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◆死人の子(3)

町に戻ったラジクはそのままねぐらである万年樹を登った。
万年樹はいつも清き気で満ちている。仕事をしたあとはいつも心地が良い。

過去の死人使いの霊たちと共にいるラジクにとって、生の意味は薄い。
死したら自分も彼等の仲間入りをするのだろうと思うラジクは、生への執着が薄いのだ。
その姿から早くに死んだと思われるシイとルムゥはきっと似たような想いを抱き、そのまま死んでいったのではないかと思うほどだ。
一度、ぽつりとその想いを口にしたことがある。
老婆の霊であるミミは意味ありげに笑っただけだった。
ルムゥはお前はまだ未熟だとラジクより若い姿で言った。
いつも無口なシイはこのときばかりは珍しく、やめておけ、と否定の意見を口にした。
長さの揃わぬ黒髪を持つ、二十代の青年姿のシイは端正な容貌の青年だ。彼は滅多に口を開かないが、このときばかりは悲しみに表情を歪めて首を横に振った。

『お前に同じ後悔をさせたくない。生きられるうちは生きておけ。我らは聖ガルヴァナの愛し子。だからこそ聖ガルヴァナに与えられた生を大切に生きねばならない。与えられた生はガルヴァナからの試練であり、愛でもある。それが判らぬうちは未熟なる証拠だ』

シイの意見にミミは笑んで頷いた。

『わたしゃ、ちゃんと全うして生きたのさ。印が小さくて、あまり腕はよくなかったんだけれど、一番大切な仕事をしたのさ。子を産んで後継者を育てたんだから、最高の仕事をしたのさ』

一番若い姿のルムゥはミミの言葉に苦笑した。

『そういう意味じゃ私は一番何もせずに死んだよ。腕はよかったが仕事を全うしたとは言えない。だから今、こうやってやり残した仕事をしているのさ。……生きし死人使いよ、君はまだ生きねばならない。君の祖父は立派な人物だった。神に与えられし生を全うし、後継者に技術を伝えて逝ったのだから』

その通りだとミミとシイが頷く。

『側を見ろ。ちゃんとお前の生を望んでいる者がいる。我らに気を取られてはいけない。同調しすぎると死に引きずられるぞ』

シイの台詞にラジクは眉を寄せた。
するとミミとルムゥが口々に告げた。

『ほら、パンや肉を持ってくる子だよ』
『体格がよくてハッキリした性格のね。あれがいい』

それはもしかしなくてもライルードのことだろうかと思った。
ラジクの幼なじみであり、牧場で暮らす世話焼き兄弟の一人。麦わらのような色の髪はやや短めで茶色の瞳、大柄な体で大荷物も簡単に運んでいる。明るく大ざっぱな性格であり、誰かの世話を焼くのが大好きな働き者だ。ここへ来る回数も一番多く、世話になっている

『あれはいい。単純なところがいい。難しく悩まないだろう』
『生の気に満ちている。ああいう子は絶対引きずられない』
『あの子にしておきな。あんたの後継者はあんたの血の者じゃなくていいから問題ない。あんたの後継者には子を作ってもらう必要があるだろうけれどね』

いずれにせよ、闇の印は緑の家系に突如現れる。子を作ったところで跡取りが生まれるとは限らないのだ。

『次はあの薬師の家系のような気がするがねえ』
『そうだな。元々あの家系には聖ガルヴァナの加護がある』
『そうだね。今度は紫竜がついたようだけれど、元は緑の家系だ』

だがそれも遠い昔の話だ、とシイ。
勝手なことを話している霊に何故自分の相手を決められなくちゃいけないのだとラジクなりに理不尽なものを感じていると、当の相手の声がした。
縄ばしごを見下ろすと木の根元に籠を持ったライルードが来ていた。

死人使いは葬儀の時しか仕事がないため、収入が不安定だ。しかしなくてはならない職業のため、普段は町の者達が無償で食べ物や衣類など生活に必要なものを贈り、町長が一定額を与えている。彼等の仕事はそうやって成り立っているのだ。
ラジクの地元は領主に認められているため、お金が貰えるが、他の地方ではそういう加護がない地域もあるという。そういう地域はやはり地元の者達がお布施をしているという。
いずれにせよ、死人使いは人々に望まれることで続いている職業なのだ。

