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◆死人の子(2)

特定の条件下で強い未練を残して亡くなった霊は時折、悪しき霊となる。
数は多くないが、皆無ではない。
そういった霊は周囲に悪しき影響を与えるため、強引に浄化せざるを得なくなる。

その依頼を受けたのはラジクだけではなかった。
地元貴族の領地には幾人かの死人使いがいるのだ。死人使いが保護されている地であるため、比較的絶えずに続いている地域とも言える。
しかし、依頼に応じたのはラジクを含めて二人だけだった。葬儀が重なっていたり、高齢で難しかったりと、それぞれの事情があり、応じられなかったらしい。
ラジクは問題が起こった山中でその相手と合流した。
その相手はラジクより数歳年上の青年でラージと言った。黒い髪、青い瞳をした冷たい雰囲気の青年で、複数のポケットがある黒いロングコートを羽織り、背には小さなリュックを背負っている。
一方のラジクは普段通り、狩人姿である。普段との違いは弓矢がなく、大きめの巾着型バッグを背負っているところだろう。

「移ろう影…か……近くに現れたのは久々だな」

ラジクが呟くとラージは頷いた。
二人の間には何ら縁がない。同じ領主の元にいる死人使いとはいえ、住まう場所が離れているのだ。会おうと思えば会える距離だが、仕事などで協力し合うような距離ではない。こういった依頼でもなくば、会う機会はないのだ。

「さて…呼ぶか封じるか……」

ラージが低く呟いたとき、弦が切れたような独特の音が響き、二人は同時に空を見上げた。

「魂が飛んだ」
「死んだな。……北北西だ」

死人使いは独特の感覚を持つ。死人の姿が見えて、その声が聞こえるように、他の印の者には見えないものが見えて、聞こえるのだ。
人が死んだときに聞こえる音もその一つで、死人使いにしか聞こえない音だ。

「近い。追いつけそうだ」

ラージはポケットから紐を取り出した。複数の色がついた糸を束ね、編み込んであるその紐は死人使い独特の品だ。そしてその紐には小さな鈴が複数つけられている。
ラージはその紐を片手に持って歩き出した。小さな鈴はコロロロンと鈍い音をたてていく。
普通の人間ならばかろうじて聞こえるような鈍い音。しかしその音は霊にとっては大きく響く。そしてその霊が起こす反応がラジクたちに伝わってくるのだ。

「…いた」

半刻ほど歩いた山中に問題の霊たちはいた。木々の間に半透明の影が見え隠れしている。十数体前後だろうか。戦士か騎士か、いずれにせよ戦いに身を置く者達の霊だ。
その霊の足下には倒れた初老の男の体がある。側に籠があるところを見ると山菜取りにでも来ていたのだろうか。しかしすでに生の気配はない。霊に殺されたのだろう。

「珍しいな…」

ラージが呟く。全くだとラジクは思った。
問題の霊たちが戦士や騎士の霊だったことだ。
戦場に身を置く職業の者は滅多に未練を残さない。どんな事情があれ、それなりに死の覚悟をしているものだから、この世にしがみつく者は少ないのだ。

「時間がかかりそうだな。封じる。……何体、持つ?」
「三体」
「俺は二体。ならば余裕だな。四方を囲むぞ」

ラジクが見る前でラージの体から二体の霊が現れる。一人は中年の女性、一人は老齢の男だ。二体の霊はラージが生み出した青白い炎を持って飛んでいく。
同じようにラジクは体から三体の霊を出した。シイ、ミミ、ルムゥだ。そのうち老婆の霊であるミミ以外の二体がラジクから青白い炎を受け取り、空を飛んでいく。
過去の死人使いである霊は状況に応じて、生きた死人使いに協力してくれる。そのため死人使いは必ず何体かの霊を持つ。
計四体の霊は問題の悪霊たちから、やや離れた場所にそれぞれ降り立つと、四方を取り囲んだ。

