来ていることに気付かなかった。
突如、ドンと卓上に置かれた大きな包みにぎょっとして身を引く。

「うぉ!!?なんだ!?」
「シード、家人からの預かり物だ。今日、我が屋敷に届いたらしい」
「あぁ?……あぁベルクートからか」

見合い相手と交際を始めて一年以上になる。しかし極端に緊張癖がある相手とは進展はしているのかどうかすら怪しい。
遠距離恋愛ということもあり、文通が主なやりとりの相手からの品をシードは目を細めて見つめた。

「でけえな。なんだこりゃ」

包みを開けたシードは唖然とした。

「……ぬいぐるみ……?」

どう見ても猫のぬいぐるみだ。しかし中型犬ぐらいのサイズがある大きなぬいぐるみだ。

「おい、アルディン。これは間違いなく俺宛なのか?」

ぬいぐるみなど成人男性に贈るものではない。人違いではないかと思いつつ問うと、アルディンは間違いないぞ、と答えた。

「それに別段、奇異な物ではあるまい。猫は守り神だ。恐らくシードに不幸が訪れないようにとの祈りを込めて贈ったのだろう」
「守り神?こいつがか?」
「そうだ。猫は害虫害獣から建物を守ってくれる。
家を囓り、疫病を媒介するネズミは特にやっかいな害獣だ。そのネズミから建物や船を守ってくれる猫は、海に面した土地では守り神として重宝される。港町ギランガで猫の置物やぬいぐるみが多いのはそのためだ」
「なるほどな……」

冗談や間違いなどではなかったらしい。
シードはぬいぐるみを両手で持ち上げた。大きなぬいぐるみのため、片手では持ち上げられなかったのだ。質の良い白い毛皮で作られているぬいぐるみは肌触りも上質で光沢がある。こういったものに興味がないシードでも高価な品だと判るぬいぐるみであった。

(首に宝石の付いた首飾りまでしてるな)

ぬいぐるみのくせにずいぶん贅沢な猫だとシードが内心呆れていると、ノックの音が響き、アルディンが返答した。

「入れ」
「失礼いたしま…す…」

挨拶しながら入ってきたのは部下のステファンであった。
ステファンはシードを見ると目を見開いて固まった。

「……シード様?ずいぶん可愛らしいお姿で」

大きな猫のぬいぐるみを両手で抱えたシードの姿はステファンには『ぬいぐるみを抱きしめている姿』として映った。

「違う、これはいろいろワケありだ!」

真っ赤な顔で卓上に放り出されるように置かれたぬいぐるみはそのままシードの椅子へと転がり落ちた。

「…コホン。……で、用件はなんだ?」

遅い時間だ。このような時間に執務室へ来たのであれば何らかの重要な用件があってきたのだろう。

「はい。実は……奇妙な情報が入ってきまして、自分では判断に迷いましたので相談に伺いました」
「ほう?」
「実は第二軍フェルナン様を慕う一部の人間が暴動を起こしたようなのです」
「何だと?」
「しかし第二軍で騒ぎが起きている様子でもありません。ですがこの情報は信頼できる人物から入ってきました。放置しておくには危険だと思うのです」
「………」

シードは腕組みしつつ、ちらりと隣のアルディンを見た。彼も今の話を聞いていたのだろう。無言で思案顔になっている。
金髪金瞳のアルディンはシードよりやや背が高い長身の男だ。
容姿の良い彼は、光に溶けるような金髪を揺らしつつ口を開いた。

「その話、いつ入ってきた?」
「30分ほど前です。第二軍へ確認のために向かわせた部下からの報告は5分ほど前に来ました」

第二軍と第五軍は近い場所に本営がある。王都の北に第一軍、西に第二軍の本営があり、第五軍はその二つの本営に挟まれる位置にあるのだ。馬を使えば片道10分以内でたどり着く。

「行動を起こすには情報が少なすぎるな」

呟いたシードにアルディンが頷く。
シードはステファンを見つめた。

「騒ぎにならぬよう、すぐに情報を集めろ。それと伝達を呼べ。第二軍副将軍グリーク殿へ連絡を。不在の場合は夜勤担当の大隊長へ代理連絡を入れろ。
フェルナン副将軍の身に危険が及ぶ可能性がある。十分注意されたし、とな。過度の好意を持った人物による可能性が高いとも伝えておけ」

シードの言葉にステファンは敬礼で答えた。

「御意」

とりあえず、どうするかは情報次第だろう。
そうしてシードの命令を忠実に実行すべく部屋を出て行ったステファンは、それから数分もせぬうちに戻ってきた。

「新たな情報が入りました。あぁシード様、大変愛らしきお姿ではありますが、今はぬいぐるみを愛でてらっしゃる場合ではありません!第二軍近くでフェルナン様とニルオス様が拉致されたとのことです!」

ステファンは真顔だ。本気で言っているのだ。
ぬいぐるみの置き場を考えるために両手で抱きかかえていたシードは思わずぬいぐるみをステファンへ投げつけた。

「愛でてねえー!!」