ラジクが縄ばしごを下りていくと、いつものように籠が差し出された。籠を見ると、パン、ミルク、ハムが入っていた。

「この間、スティールが来ただろ?」
「……キルルを…」

霊との交感に慣れたラジクは生きた人間との交流が苦手だ。喋るのがヘタなため、言葉足らずになってしまうのだ。

「そう、キルルを連れてきたヤツ。あいつがな、サフィ経由で葬儀代を送ってきた」

籠に入っていると言われ、籠の中をよく見ると、確かに布包みが見えた。

「……町長に……」
「判ってるって。町長に貰ってるんだろ?そっちはそっちでサフィが行った。いずれにせよ、キルルの家の問題とかあるからそっちの処理もするって言ってさ」

キルルことウィダーの家はウィダーが戻ってくる意思がないこともあり、サフィールが貰うこととなった。ウィダーの後継人はサフィールの兄スティールであるため、行政上の処理はしやすかったが、遺産の問題など様々な手続きが必要であり、そのためにサフィールは町長の下へ出掛けたのだという。
当初、亡くなったチルルとクルルには身内がいないと考えられていたため、葬儀にかかる細々としたお金は町長が支払う予定だった。身内がいない者の葬儀は通常そうやって行われるのだ。そうして遺産や住まいがある場合はその一部を町長が貰い受けるのだ。
しかしウィダーという身内がいたことが判明した。
そのため、ウィダーの後継人であるスティールが代理でお金を支払うと申し出たという。

「貰っておけよ。スティールが全部払うって言ってるんだし、なんか、高給取りだから問題ないらしいぞ」
「……そうか」

スティールの実家とラジクの縁は深い。薬師であるスティールの実家は医師も兼ねているので、彼等の手に負えなくなった場合、ラジクに連絡が来るのだ。
そして万年樹の近くに植えている草の中には薬として使えるものもある。その草のやりとりも行っている。
病によってはラジクも要請を受けて協力することもある。闇の気を治療に使う場合が希にあるのだ。

他愛のない話をぽつりぽつりと交わしていると、横から声がした。

『大丈夫だ、脈有りだ』
『そうそう、この子はアンタが好きなんだから問題ないんだよ』

完全に野次馬だ。
しかもラジクにしか見えず聞こえない辺りが妙に質が悪い。
霊たちを意図的に無視していると、ライルードが同じ話をし始めた。ラジクは霊の話を聞いていることがあるため、他人にはぼんやりして、聞いていないように感じられるらしいのだ。
ラジクが小首をかしげるとライルードは聞いていると気付いたらしい。苦笑顔で肩をすくめた。

『取り憑いて、お前の目の前で自慰させてやろうか?』

ルムゥが質の悪いことを言い始めた。さすがにそれはライルードが気の毒だろう。

(それじゃ悪霊と変わりがない……)

ただ一人、会話に加わってこないシイをちらりと見ると、視線に気付いたシイは軽く頷いた。

『本当に彼はお前が好きだぞ』

今日は珍しくシイの意見を多く聞く日だなとラジクは思った。しかし無口なシイまでそう言うのなら本当なのだろう。根拠無く意見を言う相手ではないからだ。
一体何を根拠にしているのか知りたい気もするとラジクが思っていると、ライルードが帰ると言いだした。何度もぼんやりするラジクにしびれを切らしたらしい。

『彼はお前を想いながら自慰をしていたことがあってな…』
「俺を思いながら自慰……?」

霊にだけ聞こえる声で呟いたつもりがはっきりと口に出ていたらしい。ライルードが目を見開いた。

「……なんで…知って……」

どう答えるかと思いながら彷徨った視線は自然と発言者のシイへ向かった。
結局のところ、ラジクも少々混乱していたのだ。思いもかけない台詞を口にしてしまった動揺が彼なりにあったのだ。
しかしラジクの視線が霊に向けられたものであるとライルードは気付いたらしい。真っ赤になったライルードは逃げだそうとした。それを止めようとしたラジクだったがラジクよりも霊の方が早かった。むしろ身構えていたようだ。

ライルードに入り込んだのは悪戯好きのルムゥだ。体を乗っ取ったルムゥは早速、腰のベルトに手をかけた。