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◆白夜の谷(14)


ガルバドス軍は二日ほど動きを見せなかった。
その為、ウェリスタ国側も緊張を強いられつつ、守りを固めた。

音の印を持ち、斥候としても優れた能力を持つアズウが言うには、ガルバドス側は少々混乱が起きているということだった。
入ってくる情報もめちゃくちゃだと首をかしげている。

「レンディが兄と喧嘩しているとか」
「はあ?なんだそりゃ?」
「私にもよく判りません。入ってくる情報も混乱気味でして……ただ、現在、ガルバドス軍はアスター黒将軍の総指揮下にあるようです。レンディが精神的にひどくショックを受けており、到底、指揮を執れる状況にないようです」
「ああ、なるほど。うちの紫竜に負けたショックからかもしれねえな」

そう言ってニルオスは納得していたが、スティールは微妙に納得できなかった。
闇の中でこちらを睨み付けていた表情を思い出す。
あのレンディが負けたからといってショックを受けるようなタイプだろうか。そんな柔な人物には思えない。精神的ショックを受けたのは全く別の理由のような気がするのだ。
しかし、別の理由はなんだと問われても答えきれないスティールである。

(うーん……そういえばレンディって兄がいたんだ)

自分にだって弟がいるのだから、レンディに兄弟がいても不思議ではないが、今まで全くその兄とやらが話題に出てこなかったのが気になる。
あれほど有名な青竜の使い手に兄がいたのなら、とっくに噂で聞いていてもおかしくなさそうな気がするのだ。

(まぁいいか。噂にもならなかった人ならレンディと違って一般人なんだろうし……)

そうして交代で休息を取りつつ、守りを固めている間、他の大隊長たちと情報交換をする機会があった。
スティールたちと同じく谷の戦いに出たアスワド大隊長は少し乱れた茶色の髪を掻き上げつつ、ため息を吐いた。
明るく陽気な雰囲気を持つ、30歳前後の経験豊富な大隊長である彼は、不愉快そうに顔をしかめた。

「あのアスター黒将軍ってのはワケがわからないな!ほとんど無名だったのにいきなり黒将軍になったこともワケが判らないが、部下もワケがわからん!前回はレンディの側近として有名なシグルドとアグレスを連れていたというが、今回はスターリング黒将軍とアニータ黒将軍の側近を連れていたぞ!」

おかげでかなりやりづらかった!とアスワドはぼやいた。
アスター黒将軍の軍は白兵戦主体の軍だと聞いていたが、スターリングとアニータは強い上級印を持つ側近を持っているのだ。
アスワドは予定にない敵と対峙し、ずいぶん苦戦したらしい。
同じくアスター軍と対峙したことがあるコーザも食後のお茶を飲みつつ、アスワドに同意して頷いた。

「確かにヤツの軍はワケがわからん。確かザクセン元黒将軍を麾下に持っているだろう?光の印を持っているために不老長寿になるという稀少印の持ち主だ。ザクセン将軍はずいぶん前に王族殺害か何かの罪で失脚して殺されたという噂があったというが、何故復帰しているのか、何故青将軍なのか、さっぱりわからない」
「うーん、アスター将軍ってのは他の黒将軍の傀儡じゃないだろうな?」

アスワドの意見にスティールは慌てて否定した。

「それはないですよ!あれだけ強い人が傀儡とは思えません。レンディにトドメを刺すところを邪魔されたぐらいなんですから!それにドゥルーガも彼のことは高評価しています。彼は十分、黒将軍としての才がある人だと思います」
「まぁ、今、ガルバドス軍は彼の総指揮下にあるという。傀儡だったら他の将が従うわけがないから、そうなんだろうな」

アスワドはあっさりと納得してくれた。
そして翌日、ガルバドス軍は退却していった。
おかげでスティールたちも王都へ戻れることになった。


++++++++++


大きな戦いの後は人事異動がある。

「スティール!」

嬉しげに辞令の紙を見せてくれたのはラーディンだ。
彼は昇進し、中隊長となることが決まった。

「おめでとう、ラーディン!」
「昇進祝いくれるか?」

悪戯っぽく言われ、スティールは笑顔で頷いた。
もちろんラーディンが望んでいるのは甘いご褒美だろう。そういうご褒美ならスティールだって大いに望むところだ。

ラグディスも一つ昇進し、中隊長となった。
カイザードは中隊長のままだが今回功績を立てたのでもう一度功績を立てる機会に恵まれれば、大隊長になることができるだろう。

(みんな頑張ってるなぁ……)

「お前は?副将軍になるんじゃないかって噂があるようだが……」
「いや……それは来年ってことで……」
「来年?何でだ?」

不敗で知られていた青竜の使い手を退けた功績は大きい。スティールは今回の戦いで文句なしに一番の功労者となった。
フェルナンも同等の功績となったが、こちらは元から将軍ということもあり、褒賞を受けることとなった。
スティールは副将軍への昇進も決まったが、年が明けてからということになったのは、戦いの最中に王族の死があったからだ。
現国王の母である皇太后が病死したのだ。
以前から容態が悪いことは知られていて、もう何年も表舞台にでていなかった皇太后だ。大きな驚きはないが、それでも現国王の母だ。喪に服さなければならない。
隊長クラスならば問題はないが、将軍副将軍クラスの場合、国王の御前で就任式が行われる。
そのため、喪が明けてから昇進と決まった。

