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◆闇の手(4)

ウィダーは痛む体に顔をしかめた。教師達に恥さらしと酷く蹴られたのだ。体中に痣が出来ていることだろう。その打撲の痛みが素直に眠ることを許してくれなかった。
ウィダーに親の記憶は殆どない。かろうじて、よく殴られたことを覚えている。体の痛みは幼い頃の記憶を思い出させた。
親に捨てられた後は路地裏にいた。建物の屋根と屋根の間で夜露を逃れた。姿を見られると追い立てられる日々だったから、いつも人の目を意識して生きてきた。

なるべく見られないように。
罵声を気にしないように。
蹴られるときは腹を庇うように。
水は人が不在の夜遅くに井戸へ行くように。

クワイはそんな生活の最中に知ったのだ。重くのし掛かった不快な気持ちが消えることを知り、使うようになった。
ちょうどそのころ、士官学校からの迎えがあった。孤児を支援している教会の牧師がウィダーのことを国へ伝えてくれたらしい。ウィダーも衣食住が無料で与えられると知り、士官学校へ入った。
クワイはウィダーにとって身近な存在だった。ゆっくり寝るのにちょうどいい枕代わりのような存在だったのだ…。




「ウィダー、ウィダーッ」
「……シェイ…か?」
「あぁ、俺だ。馬鹿なことしやがって。水持ってきたぞ」
懲罰房の向こうに見えるのは唯一の友人とも言える相手だった。現在、ウィダーは厳罰を受けた身だ。会いに来るなどいい印象を持たれないに決まっている。どっちが馬鹿なことをしているのだとウィダーは思った。

「馬鹿…が…。さっさと帰れよ。見つかったら……」
「だが、ウィダー。お前何も食ってないんだろ?この上、水分さえ取らなかったら、本気で死ぬぞ。早く受け取れ」

迷いながらも水の誘惑は強かった。丸一日以上、満足なものは口にしていないのだ。金属製の水筒を受け取り、一口水を飲む。切れた唇に水は滲みたが、喉は潤った。美味しい。

「早く帰れ……見つかったら事だぞ…」

シェイは頷く。

「…会議が行われている。お前…もしかしたら放校かも…。ドルス先生が庇ってくださっているようだが……」
「当然だろ。俺は成績も素行も地を這ってるからな。おまけに能力も闇だ。幾ら選抜生でも俺なんざを置いておく理由はねえだろ」
「そういう言い方をするな。せめて卒業さえしたら士官学校卒業生って肩書きが手に入るじゃないか」

王都士官学校はレベルが高い。確かに卒業生というだけでも結構な箔が付くだろう。
俯いたシェイは小刻みに体を震わせている。泣いているのだろう。ウィダーの為に。
自分の為に泣いてくれている。そう思っただけでウィダーの胸が詰まった。今まで自分のためにこれほど感情を動かしてくれた人がいただろうか。

「ありがとな、シェイ」

ウィダーは初めて誰かに礼を言った。だがそれは同時に別れの言葉でもあった。
生まれて初めて手にした友と別れなければならない。それだけがウィダーの心残りだった。

「おい、ウィダー、大丈夫か?」

ウィダーの顔色は悪い。常習度の高いクワイを急に止めたために禁断症状が出ているのだ。

「…ぐぅ……っ……うう……」

体を丸く縮めて苦しげに呻くウィダーにシェイは焦った。しかし相手は牢の向こう側にいる。手を伸ばすことはできるが体に触れることのできる距離ではない。このままでは何もできないのだ。

(ウィダーを助けないと!!)

シェイは慌てて人を呼びに走った。




「貴重な薬を罪人なんかに使えるか。それでなくても麻薬の為の薬などない。だから禁じられた品なんだ」
医務室の医師は素っ気なかった。
輝かしい歴史を誇る王都士官学校を汚した生徒だと苦々しげな表情だ。

「ですが、ウィダーが死にそうなんです!!人の命がかかってるんですよ!!」
「無駄だと言っているだろうが。そもそもお前もお前だ。懲罰棒に入っている生徒に勝手に会いに行くなど校則違反だ。大人しく部屋で謹慎でもしていろ!!」
「……っ、ですがっ」
「あの生徒はどうせ放校処分となる。そうなったら好きなだけ麻薬でも食わせればいい。そうしたら禁断症状は治まるだろうよ」

そもそも麻薬に手をだした方が悪いのだと教師は素っ気ない。
確かにその通りだ。そういう意味ではウィダーが悪い。
しかし苦しむ生徒に何もせぬ教師にシェイは腹が立った。悔しくて悔しくて仕方がない。

(麻薬を使えば禁断症状は治まる……)

そういえばウィダーは一体どこでそれを手に入れていたのだろうか。

「おい、シェイ。大人しくしていろよ。最近は軍からの視察も多い。いい生徒でいればお前は成績もいいからよいところへ入れる。引き抜きもあるかもしれない。そうなったらこの学校にとっても名誉なことなんだからな。愚かな友が汚した罪はお前が引き抜きを得ることで補えるかもしれないんだぞ」

だから早まるなよと告げる教師にシェイは唇を噛んだ。
軍への引き抜き。この間来たような近衛軍などになると本当に譽れなことだ。どの生徒もそのような道を選んでいると言っても良い。けれど。

(ウィダーが苦しんでるのに)

身を縮めて蒼白な顔色だった友を思う。元々青白い顔が本当に血の気がなくなっていた。

(ウィダー…)

麻薬は罪だ。手にすることさえも。けれど…。
けれど、今は友を救いたい。

(何処にあるんだろ……)

ウィダーが今苦しんでいるのだ。