文字サイズ

◆闇の手(3)

人気のない士官学校の裏庭の一角はウィダー気に入りの場所だ。
校舎を背に座り込み、ウィダーはポケットから取り出した葉を噛んだ。
この葉の存在を知ったのはずいぶんと昔だ。今ではウィダーの必需品だ。
そこへ先客が木々の茂みから顔を覗かせた。青みがかった毛の黒猫はにゃんともすんとも言わぬまま近づいてきた。

『騒がしいねえ、何事だい?』
「…さぁな」
『おやおや、運命の絡み合う道が見えるよ』
「何言ってんだ?ババァ…」

フェフェ婆というのが彼女の名だ。普段は猫に取り憑いている。ウィダーは士官学校へ来て初めてまともな会話が出来る霊に出逢った。
フェフェ婆というその霊は自分でも覚えていないほど長く士官学校へいるのだという。
一度その姿を見たことがあるが、黒い霧のような中にうっすらと老いた顔が見えるという感じだった。老婆はあまりに長い時を経てきたために実体も朧気になっているようだった。
彼女は暇つぶしだと言って、時折ウィダーに話しかけてくる。
クワイの葉のことはいつの間にか知っていた。精神集中に良いという葉は噛むと落ち込んだ気持ちが楽になる。甘さの中に苦みがある。そんな微妙な味が口の中にじんわりと広がる。なじんだ味だ。
その葉は確かにウィダーへ安らぎを与えてくれた。

『そなたの行く道が見えるよウィダー』
「へー」

近い未来に会う運命の相手のことを知るはずもなく、軽く聞き流すウィダーだった。




クワイは一年草だ。種もたっぷり取れ、痩せた地でもよく育つので育てやすい。
元々は鎮痛剤などに使われていた薬草だ。
麻薬として広まったのはごく最近だ。葉を噛むと滲み出る汁が高揚感を生み出すのだ。
麻薬としての効力はさほど強くないが、入手しやすい分、広まりやすくて質が悪い。若年層にまで広まったのをきっかけに、最初は放置していた国々も今では当然のごとく取り締まっている。

校内は騒がしい。近衛騎士の中でも名の知られた騎士たちが士官学校を訪れているからだ。

(千壁に炎剣か…)

ウィダーはその二人をよく知らない。理由は単純明快。興味がないからだ。
シェイが教えてくれた話によると若くして地位を駆け上がった優秀な騎士であるらしい。見目もよく、腕も立ち、部下にもよく慕われているという。

(俺とは大違いだな。天と地の差だ。ま、当然だが)

窓からちらりと見た二人は地位のある騎士らしく長いマントを羽織り、数人の部下を前に堂々としていた。噂通りずいぶんと若いらしいことは遠目からも判った。存在感の大きさは歴戦の猛者である証だろう。厳しい闘いを生き抜いてきた自信が彼等から滲み出ているのだ。

(俺とは大違いだな…)

シェイのように単純に憧れることもできない。あんな風になれるとも思わない。あまりも輝かしくて遠すぎて、別世界のように見えた。

(あんな奴らもいるんだな)

光の中で立つのが当然のように輝く者達。周囲の人々を惹き付けて放さない魅力を持つ輝かしき騎士。騎士の見本ともいうべきその姿は興味のないウィダーにも眩しく見えた。
一枚では足りなくて、二枚目の葉を取り出したとき、唐突に手を捕まれた。
しまったと思い、慌てて顔をあげるとやや短めの黒髪に青い瞳の美丈夫が立っていた。
長身だがゴツイ感じはない。爽やかで人好きのする印象の人物。

(…って騎士!?)

長いマント。騎士服のエンブレムは近衛第一軍。生徒の大半が憧れの軍として目指している人気の高い軍の一つ。そしてマントの止め方は騎士隊長位に許されている止め方だ。

(……まさか…)

男はウィダーの手から葉を抜き取ると軽く噛んだ。そしてしかめ面でウィダーを見つめる。

「間違いねえなぁ。…おい、お前。悪ぃけど、いろいろ聞かせてもらうぞ」
「…あんた…」

先ほど遠目に見た人物であることは間違いなかった。

「ん?俺は近衛第一軍、第二大隊の隊長。ラーディン・エルダーだ」




カイザードは士官学校に来ていた。情報収集のためだ。部下も二人ほど連れている。
同じくラーディンも来ていた。抜け駆け禁止、と言ってついてきたのだ。
本来二人が出るほどの問題ではないが、彼等の上官である第一軍のフェルナンは彼等が動くことに何も言わなかった。実力者を出して一気に片づけたいというのがあるのだろう。クワイは早急に手を打たないと一気に広まり、根強く残るのだ。
士官学校の窓には生徒が鈴なりだ。憧れの騎士を一目見ようと集まっているのだ。カイザードとラーディンは異名のある有名な騎士なので知っている者も多い。そのことも拍車をかけているのだろう。

「全く、子供にまで広まるとは質が悪い。…で、その生徒はどうした?」
「懲罰房に放り込まれてるぜ」

教師達は名誉ある王都士官学校の生徒がと憤慨していた。厳しい懲罰になるだろうということは予想が付いた。カイザードは顔をしかめる。

「気の毒だが放校は免れないだろうな。入手ルートは聞き出せたか?」

ラーディンは頷いた。

「あぁ。結構知ってた。けど放校にはならねえかも。教師の話じゃ闇の上級印持ちなんだそうだ。選抜生は絶対卒業させられるからなぁ」
「そうか」
「だが酷く病んだ目をしていた。ありゃ依存度高そうだ。他の麻薬よりは回復できるだろうが、ちゃんと治ればいいけどな…」
「そうだな。一旦軍へ戻るか。報告しないと」
「あぁ。スティールのトコへ戻ろうぜ」