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◆サフィールの港町日記(2)

(なんてデカイ町だ………)

港町ギランガへの感想はそんなものであった。
王都も広かったが、王都は桁外れに広すぎたせいでかえって印象がない。
しかしギランガも十分広かった。さすがに国内一の港町と言われるだけはある。活気に溢れた町は勢いがあり、大変賑やかだった。
そして町への印象よりも生まれて初めて見る海が一番衝撃的だった。

(どこまであるんだ、この水……)

とにかく延々と続く大量の水。視界の果てまで水が続いている。
故郷の川しか知らないサフィールには信じられない光景であった。

しばし呆然と海を眺め続けていたが、そんなおかしな旅人にギランガの人々は慣れているのだろう。ただ延々と海を見続けるサフィールは声をかけられることもなかった。
そんなサフィールが我に返ったのは叫び声が聞こえたためである。

「医者!!医者はいないか!?怪我人がいるんだ。誰か来てくれ!!医者―っ!!」

必死な様子で叫びながら、周囲を見回しつつ足早に走る男にサフィールは振り返った。

「おいっ!!」

声をかけたが、聞こえなかったのか、男は去っていく。
追いかけようとすると、近くに立っていた日に焼けた屈強な男に肩を掴まれた。

「あんた、医者なのか?ヤツは『耳ウサギ亭』から出てきた。そこへ行ってやるといい」
「そこはどこだ?俺は地元じゃないからわからん」

男は立ち並ぶ建物を指した。

「その店の並びを歩いていけ。ウサギの耳の形をした看板が目印になる」
「……判った」


++++++


店はすぐに見つかった。それほど離れていなかったのだ。
いかにも酒場という作りの店内は魚臭く、魚を焼く煙で少し煙かった。
丸テーブルと椅子が雑然と並ぶ店内は海の男たちを客層としているのか、それらしき姿の男達が数人ほど見えた。
目的の人々はすぐに判った。人だかりが出来ており、その中には鎧を着た女性や革鎧を着けた男たちがいて、何かを囲んでいるようだった。

「おい、ここに医者を探しているヤツいるか?」

声をかけると人々はすぐに振り返った。

「あんた医者なの!?」

鎧を着たスタイルの良い女性が慌てた様子で問うてくる。
サフィールは頷いた。

「医者じゃなくて薬師だ」

サフィールが正直に答えると女性は顔を曇らせた。

「そう……あいにくだけど薬師じゃ追いつきそうにないわ」
「見せてみろ」

サフィールが言うと周囲の人々は素直に退いてくれた。薬師でもいないよりマシと思われたのだろう。
床に倒れていたのは男だった。二十代半ばだろうか、しかし酷く顔色が悪い上、痩せている。傭兵らしき身なりからして元は屈強な男だったのかもしれないが、着込んでいる服が緩く見えるほど痩せていた。

「何故放置していたんだ?これじゃ症状は元から出ていただろう?」

サフィールが問うと女性は涙目になり、もう一人の男は顔を曇らせた。

「海の上だったのよ!海賊にやられたの。ティスコよ!!」
「さきほど船がやっと着いたところでな。今から部屋に連れて行き、医者を呼ぶつもりだった」

ティスコというのは海賊の名だろうか。サフィールには判らなかった。
しかし海賊にやられ、海の上だったのでろくな治療ができなかったということなのだろう。

「……それは不運だったな」

服を脱がせて巻かれた包帯を剥ぐと腹部の膿んだ傷口が現れた。よく今まで持ったというべきだろう。敗血症などで死ななかっただけ運がいい。しかしもう限界だ。

「……逆だ。運がいい。よく死ななかったものだ」

サフィールは印を発動させた。
腕全体が緑色に輝き、その腕から別の腕が現れる。緑色に輝くその幻の腕は触手のように腕から伸び、傷口へ近づいていく。
一つの腕がするりと腹部に入り込むと腹部に魔法陣のような光の図が現れた。
すると腹部からぽこりぽこりとどす黒い血が空気のように浮かび上がっていく。腐った血と膿を取り除いているのだ。

