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◆闇の手〜おまけ話〜


近衛第一軍の本営は王都の北地区にある。
士官学校も北地区にあるので、士官学校生にとっては一番近い場所にある軍だ。
しかし、近衛軍はエリートだ。希望したところであっさり入れる軍ではない。
特に近年の近衛第一軍は入団が厳しい。銀翼のフェルナン、紫竜の使い手スティールなど名のある騎士が将を勤めているので人気が高くなり、競争率が増しているのだ。
成績が底辺を這っているウィダーには、到底目指せるような場所ではなく、目指したところで入れるとは思っていなかった。そのため、本営に入る機会もないだろうと思いこんでいた。
それなのに。

(くそ、信じられねえ。わけわかんねえ…何なんだ、この状況は…)

雲の上の人間である紫竜の使い手に連れられて、近衛第一軍の本営を歩いているこの状況。
目の前のスティールは、すれ違う騎士に次々に敬礼されている。相手が副将軍であることを嫌でも思い出させる光景だ。
その紫竜の使い手は、時折、知り合いに会い、『その子供はどうした?』というようなことを問われ、俺の四人目の相手だよ、と笑顔で答えている。おかげで嫌でも視線に晒されることとなり、居心地悪いことこの上ない。他三人がそれぞれ有名な人物なので尚更、針のむしろ状態だ。

(あぁ、くそ、帰りてえ…)

しかし、逃れられそうにない。真後ろにいるのは炎剣のカイザードだ。前後を挟まれているために逃れられる状況ではない。
そうして連れてこられたのは本営の最奥にある将軍用執務室だった。この中にこの軍のトップがいるのだ。ウィダーにとっては近衛騎士というだけでも、ものすごくエリートに感じられるのに、この中にはそのトップなる人物がいるのだ。
今更ながら怖じ気づくウィダーに気付いたのか、スティールはふわりと笑むと、ウィダーの手をとって、扉をノックした。
優しい仕草、相手を思いやる笑みだ。彼はウィダーの心境に気付いているのかもしれない。
ただ、手を繋いでくれただけなのに不安が少し減ったことに気付いたウィダーは自分自身を不思議に感じずにいられなかった。手を繋いだだけだ。まるで大人と子供のような幼稚な行動だ。それでもこの手を振り払う気になれない自分が不思議だった。
そうして入った先にいた相手は驚くような美人と長身の男らしい容姿の騎士だった。
ウィダーはそれが銀翼のフェルナンと千壁のラーディンだと気づき、ますます自分の存在が場違いに感じられた。
スティールが説明する間、向けられる視線が品定めされているように感じられ、非常に居心地が悪い。本来、この場が自分など来れるわけがない場だから尚更だ。
普通なら向けられる視線など睨み返すのだが、さすがのウィダーもこの場ではそんなことをする気になれなかった。それでなくても相手の視線が痛いのだ。銀翼のフェルナンという異名を持つ近衛第一軍将軍の視線はとても冷ややかで鋭く、抜き身のナイフを肌に突きつけられているかのような緊張をウィダーに強いるものであった。
逆にあまり威圧感を感じさせなかったのがもう一人の騎士だ。

「あれ?お前、確かあのときの子供じゃないか?」

笑顔と声が優しい。
ラーディンは綺麗に無駄なく筋肉がついた、男が憧れるようなバランスの良い体格を持つ長身の男だ。やや短めの黒髪に爽やかさを感じさせる精悍な容貌をしているため、異性は元より同性からの人気も高い。ラーディンの問いにスティールは頷いた。

「うん、よく覚えてたね。俺と縁があったみたいだ」
「なるほどなぁ、運命って面白いもんだな。俺とお前さんはスティールで繋がってたのか」

ウィダーに気を使ったのか、『クワイ』という麻薬の名はでてこなかった。
くしゃりと頭を撫でられる。触れられるとは思ってもいなかったため、ウィダーは内心驚いた。
今まで自分に触れようとした者はいなかった。いつも汚いものでも見るかのように見つめられ、避けられ、目をそらされるのが常だった。
なのにこの場にいる者たちはウィダーを避けようとしない。ごく自然に接してくる。
それがどうにも耐えられなくなり、ウィダーは手から逃れるように後ずさった。
少し驚いたようにラーディンが目を見開く。

「悪い、痛かったか?」
「は?」
「俺、手が荒れているからなぁ」

苦笑したラーディンが手をひらひらとさせる。その手の平はところどころ、黒かったり茶色だったりしていて、確かにお世辞にも綺麗といえる手の平ではなかった。

(すげえ手だ……)

あれはきっとマメが潰れた痕だ。血豆やアザが重なり続けてできた痕だ。彼は千壁と呼ばれているが、そう言われるだけの努力をし続けているのだろう。

「大丈夫じゃないかな、ラーディン。撫でたの、頭だし。頭髪で殆ど判らなかったと思うよ」
「て、てめえの方が大丈夫じゃねえぞ!!」
「は?なんだそりゃ?」
「俺は闇の印だ!!」

これで俺に触ろうとしないだろう。むしろ、こんなヤツと接するなとスティールに言うだろう。そうに違いない。闇の印は忌むべき印だ。呪われている印なのだ。関わってはいけないのだ。
そうしたらこの場からたたき出される。追い出されたら士官学校の寮に戻れる。そうしたら、そうしたら……。
しかし、ウィダーの予想はあっさりと覆された。

