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◆白夜の谷(15)


そうして戻った第一軍公舎でスティールは見覚えある人物を見つけた。
第一軍将軍位用執務室に通じる通路でライナー中隊長が何やら訴えている。
訴えられている相手は黒髪に眠たげな黒目をしたやや小柄な大隊長のアズウだ。
スティールより二つ年上で黒い髪に緑の目の怜悧な美貌を持つライナーは必死な様子で第二軍に移動したいのだと訴えている。彼はニルオスの熱烈なファンなのだ。
その隣に立つライナーの友人兼部下のニールは呆れ顔だ。

「うーん、大隊長の空きはあると聞いているけどねえ……」

アズウはのんびりと言うと、ちらりと自分より背の高い部下を見た。

「君は中隊長だからね……ニルオス将軍も欲してはいないだろう」

やんわりした口調だが内容は結構辛辣だ。中隊長じゃお呼びじゃないと言っているようなものである。
ライナーも気付いたのだろう。顔を赤らめ、悔しげな表情で一礼すると足音荒く去っていった。ニールはそんな友人の代わりに丁寧に謝罪するとライナーを追っていった。
アズウはライナーの態度に気を悪くした様子もなく、スティールに気付くといつもどおり眠たげな顔で笑った。

「君だったらニルオスも喜ぶだろうにね。彼はいつも優秀な即戦力を欲している」

アズウはニルオスをあっさりと呼び捨てた。
聞けば、士官学校時代の後輩で少々縁があったのだという。

「先輩後輩が組んで行う野営訓練があるだろう?あのとき不運にも彼と同じ班になってね。あのコーヒー中毒男にはものすごく扱き使われたよ」
「扱き使われ……ええと、アズウ大隊長の方が年上でしたよね?」
「そんなことをニルオスが気にかけるわけないじゃないか」

そう言われるとそうなのかもしれないと思ってしまうスティールである。
どうやらニルオスのあの不遜な性格は学生時代からのようだ。

「ライナーなら心配いらないよ。ここで落ち込んで浮上してこないならそれまでの男だということだ。悔しく思っていたようだから望みがある。悔しさをバネにできる男は強くなる。彼は私の部下だ。強くなってもらわねば困るんだ」

わざと発破をかけたらしい。
アズウはその珍しい印もさることながら、人材育成に優れ、優秀な隊を持っていることでも有名だ。彼の隊は優秀な大隊なのだ。
大隊長筆頭の座こそアスワドに譲っているが、十分トップを狙えるだけの実力を持っているのである。

「ニルオス様は貴方を欲しがられたんじゃないですか?」

ふと思いついて問うてみると、アズウは苦笑した。
返答こそなかったが、どうやら自分の予想は当たっていたらしいとスティールは気付いた。

『うーん、大隊長の空きはあるとは聞いているけどねえ……』

通常、大隊長位の人事異動は大隊長には知られないように決まる。
しかし、アズウは第二軍に空きがあると知っていた。
恐らくニルオスはアズウを欲しがって当人に接触してきたのだろう。フェルナンがレアな印を持つアズウを手放すわけがないからだ。
今回、第一軍の大隊長位に移動はない。例外は年明けに昇進が決まっているスティールだけだ。アズウはニルオスからの引き抜きを断ったのだろう。

そこへバタバタと足音が響いてきた。振り返ると大隊長のフィネスがいた。
いつも恋に生きる騒がしい男は手作り弁当を恋人に断られてしまったとハデに嘆いている。

「この戦後処理で忙しいときによく早起きして弁当なんて作っていられるねえ、君は。情熱をかけるところを間違っていないかい?」
「いつも男にモテまくっているお前さんとは違って、こっちは努力しないと捨てられるんだよ!」
「おかしなことを言わないでほしいなぁ。私はそんなにモテた覚えはないよ……」
「何を言ってるんだ、いつだって恋人志願の男に囲まれているじゃないか!」
「あいつらは部下だって……」

そこへ背の高い男がやってきた。服装から中隊長だと判る。屈強な体つきをしているのでパワー型の騎士のようだ。
彼はスティールたちに敬礼するとアズウに声をかけた。

「弁当を作ってきたんですよ、ご一緒にいかがですか?」
「ほらみろ!!」

羨ましい、とハンカチを握りしめながらフィネスが呻いている。
そうしてアズウが連れ去られていくのを見送り、フィネスに聞いてみると、アズウはいつも体格の良い男たちにモテモテなのだという話だった。
友を羨ましがるフィネスの愚痴を聞き、少々ぐったりした気分で食堂へ向かおうとしたスティールは聞き慣れた声に呼び止められた。
振り返るとカイザードとラグディスがいた。

「あ、カイザード先輩」
「スティール、弁当を作ってきたんだ。一緒に食べないか?」
「え……?」
「スティール、腹をこわさない程度に付き合ってやってくれ。ここ最近毎日練習をしていてな、やっと食えそうなレベルになってきたんだ」
「ラグディス、余計なことを言うな!!」

紅い顔で怒るカイザードの手には大きめの包みがある。それが手作り弁当なのだろう。
同じようにラグディスの手にも包みがあるがこちらは人並みの大きさだ。彼自身の弁当なのだろう。

(先輩の弁当かぁ……)

毎日練習をしてくれたというのは嬉しい。
しかし、彼の料理の腕を知るだけにその出来映えには大きな不安が残る。
嬉しいような怖いような複雑な気分で連れられていくスティールであった。

<END>
フィネスには「スティール、お前もかーっ!」と恨まれます(笑)