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◆白夜の谷(13)


アスター黒将軍の姿が視界から消えると、スティールは大きくため息を吐いた。
アスターの気迫に気圧された。そこで勝機を逃した。
死を躊躇わぬ相手の気迫に攻撃し損ねた。

死を判っていながら怯みもせずに退かぬ気迫、その身は静かな闘志に満ちていた。
戦功に逸り、猛々しい気迫を持って襲いかかってくる将は多い。
戦場の興奮はどの人間にも精神的な影響を与える。生と死の狭間に立つことで興奮したり逸ったりしている者がほとんどの中、スティールはあれほど静かな闘志に満ちた者を初めて見た。
ディンガを負傷させたほどの技を放ったスティールたちに向かい合いながら、相手は本当に静かだった。レンディを庇うように立ち、全身に闘志を燃やしながら冷静に身構えていた。

相手の目的はスティールたちを倒すことではなく、レンディを守ることだった。
そしてスティールたちの目的もレンディだった。レンディを殺せぬのであれば意味がない。
今回はアスターの勝ちだ。
彼の目的はレンディを守ることであり、スティールたちの目的は果たされなかった。

「フェルナン、大丈夫ですか?」
「あぁ、退くよ。長居は無用だ」
「はい」

フェルナンは重傷だ。腕と足を貫かれた彼は出血が酷いため青ざめている。
スティールはフェルナンに応急処置を施した後、闇と霧に閉ざされた谷の先を見た。

(レンディ……)

お互いに隣接する国同士の軍人である以上、今後も戦うことになるだろう。


++++++++++


正に最前線。それも青竜と黒将軍を二人も相手にしていたため、谷から戻った場所にある野営用の陣に戻ったのはスティールたちが一番遅かった。
フェルナンは重傷であるためすぐに救護隊に連れて行かれた。
そのため、ニルオスや他の大隊長の元へ報告へ向かったのはスティールと大隊長のアスワドの二人であった。
アスワドの隊は青竜と対峙するスティールたちに他の兵や騎士を近づけぬよう頑張ってくれた。幸い大きな被害はなかったらしいが、せまく暗い地であったため苦戦したらしい。
ニルオスの天幕へ入るとすでに他の大隊長は集まっていた。
ニルオスは血まみれのスティールの姿を見ると眉を寄せた。

「負傷したのか?」
「いえ、これは俺じゃありません。フェルナン様です。レンディによって左腕と足を負傷されました。命に別状はありませんが重傷のため、現在治療中です」
「レンディの状態は?」
「傷を負わせたので、恐らく明日以降の攻撃はないと思います。……あと一歩で殺せたんですが、アスター黒将軍に邪魔されました」
「!!レンディを追いつめたのか!?」
「はい、あと一歩というか、あと一撃だったんですが……」
「そうか、殺せなかったのは残念だが、それでも十分大手柄だ。レンディに怪我を負わせることができたのは大きい。これでガルバドスは一旦退くだろう」
「はい」

よくやった、とニルオスに珍しくも褒められたがスティールは心が晴れなかった。
フェルナンが重傷を負ったこととまたもアスター将軍に会ったことが原因だ。
またアスター将軍が相手だった。あと一撃というところを邪魔された。
今回は完全にこちらが有利だった。アスターはレンディを庇っていて、印も通常印だ。こちらはドゥルーガもいて、印も強い。そして距離もあった。完全にこちらが有利だった。
しかし、トドメを差すことができなかった。容易に動くことが出来ない、そんな気迫を感じ、気圧されてしまったのだ。
そうして天幕を出て、スティールの代理で隊を受け持っているオルナンから報告を聞き、カイザード、ラグディス、ラーディンらが無事であることを知ってスティールはホッとした。隊の方も負傷者はいるものの、死者はいないという。
南を担当したニルオス側も激戦であったというから、自隊に死者がでなかったのは朗報だ。

「隊長もお疲れでしょう。早めにお休み下さい」
「うん、ありがとう」

スティールはオルナンと別れて、フェルナンがいるであろう救護用天幕へ向かった。

「あのさ、ドゥルーガ……闇の技って言ってたよね?死人使いがいたの?」
「いた。恐らくディンガの使い手を連れて行った男だ。あれは厄介だな。相当、腕の良い死人使いだ。戦場で死人を使うぐらいだからな」
「え?どういう意味?」
「戦場で死した霊はすぐに天へ還る。戦場に出る人間は、誰もが少なからず死の覚悟をしているものだから昇天しやすい。そして戦場では風の印が動く。風の印に霊が触れるとやはり天へ還る。そのため、死人使いの霊も戦場には極力近づかない。奴らにとっても危険だからだ」
「でも、いたんだろう?」
「そうだ。媒介がなくとも戦場でぶれることなく動け、昇天することもない……それだけ強い霊……聖ガルヴァナの厚き加護を持つ霊ということだ。あれは輪廻を守りし新月の民の末裔だろう。恐らく同じ手は通用しないぞ。俺の力が闇の技と相性が悪いと気付かれただろう」
「よ、よくわかんないけど、厄介な敵ってことか。うう……ドゥルーガの技が通用しないのは厄介だな。風の印なら対抗できるの?」
「霊に対抗できるのは同じ闇か風だな」
「風………フェルナンか……」