「へえ、珍しいな。稀少印だろ?」
「うん、レアだね。俺と相性の悪い印じゃなくてよかったよ。年下だしね」
「そこかよ、スティール」
「相性ね。それは私への嫌みかい?」
「そんなつもりはありませんでしたが、そう聞こえるのでしたらそうかもしれませんね」
「その上、私は君よりずっと年上だしね。何故年下がいいと思ったのか、是非理由を聞かせてもらいたいな…」

ウィダーの闇の印のことはほとんど相手にされず、むしろあっさりと流された。それどころか話題が別の方へと移っている。
冷ややかな声音でスティールに問うているフェルナンは一見笑顔だ。しかし、目は笑っていない。さきほども一見笑んでいるように見えつつも、全く笑っていないと判る眼差しでこちらを見据えている。
対するスティールも顰め面だ。さきほどまで見せていた笑顔は欠片も残っていない。
いきなり発生した冷ややかな空気にウィダーは緊張した。この二人は運命の相手同士ではなかったのか?一体何故こんなことになっているのか。それも自分の事がきっかけとなった話題だ。どうにも緊張を強いられる状況にウィダーは顔を引きつらせた。
そこへ助けの手を差し伸べてくれたのはラーディンであった。

「スティール、顔見せに来たんだろ?終わったならこいつ士官学校へ送ってくるな」
「え、それじゃ俺も…」
「お前はカイザードと士官学校視察の報告があるだろ。俺は仕事が一段落したから、手が空いているんだ」

任せろと笑むラーディンに、仕事が残っているスティールはそれ以上言うことが出来ず、頷いた。

「判った。それじゃ頼むね、ラーディン」
「あぁ」

そうしてウィダーは執務室から出ることが出来た。
冷ややかな空気から逃れることが出来て、一気に緊張が解ける。

「びっくりしたみたいだな。あれでも別に不仲じゃないんだ、気にするなよ」
「…あれ、大丈夫なのか?」
「いつものことだからな。フェルナン様は風、スティールは水の異種印なんだ。異種印の場合、組み合わせによって良くも悪くもなる。あの二人はいわゆる『嵐』の相性ってやつでな。すぐに荒れちまうみてえだ」
「へえ……」
「お前さんは闇だったな。緑の眷属ならスティールとの相性は問題ないはずだ。よかったな」
「いいわけねえだろ、俺は闇だ。呪われた印だぞ」

何て脳天気なのか。そうあっさりと良いと言える印ではないのに。
そう思いつつ、吐き捨てるように言ったウィダーにラーディンは軽く瞬きし、そして笑い出した。

「バカだろ、お前。そんなこと気にしてたのか?そんなことどうでもいいだろ」
「なっ!!」

まさか印を笑い飛ばされるとは思わず、驚いたウィダーにラーディンはさきほどのフェルナンと似た笑みを浮かべた。笑っているが、目は笑っていない表情だ。

「呪いごときで敵が殺せるなら苦労しねえよ。残念ながら闇の印が戦場で役立つとは聞いたことがねえからな。戦いに使えない印の呪いなんか、大したものとは思えねえな」

さすがは名の知られたエリート騎士というべきか、迫力が違う。そして実感の籠もった説得力のある言葉だ。
反論できずに黙り込むウィダーをラーディンはジッと見つめた。
今の台詞でウィダーの抱えた鬱屈した悩みを悟ったのだろう。
ラーディンは手を差し出した。さきほど見た、酷く荒れた手だ。

「ひでえ手だろ?」
「……」
「俺はスティールと同期なんだが、あいつ、ものすごく出世が早くてな。あっという間に置いていかれた」
「……七竜の使い手だから…だろ…」
「そうだな、確かにそれはあるだろうな。けどそれは言い訳だろ。使い手だろうがなんだろうがあいつが出世し続けたのは確かで、それだけの功績も立てた。あいつが七竜の使い手だから置いて行かれて当然だなんて思いたくなかった。だから追いつくために必死で努力したんだ」

その結果の手だと言いたいのだろう。

「俺も士官学校時代は今の生徒と同レベルだったぜ。カイザードもだ。成績はそこそこ上だったが、普通に騎士のひよっこだったぜ。今のお前さんと大差なかった」
「……」
「あいつとの地位の差、あいつの才能を言い訳にするな。差があれば追いつけばいい。才能がないなら努力すればいい。少なくとも俺とカイザードは努力して、必死に追いかけた。さすがに同地位の副将軍は無理だったが、大隊長までは登ったんだ。お前は今何をしている?」
「……」
「お前は若い。まだまだ時間がある。諦めるな、追いついてこい。同じあいつの相手だからな、手伝ってやるよ。だから頑張れ」

圧倒され、返答できないウィダーに今度は純粋に笑みかけると、ラーディンは歩き出した。
ここで置いていかれても、寮に帰りつける自信がないウィダーは慌てて追いかけた。

重いことを言われた。覚悟が必要な重い言葉を。
ハッキリ言って追いつける自信などない。どうして追わねばならないのかという思いもある。
けれど嫌な言葉ではなかった。それはラーディンに差別意識がなかったことと、その言葉が純粋な激励の言葉だったからだろう。
似た立場故に発された言葉だからこそ、実感があり、重みがある言葉だった。