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◆サフィールの港町日記(5)

耳ウサギ亭へ戻ると別の患者が二人待っていた。
ため息混じりにその二名を診た後、遅めの夕食を取っていると笑顔の店主に話しかけられた。

「冒険者ギルドに入らないか?」

(何だと!?ついにフリルか…!この男、エプロンを何枚持っているんだ!?)

白いフリル付きのエプロンをした店主に対し、心の中で叫びつつも顔は無表情でサフィールは首を横に振った。

「俺は薬師だ。冒険者じゃないし、冒険をする気も全くない」

断りつつ、サフィールは酒を飲んだ。ややキツイが美味い酒である。それは店主の奢りであった。どうやら先ほどの患者二名から仲介料を受け取ったらしい。しっかりものの店主である。

「可愛い子を紹介するからさ」
「俺は故郷に恋人持ちだ。運命の相手だ」
「相印の相手までいるんだ。さすがだなぁ」

何がさすがだと思いつつ、サフィールは焼いた魚を食べた。さすがに港町。魚料理はみな、絶品だ。

「けどさぁ、このままじゃマズイと思うよ。君、名前が売れすぎだ。貴族に出てこられちゃ困るだろう?冒険者ギルドに所属していたら、ギルドが仲介してくれるからメリットあるよ」

名前だけの登録でもいいからやったらどうだ?と店主。
いつの間に名前が売れたんだとサフィールはしかめ面になった。名を売った覚えもなければ、有名になってしまうようなこともやった覚えがない。原因はむしろ目の前の相手ではないだろうか。
どう答えようかと思っていると、店主がいきなり顔をしかめた。
薬師はいるかと問われて振り返ると見るからに店には不釣り合いの貴族服を着た青年が立っていた。

男は男爵領の後継者だという。たまたま用があってギランガに来ていたらしいがわざわざ足を運んでやったのだからありがたく思えと言わんばかりの態度だ。
貴族が現れたために周囲は緊張した様子でさきほどまでの喧噪が嘘のように酒場は静まりかえっている。
サフィールは荷物の中から兄に預かった紙切れを取りだした。まさか使うとは思わなかった品だ。
サフィールは紙切れを男に突きつけた。

「俺の兄は紫竜の使い手でこのギランガの後継者とも知り合いだそうだ。七竜の怒りを買いたくなくばとっととこの店を出て行け」

男は唖然とした後、青ざめ、しどろもどろになって店を出て行った。
サフィールは紙切れを折りたたむと荷物へ戻し、食事を再開した。

「驚いたな。あの七竜の使い手の弟なのか。なるほど、さすがだなぁ」

何がさすがなんだとサフィールは思った。

「それじゃ冒険者ギルドには誘えないなぁ」

ギルドより遙かに頼りになる後ろ盾じゃないかと店主。
スティールが後ろ盾だなどと思ったこともないとサフィールは思った。兄は後ろ盾というより厄介事払いの看板程度だろう。
家を留守にしたまま、滅多に戻ってこない兄だ。たまには役に立ってもらわないと困る。

そんなことを思っていると後ろで大きな物音がした。振り返るとテーブル席に座っていた客の一人が倒れていた。様子がおかしい。

「急性のアル中だな」

水を持ってこいと叫ぶ周囲を止め、サフィールは軽く手を動かすと倒れた男の背に『毒障浄化』を発動させた。

「うぎゃあああああああっっ!!!」

この世のものとも思えないような情けない悲鳴が大男の口から漏れる。
全身からアルコールを抜き取られているのだ。
わざと痛みを消さずに印を発動させたサフィールは無表情だ。
周囲の酔っぱらいは皆、青ざめてその光景を見ている。

「わめけ、叫べ。すべて飲み過ぎたテメエが悪い」

淡々と告げ、容赦なく摂取しすぎたアルコールを抜き取るとサフィールはピクピクと痙攣する男を見下ろした。

「これで死ぬことはない。あとは水分を取って眠っていろ」

アルコールを消す『毒障浄化』はサフィールの得意技だ。故郷でも祭りのたびにやっていると言っても過言ではない。飲み過ぎを警告するためにわざと痛く行うのは先祖代々受け継がれてきた方法だと聞いている。行うたびに男の情けない悲鳴が響き渡るのもお約束だ。

「ひゃあ、怖いねえ……」

一部始終を見た店主が青ざめて体を震わせる。

「飲み過ぎたら言え。死ぬよりマシだろう」

酒場とは思えぬほど静まりかえった店内にサフィールの冷酷な言葉がありがたみも何もなしに響き渡ったのであった。