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◆指針(2)


課題を解くティアンの目の前に座るスティールはいつものように眠そうな目で窓の外を眺めている。解けてきた肩までの長さの髪の毛に気づいたスティールは革ひもを外し、再び首の後ろで無造作に束ねた。そのとき、首のちょうど後ろにある赤い痕に気づき、ティアンは目を細めた。

(ラーディンかな?それとも……まさかカイザード先輩なのかな…)

どちらにしろ、運命の相手とそれなりにイイ関係らしいと気づき、ティアンは羨ましいなと思った。

入学したばかりの頃はお互いに目立たない生徒だった。ティアンは筆記関係は得意だったが、武術は平均を取るのがやっとだった。
スティールに至っては全部が平均以下で文字通り劣等生だった。印による選抜生でなかったら、士官学校に合格はおろか、落第だってしかねなかっただろう。
運動はラーディンに、勉学はティアンに教わりつつ、スティールはいつもすれすれの成績で進級していた。だからティアンはスティールのおかげで劣等感を抱かずにいられた。
しかし、それも邂逅の儀までだった。

(驚いたよなぁ……)

教師が邂逅の儀でスティールを最後にすると決めたのは、スティールの持つ印が上級印になるだろうと読んでいたかららしい。選抜生が下級印であることは滅多にないという。
しかしその教師でさえ、スティールの印には驚愕したという。

多くの騎士や保護者が集まり、注目を浴びる場で床に大きく描かれた魔法陣。
容姿的にも雰囲気的にも目立つところがないスティールが陣に進んだとき、誰もが何気なく見ていただけだった。
しかしスティールが陣に足を踏み入れた途端、そんな雰囲気もかき消えた。
通常、印は腕に現れる。印が現れる部分が光って終わりだ。
スティールの場合、陣に足を踏み入れた途端、両の指先が輝きだした。
一歩一歩進むに連れ、その両腕の光が肩へ向けて広がっていく。指先から光が進むに連れて広がったのは腕を覆うような見事な文様の印。紅、緑、青、茶……からみつくように広がる上級印。
儀の際は現れた印の種類がすぐに判るよう、袖のない衣装を身につけるが、腕をほぼ覆い尽くすような見事な印は会場のすべての人々の目を奪い、大きなざわめきを起こした。

「複数印か。1…2…3、4…驚いたな。四つも!」
「しかも全部上級だ。何年ぶりだ?上級の複数持ちは!?」

見に来ていた騎士達の驚きの声が聞こえてきたのを思い出す。
しかし驚愕はそれだけではなかった。武具として現れたのは7竜の一つと言われる紫竜だったのだ。大騒ぎとなった。
その日の話題すべてを攫ったのはスティールと言ってよかった。

もっとも当人は相変わらずぼんやりしており、慌てることもなく、悩むこともなく、ただ困惑顔だった。
そして翌日、ティアンに会ったとき、開口一番こう告げた。

『まいったよ。ラーディンが運命の相手だってよ。カイザード先輩はともかくラーディンだよ。どうしよう』

悩みどころはそこなのかい!?と思ったのを覚えている。自分だったらそれより紫竜のこととか上級印を四つも持ってしまったことを考え、将来を思って悩むだろう。

『紫竜のことはどうするの?印も四つもあるし』

思わずティアンがそう問うとスティールは軽く瞬きした。

『どうするって?…あぁ、そういえば喋るんだよ』
『え?いや、そりゃ喋るかもしれないけど…竜だしね』
『まあ、それぐらいかな…』

それぐらいなのか。それぐらいで済ませられることなのか。昨日の大騒ぎはスティールにとってはそれだけで済ませられることなのか。
妙に気が抜けて、ティアンはため息を吐いた。

『別に今まで通りでいいんじゃない?』
『あー…うん。そういえばそうだね』

悩んでも仕方ないし、とスティールはあっさり気を切り替えてしまったらしかった。
そのマイペースさが彼らしい気がしてティアンは妙に気構えていた自分がおかしく感じられた。
思えばスティールはどんなときも緊張したり気構えることがなかった。邂逅の儀寸前でもぼんやりしていてラーディンに注意されていたほどだった。一生に一度の場でもそんな感じだったから、そういう性格なのだろう。ある意味大物といえるのかもしれない。

(いや、実際大物の卵なんだけど)

何しろ紫竜持ちなのだ。
すでに近衛軍からは5つの軍のうち、自由に選んでいいと通達が来ているらしい。実質、近衛軍入りは約束されているようなものだ。
近衛軍はエリートコースの象徴なので、将来を約束されていると言っても過言ではない。