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◆サフィールの港町日記

医師と薬師は違う。
しかし、田舎では医師と薬師を兼ねている者が多い。
この世界において、この二つの職は代々受け継がれていくことが多い職だ。長い鍛錬と豊富な知識を要する職業のため、幼い頃から親について見て学び、その知識と技術を体で吸収していくのだ。
サフィールも同じで両親の仕事を幼い頃から見て育った。
薬師である彼の家には千を超える数の材料がところせましと並び、匂い、触感、色などで覚え、一滴、一さじというわずかな量の調合を秤やさじなどを使い、行う。
しかし当然、薬では補えない場合もある。その場合、印を使って治療をするのだ。
緑の印の家系であるサフィールの家は医療技術としての印の技が受け継がれている。
両親から緑の上級印を受け継いだサフィールもその技術を受け継いだ。
サフィールが暮らす田舎町にはサフィールの家しか薬師も医師もいない。軍人となった兄は戻ってくる様子がない。そうなると後継はサフィールだ。故郷の人々の命と健康を守り続けるのがサフィールの薬師としての役目だ。

きっかけは兄の土産物であった。
兄は王都の店から薬の材料になりそうなものを幾つか買ってきてくれた。
知る物もあれば、知らない物もあった。
その中の一つ、センジュ草という植物の根が心臓の病によく効くと知り、サフィールはセンジュ草の根がもっと欲しくなった。

「うーん、舶来品らしいよ。だから港町に行けばもっと手に入ると思うけど」

港町と言えばギランガだろう。国内最大の港町であり、東の大きな海から様々な国の品々が届くことで知られている。しかしギランガはミスティア領の東の一角にある。距離はかなりあるのだ。簡単に行ける地ではない。
サフィールは最初行く気はなかった。手に入らないなら入らないで仕方がないと思ったのだ。無理に手に入れずとも、手元にある薬効がある品々で何とかするのも薬師の腕の見せ所だ。
しかし、騎士になった兄が仕事で行ったというギランガから買ってきてくれた土産物を見て気が変わった。種類と効力に目を奪われた。兄が買ってきてくれたのはほんの十種類ほどだったが、サフィールの目を奪うのに十分な魅力を持つ材料だったのだ。

(もっと見てみたい……)

サフィールは迷った。
ギランガは遠い。とにかく遠いのだ。簡単に行ける距離ではない。
足の速い馬を持っているわけでもないので、乗合馬車を乗り継ぎながら行くことになるだろう。田舎から行くわけなので直行便があるわけでもない。この世界の交通の便はよくないのだ。
南の田舎町である故郷すらろくに出たことがないサフィールは出不精だ。仕事以外で家をでることはほとんど無く、大抵の用事を仕事で出たついでに済ませてしまう。
そんなサフィールにとって、ギランガ行きは一生を左右するほどの大事業だった。大げさに思われるかもしれないが、サフィールにとっての遠出はそれほどの決意を要するものであった。
ハッキリ言って、遠出はしたくない。億劫だ。
しかし同じぐらいの魅力があり、サフィールは迷った。
そんなサフィールを後押ししてくれたのは兄と父であった。

「費用なら出すよ。お前には世話になっているし、父さんたちのことお前に任せっぱなしだしさ」

兄はそう言ってくれ、父は

「大胆なことは若いうちしかできないものだ。やってみたいのであれば行ってこい。いい経験になるだろう」

そう言ってくれた。
結果的に彼等の意見がサフィールの背を後押しする形になり、サフィールは長旅を決意した。