軍団長であるフェルナンは大軍を指揮する身だ。本来は一騎打ちなどしていられる立場ではない。
それでなくともスティールはフェルナンを最前線に出したくない。よき首として敵に狙われるのは目に見えている。

「うう……フェルナンがいないと次は不利になるって事か。困ったな…次はどうやってレンディと戦おう……。またフェルナンと組むしかないのかな」
「次はないと思うがな」
「え?そうなの?」
「俺たちは使い手を守ることを最優先する。恐らくディンガは使い手に傷を負わせた俺たちと会わせようとしないだろう。使い手が俺と戦いたがっても阻止するはずだ」

だから俺がいる限り、最前線にはでてこないだろう、と言うドゥルーガにスティールは安堵した。それはとてもありがたい話だ。出来れば二度と戦いたくない相手だから。

(それにしても相性が悪いな、アスター将軍とは……勝てたためしがない)

長いリーチを持ち、印を放つ前に攻撃できるスピードを持つ将。印使いには相性的に最悪だ。
しかし、またも戦場で会ってしまった。それもレンディにトドメを差すという絶好のチャンスを邪魔されるという形で。

(できればもう二度と会いたくないんだけど……)

しかし、何故かまた会うような気がする。これもまた巡り合わせなのだろうか。だとすれば最悪の巡り合わせだ。
二度と会わずにすむように祈りつつ、フェルナンがいる救護用天幕を開ける。
ずらりと簡易ベッドが並び、救護係が慌ただしく行き交う中、そこに思いがけない人物を見つけ、スティールは驚いた。
ポケットの多い白いコートを羽織った、この世界の医師に多い姿をした中年の男。
眼鏡をかけて白っぽい金髪をした長身の男はスティールの父によく似た頑固そうな風貌をしている。

「叔父さん!?何故ここにっ!?」

叔父は血液らしきものが入った袋を手にし、緑の印の上級印技『毒障浄化』を使って、怪我人の体内に入れているところであった。

「あぁスティールか……。少々わけありでな。一時的に雇ってもらっているんだ」
「ええ?お、お金にお困りなんですか?俺、少しは援助できますけど……」

わざわざ軍に雇われているぐらいだ。よほど困っているんだろうと思いつつ問うと、叔父ロディールは苦笑して手を横に振った。

「そうじゃない、わけありだと言っているだろ」
「スティール」
「あ、フェルナン様。すみません、叔父さん、失礼します」

名を呼ばれ、スティールは慌てて奥にあるベッドへ走った。

「フェルナン、大丈夫ですか?」
「あぁ。……君の叔父君のおかげでね。切断された神経を全部完璧に繋いで下さったそうだ。無理をしなければ後遺症もないと断言された。彼は相当にいい腕の持ち主のようだね。彼がいなければ死者はかなり増えただろうと他の医師たちが話していたよ」
「そ、そうなんですね」

そういえば叔父は10の腕を持つと呼ばれる凄腕の医師だった。
名が広く知られている上、ミスティア家当主と顔見知り。
なのに何故、こんなところに来て医師をしているのかが判らない。

(わけありって言ってたけど……ホントに何でだろ……)

「素晴らしいですな、この冷凍血液は!」
「そうだろう?」

その叔父は治療をしつつ、他の医師と何やら話をしている。話題は血液のようだ。

「是非その竜を売っていただきたい!」
「あいにく非売品なんだ」

スティールは叔父の白いコートの胸ポケットに顔を覗かせている相棒の色違いを見つけ、藍竜が来ていたことを知った。

「叔父さん、ラグーンと一緒だったんだ」
「ヤツはお前の叔父を使い手にしたようだ」
「一緒にディンガと戦って欲しかったなぁ」
「頼むだけ無駄だ。俺たちは基本的に戦わないものだからな」

そういえばそうだった。竜たちは基本的に争わない。例外は使い手が絡んだときだけだ。

「叔父さん、なんでここに来てるんだろう」
「さあな」

まさか冷凍血液の便利さを広めるために来ているわけではあるまい。

実は息子のように可愛がっている第五軍将軍アルディンに頼まれて、第二軍将軍ニルオスに何かあったときに助けるために来ているのだが、スティールは知るよしもなかった。