「ちょうどいいから、それまでにいろいろ勉強しろって言われてるよ」

隊長位と将軍クラスは重みが全く違う。
かなりの重責となる。

「隊はオルナンに任せて君はシーインに副将軍としての仕事を教えてもらうように」

そうフェルナンに言われてしまったため、スティールはほとんど将軍位用執務室に詰めっぱなしの状態だ。
毎日フェルナンの顔を見て仕事ができるのは嬉しいが、慣れない仕事に必死で喜ぶ暇は全くない有様となっている。

「追いついたと思ったら引き離されるって感じだな……けど頑張るからな」
「うん」

共に歩むことを諦めないラーディンの姿勢を好ましく思い、スティールは頷いた。
そうしてスティールはラーディンと別れ、将軍位用執務室へ向かった。

「俺の大隊、誰が継ぐんだろ……」

当面はオルナンが代理なのかもしれないが、恐らく別の誰かが正式に引き継ぐことになるだろう。
その疑問に答えてくれたのは当然ながらフェルナンであった。
彼の机は戦後処理の書類の山で恐ろしいことになっている。

「パウル中隊長だよ。今回の戦いで功績を立てたために大隊長に昇進することが決まった。もちろん君に合わせて昇進してもらうが、すでにオルナンから徐々に引き継ぎをしてもらっている」

パウルは短く刈り込んだ茶色の髪をした屈強な体を持つ大男だ。能力も見た目通りのパワー型で彼の隊は典型的な白兵戦タイプである。
そのパウルは昇進が決まったものの、今回の人事に不満を抱いているらしい。

「昇進するならシード副将軍の元がよかった。シード副将軍の元で大隊長として働きたいと私に直訴してきたよ」

当然ながらフェルナンは素っ気なく却下したらしい。

「現在、第五軍に大隊長位の空きはないし、異動希望も来ていない。移動しようがない。それに私はパウルの仕事ぶりに満足している。追い出したいとも思っていない。遠くからシードを想ってくれればそれでいいさ。私に良からぬ想いを抱く輩より安全だから全く不満はない」

大変、男にモテるフェルナンは、パウルがシードを想っていることを好都合だと思っているらしい。
スティールとしてもフェルナンに横恋慕されても困るので、パウルがシードを好いていることは好都合だが、パウルにとっては大変気の毒な結果となったようだ。
もっとも、仕事は仕事だ。シードが好きだから移動したいと言われてもそう都合良く移動させるわけにはいかないのだろう。
ただ、パウルは元々第五軍だったらしいが……。

「シードに追い出されたんだよ、鬱陶しいってね。恐らくストーカー行為でもしたんだろう。困ったものだ。いわゆる自業自得だから同情の余地はない」

実際はそれほど悪しき行動ではなかったのだが、そう思いこんでいるフェルナンはひどく素っ気ない。

「じゃあこれを第五軍へ持っていってくれ。ついでにアルディン将軍とシード副将軍に挨拶をしておいで」
「判りました」

大隊長位の移動がなくてもそれ以下の移動はある。その人事に関する書類のようだ。
そうして向かった第五軍の公舎でスティールは叔父に会った。
叔父はやはりいつもどおり、ポケットの多い白いコートを羽織、その胸ポケットに藍色の小竜を入れていた。
戦いが終わったらミスティア領に帰るのだろうと思っていたスティールは驚いた。

「叔父さん、何故ここに?」
「いろいろとわけありでな」

戦場で会ったときと似たような返答をした叔父ロディールは軽くため息を吐き、少々ウンザリ顔だった。どうやらここに残っているのは不本意らしい。
叔父が第二軍将軍ニルオスと第五軍将軍アルディンの恋愛沙汰に巻き込まれているとは知るよしもないスティールは目を白黒させつつも、仕事も忙しいんだと付け加えられたことで納得した。
とても腕のいい叔父だ。手の放せない患者を複数人抱えているのだろう。

「叔父さん、俺は第一軍の方にいますので何かありましたら遠慮無く相談してください。力になれると思います」

そう告げると叔父は目を細めて笑んだ。
喜怒哀楽に乏しく、あまり表情の変化が見られない叔父だが喜んでくれたらしい。

「ありがとう」

そうして向かった将軍位用執務室にアルディンとシードはいた。
挨拶を交わし、フェルナンに預かった書類を差し出す。
書類を受け取ったシードはサッと目を通し、顔を輝かせた。

「お。パウルのヤツ、昇進したか!よかった!おめでとうと伝えておいてくれ」

シードは元部下の昇進に気付き、喜んでいる。ちゃんと自分の元を巣立った部下を気にかけていたのだろう。

「はい、きっと喜ばれると思います。第五軍に戻りたいとおっしゃっていたそうですよ」
「いや、いらねえ。うちは人が足りているからな。第一軍で昇進したってことはフェルナンの元が合っているんだろ。そっちで頑張るよう伝えてくれ」
「は、はい」

そっけなく『いらない』と言われてしまった。
シードの言葉を伝えれば、喜ぶと同時に酷くがっかりされてしまうことだろう。

「どちらかと言えば第一軍の方が人手不足だろう。人材が必要であれば相談にのるとフェルナンに伝えておいてくれ」

アルディンにもそう言われ、スティールは頷いた。

「はい、ありがとうございます」

パウルの希望する移動は当面叶いそうにないようだ。