「よし、いくぞ」
「あぁ……生と死の神、我らが母、ガルヴァナよ……死と生の狭間に立つ仲介者にその加護を与えたまえ。風無くば、音の檻にて、音無くば、光の檻にて、彷徨いし魂を封じたまえ…」
「不脱不動(ガル・ヴィダ)!!」

ラジクとラージは同時に印を発動させた。それぞれの霊が持つ青白い炎が白く変化する。これで霊たちは白い炎より先に進めなくなった。

「さて……恨み辛みあるだろうが……それは置いておいてもらおうか…」

ラージの言葉に霊たちは怒り狂った様子でどうにか囲みから出ようとしている。
悪しき霊が大きく口を広げると負の気の煙のようなものがそこから飛び出して、飛んでいく。普通の人間ならば炎を食らったような痛みを受けることになるものだ。しかしそれもまた眼に見えぬ囲みに遮られ、ラージたちにあたることはない。

「よほどの恨みがあると見える……」

ラジクはぽつりと呟いた。
悪しき霊が吐く、負の気が濃い。それだけ恨み憎しみといった負の感情を持っている証だ。
しかしその恨みを晴らしてやることはできない。恨みは恨みを生み出す。終わることのない連鎖を生み出すがゆえに恨みを恨みで晴らすことは死人使いには禁じられているのだ。
ゆえにラジクたちにできることは恨みを聞いてやり、浄化させて輪廻へ戻すことだけだ。

ラージが鈴のついた紐を胸の前でピンと張るように持つと、ラジクは応じるように荷物の中からブレスレッドサイズの輪を取り出した。金属製の細い輪にはラージの品と同じように複数の鈴がついている。違いはラージの鈴が黒色、ラジクの鈴が銀色であることだろう。
ラージは己が連れてきた霊のうちの一体の前に立つと小さく鈴を鳴らし始めた。

コロロロンと鈍い音が静かな山中に響く。
その音に交えてラージの声が響いた。

「怨恨に染まりし魂が行き着く果ては、風の塵か、沈み行く闇の底。いずれにせよ、安息の地ではない。我らが出来ることはそなたらへ忘却を与えることのみ。そなたらを苦しめる悪しき記憶、貰い受けるぞ……森羅万象の命、大地を支える命、慈悲に満ちた命よ、輪廻の道を外れし、人の子の魂の負に捕らわれし悪しき記憶を包み、我が元へ来たれ。邪睡魔脱(ログ・ヴェラ)!」

ラージの腕が銀色に光り、鈴がぼんやりと光を纏う。
すると悪しき霊たちに変化が現れた。一体、また一体と霊たちの体内から黒い煙のようなものが現れ、ラージの持つ鈴に吸収されていく。
それは煙が現れなくなるまで数分間続いた。

やがて、コロロロンという鈍い音が消えたのを確認し、ラジクは両手を打った。
印が発動し、シャランという澄んだ音とともに霊たちを取り囲んでいた囲みが消える。
囲みを生み出していた四体の霊はそれと同時にその場を動き、それぞれラジクとラージの体へ溶け込むように戻っていく。

そしてラジクは両手のブレスレッドサイズの輪を振り上げた。
シャララランと、今度は澄んだ音が響き始める。
黒き煙のようなものを抜き取られた霊はその音とともに徐々に姿が薄くなっていく。
ラージに恨みや苦しみなど、この世に未練を残す原因となった記憶を消された霊たちが、天へ還っていくのだ。
やがて一体も残さず、霊が消えたのを確認し、ラジクは腕を下ろした。

ラジクは現場でそのままラージと別れた。
ラージは己の鈴をそのまま持って帰っていった。
恨み苦しみなど悪しき感情に満ちた気を吸収した鈴は、その後、浄化されることになるだろう。火、風、水、土、緑。主要などの力でも浄化は可能だが、一番手っ取り早いのは火だ。香木や清めの草を燃やすことで生み出した炎ならば確実に悪しき気は浄化されることだろう。