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◆砕けぬ夢を見る(8)

ステファンは二十代後半の近衛騎士である。シードの部下だ。
彼は友人に誘われ、歓楽街に来ていた。
歓楽街は普段以上に賑わっている。南方での大きな戦いが終わり、軍が戻ってきているからだ。

(けどあまりたちがよくない連中も増えてるな)

ステファンはそう思う。騒いでいる男達の中には一般兵が混ざっている。

一般的に、戦いに出るのは騎士と一般兵だ。いわゆるエリートである騎士は士官学校へ行き、競争率の高い試験に合格しなければ入れないが、歩兵である一般兵は志願兵と徴兵された兵の二種類の兵がいる。
一般的に領主軍には徴兵があり、近衛軍は志願兵のみだ。そのため、優秀な人材は近衛軍を受け、志願兵として採用されることが多い。近衛軍が強いと言われる所以はここにもある。

「放っておけ。きりがないぞ」

階下を気にしているステファンへそう告げる友人達はそれぞれ楽しげに飲んでいる。騎士はエリートだ。当然金も持っているし、マナーを叩き込まれているので店側にも歓迎される。
ステファンたちは店主に多めの金を払って、店の一角を貸し切って飲んでいた。本来なら娼婦達が接客するのだが、ステファン達は気兼ねなく酒を飲みたいとわざと断っていた。娼婦街は酒場ではない。本来ならそういった行為は歓迎されないのだが、金払いがよく、マナーのよい騎士であることがそれを可能としていた。店としても娼婦達が相手を務める以上に十分な金額をもらったため、文句はないのだろう。運ばれてくる酒や料理は上質のものばかりだ。
ステファン達が入った『ガ・ラーノ』は大きな店で一階席と二階席に分かれている。二階席は中央が吹き抜けになっているため、一階席が見える。逆に一階席からは二階席が見えにくい作りとなっている。当然ながら二階席の方が上席であり、金額も高い。
騎士は娼婦達にも人気がある。エリート騎士の相手をしたいのだろう。娼婦達からは時折熱い視線を投げかけられている。上客である騎士は客としても最上位の部類に入る。玉の輿としても貴族より遙かに身近な為、歓楽街では何処へ行っても歓迎を受けるのだ。

……が、そのエリート騎士が会話の内容までエリートとは限らないのである……。

「そしてあのときシード様は私に気遣いの言葉をかけてくださり……」
「おお、さすがシード様」
「あの素直じゃない態度がまた何とも言えず」
「判るぞ!判るぞ!」

ステファンは同僚達の会話を聞きつつ、小さくため息を吐いた。

(……彼女たちもこいつらがこんな話で盛り上がっているなんて、想像もしないんだろうな)

ステファンはややうんざり気味にそう思った。
先ほどからステファンの耳に入ってくる話題は、ある上官の話ばかり。それも一般的によくある愚痴や不満ではなく、好意の籠もった語り合い。それもただの『好き』という好感よりも『崇拝』に近いのではないかと思えるほどの熱意が籠もっている。
到底、エリート騎士の話題とは思えぬ内容だ。

「そこでな、シード様は我々の身を案じてくださり……」
「あのときのシード様は目立たぬ仕事でも文句一つ言われず……」
「我らの身を気遣ってくださったのだ!あの眼差しが何ともいえず……」

シード様、シード様と語り合う友人たちは全員がシードの部下、もしくは元部下たちだ。
全員がシードに好意を持っており、何かあれば命を投げだしても構わないという勢いのおっかけっぷりだ。
ちなみにステファンもシードの元部下だ。ステファンもシードには好感を抱いている。ただし、人並みの好意だ。少なくともステファン自身はそう思っている。
シードは口は悪いが腕がよく、部下のこともよく見てくれている上司だった。性格の悪い貴族に一方的に求愛されている部下のために影で動いてくれたり、書庫の掃除を命じられて、その大量の書物に途方に暮れていたら、腕の良い文官を応援に寄越してくれたりとさりげない気遣いをしてくれる人だった。現在は出世してしまい、直属の上官ではなくなったが、彼のためなら動こうと思える。ただ、周囲の友人たちほど盲信ではないが。

周囲の他の客たちもエリートである近衛騎士が集まっているせいか、近くの席にはやってこない。遠慮するように一つほど開けた席に座っていたり、時折、興味深そうに視線を向けてくる。客がついていない娼婦は呼ばれるチャンスを待ちかまえるかのように熱い眼差しを投げてくる。
娼婦を近づけていないので、真面目な語り合いでもされているようだと思われているのだろう。時々酒を持ってくる店員は、やや離れたところでトレーを持ち、こちらが気づくのを待ってから席へ近づいてくる。
確かに真面目な語り合いではある。少なくとも語り合う者達は大まじめだ。内容は特殊だが……。

(……ん?)

階下では少々騒ぎが起きているようだ。どうやら客の一人が別の客に絡まれたらしい。
さきほどから不穏な空気があったので、とうとう騒ぎが起きたかと思いつつ、退屈しのぎに眺めていたステファンは絡まれている側の客に見覚えがあることに気づいてソファーから立ち上がった。

「ステファン?」
「おい、どうした?」
「下の喧嘩を仲裁でもする気か?やめておけ」
「その通りだ。この手の騒ぎはきりがないというものだ」
「店の護衛が何とかするだろ」

シードへの熱い語り合いに盛り上がっている友人達は素っ気ない。
ステファンは二階席の柵を乗り越えながら、グラスを階下に投げつけた。

「絡まれてるのはシード様だ、馬鹿共が!」

背後に声をかけて飛び降りる。
なにぃ!?という驚愕の声が後方であがっていたが、ステファンにはそれどころではなかった。

(シード様、今お助け致します!)

シードの為に即動き、周囲が目に入らなくなる辺り、しっかり彼自身、類友であることに気づいていないステファンであった。