「『聖ガルヴァナの腕!?』」
「あの魔法陣は『毒障浄化』だろ?すげえ……二重印技だ」

一つの技を発動させながら別の技を発動させるのは、一気に難易度があがる。
聖ガルヴァナの腕と呼ばれる技は自らの生気を変化させ、代理の腕を生み出す技だ。生気で作られているために傷口や内臓を痛めることなく触れることができる。
そして毒障浄化は文字通り体を害するものを体から排除する技だ。高い集中力と癒しの力を必要とする技である。
集中しているサフィールは周囲のざわめきが聞こえなかった。

「内臓も傷ついているな……縫合しなければならない」

サフィールが呟くと光り輝く幻の腕が分裂するかのように増えた。その増えた腕はそれぞれが細い糸のようなものを指から吐き出していく。光の糸は膿んだ傷口に入り込み、傷口を傷つけることなく縫合していく。

「光印縫合!?」
「すっげえ……初めて見た……」

周囲にざわめきが起きる。
光印縫合と呼ばれる緑の印の技は上級印技の一つであり、使い手が少なく難易度の高い技として知られている。
その光の糸の正体は生気だ。すべての生き物に存在する生気ゆえに傷口を痛めることなく縫合していくことが出来るのだ。
しかし本来すぐに消える生気を長時間保たせるよう変化させ、傷口を痛めることなく縫合していかねばならないため、大変難しい技なのだ。
それほど難易度の高い技を別の技である聖ガルヴァナの腕で行いつつ、サフィールの目は傷口を冷静に観察していた。
しっかりと傷口の縫合を終えるとサフィールは己の肩掛け鞄を手にし、中から消毒液を取りだした。
薬師の基本としてこれだけはいつも持ち歩いている。
強い殺菌力を持つ消毒薬を容赦なく傷口にかけ、更に土色の塗り薬を傷口に塗り、新たな包帯を巻くと治療の終了だ。

「よし。……本当に運がいい……その日の内に死んでいてもおかしくなかったぞ」

サフィールがそう告げると男の連れである者達や周囲の客から歓声があがった。

「すげえな、兄ちゃん!」
「若いのに腕のいい医者なんだな。聖ガルヴァナの腕は初めてみたぜ」
「あんたみてえな腕のいい医者がうちの船にも欲しいもんだ。一緒に乗らないか?」

気の良い海の男たちに誘いを受け、サフィールは苦笑した。
サフィールの実家はどちらかと言えば山の中にある。海は生まれて始めてみたのだ。はっきりいって到底船には乗る気がしない。あまりにも未知すぎて恐怖心すら浮かぶほどだ。

「ありがとう。あの…ダンテは大丈夫かな?」

怪我人の連れらしき男に問われ、サフィールは床の男を見下ろした。

「大丈夫かと言われれば大丈夫じゃない。ハッキリ言って死んでいてもおかしくなかった状態だ。死の一歩手前で引き戻しただけだ」

正直にサフィールが告げると男たちは絶句した。

「だが傷の治療はした。あとは彼の体力次第だ。どろどろの状態にした消化の良いものを食わせて安静にしておけ。できれば化膿止めと熱冷ましと痛み止めを飲んだ方がいいんだが…」
「薬師なんでしょ?売ってくれない?あんたの薬なら信頼できるわ」

サフィールは顔をしかめた。

「信頼してもらえるのは嬉しいが俺は材料を買い付けに来たんだ。材料が買えればできないこともないが…」
「んじゃ俺が紹介してやるよ」
「マスター」

紹介すると申し出てくれたのは店の店主だという30代に見える痩せた男であった。

「いいもん見せてもらったからな。それに俺の知り合いの店で買ってくれるのならこっちとしても嬉しい。地図を書いてやるから行ってくるといい」

サフィールは困惑した。喜んでいいのかどうか迷ったためである。
性格的に悪いようには見えないが店主だという男が身につけているピンクのウサギをモチーフにした愛らしいエプロンが信頼して良いのかどうか迷わせた。趣味だとしたら特異な趣味だし、真面目そうな男が身につけるのに相応しい品ではない。

「あ、大丈夫よ。店主は可愛い物が大好きなだけだから。信頼できる人よ」
「酷いな、エリザ。どういう意味だい?」

嘆きつつも店主は気にした様子はない。そういう反応に慣れているのだろう。

「じゃあ頼む…」

元より、信頼できる店を知っているわけではない。それにその店で買う材料で薬を作るのだ。怪我人の仲間達が信頼できるというのなら信じてもいいだろう。そう思い、サフィールは頷いた。