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◆白夜の谷(10)


会議が一時中断となったため、今のうちに腹ごしらえをしておこうという話になり、スティールは他の大隊長たちと会議室を出て食堂へ向かった。
昼食にはやや遅い時間帯だが、激務の時は食べられないこともあるというのでまだマシな方だろう。
第一軍だけでも一万人近い大所帯。その中で八名しかいない大隊長がぞろぞろと歩いているため、すれ違う騎士や兵からは次々に敬礼を送られ、道を譲られる。
スティール以外の大隊長は慣れているのか緊張した様子もなく、『腹が減った』『今日の日替わり定食は何だろう』などと呑気な会話を交わしている。
食堂に行く途中で大隊長のうち二人が抜けた。彼らは既婚者であり、弁当持参なのだという。そのため自分の執務室で食べてくるという。

「俺も愛妻弁当が欲しいなー……」

羨ましげにフィネスがぼやく。
年中、恋愛沙汰で騒がしいというこの大隊長は既婚者が羨ましくて仕方がないらしい。

「結婚相手が料理上手とは限らないよ」

素っ気なく現実的なツッコミを入れているのはアズウだ。
そんな会話を聞きつつ、人事じゃないなぁと思ったのはスティールだ。
彼の恋人の一人カイザードはお世辞にも料理上手ではない。しかし料理を好んでいるのかときどき微妙な仕上がりの差し入れや菓子を持ってきてくれることがあるのだ。

「いや、恋人が作ってくれたのなら消し炭でも嬉しい。俺は食う。食うぞ!」
「それぐらいなら君が作った方がマシかもしれないのに」
「あ、その手があったか。俺が作れば問題がないな、うむ。今度作ってみよう」

そんな会話を聞きながら到着した食堂はなかなか人が多かった。
スティールはアズウたちの後を追うように軍幹部用に設けられた奥の席へと向かった。
食事時は敬礼が免除されることもあり、ほとんど黙礼を受けつつ、進んでいった。
食堂はなかなか人数が多く、空き席も少なかったが幹部用の席は使用できるメンバーが限られていることもあり、悠々と座ることが出来た。

(ちょっと疲れるなぁ。大隊長って常に視線を受けるんだよなぁ)

中隊長時とは比べものにならない注目度にちょっとウンザリする。スティールは最年少であることもあり、特に注目度が高かった。
大隊長位ということもあり、料理は最優先で運ばれてきた。

「どんな配置に変わるとしてもスティール、お前はフェルナン様と一緒に谷で青竜と戦うこととなるだろう」

コーザの言葉にスティールはパンを食べながら頷く。
それはすでに覚悟の上だ。

「ううん……軍を二つに分けることになるとすれば私は後方支援になるだろうなぁ」

スープを飲みつつ、そう呟いているのはアズウだ。
彼は風の印の亜種である音の印の持ち主だ。そのため伝令や情報収集に適した力を持っている。離れた場所にいる人々と会話が可能なのだ。戦いにも適しており、大変便利な印だ。
彼はその印を巧みに操って大変美しい音楽を奏でることもあるという。
しかし、特殊印であるが故に強制的に王都士官学校へ入る羽目になったというから、スティールと似たような運命を辿ってしまった人物だと言える。

「今回は最前線だと思いこんでいたから対レンディ対策で隊を編成してた。失敗したなぁ。急いで戻さなきゃ……」
「アズウ、君はまだマシだ。私なんかどこの配置になるのか予想もつかん」
「俺も。たぶんスティールの隊の補佐になるとは思うけど、どーだろうなぁ」

南側の最前線に送られるかもとコーザはぼやいている。
レンディが攻撃してきたら第一軍がでることになるだろうとフェルナンはあらかじめ大隊長たちに告げていた。そのため、大隊長たちも出撃するときに備えて、隊の陣容を整えていたのだ。

「毒霧対策でマスクまで人数分用意していたのに」
「え、マスクで毒霧が防げるのか?」
「ないよりマシだと思ってさ」

自分なりに策を立てていた大隊長もいるようだ。
そうしているうちに伝令がやってきた。第二軍と合同会議を行うことになったため、第二軍の公舎へ向かうようにとフェルナンからの指示がでたのだ。
今日の会議がガルバドス戦に関するものであることはすでに周知の事実であるため、食堂にいる人々からは自然と注目を集めている。
最奥の幹部用席についているとはいえ、大きめの観葉植物で仕切られているだけであるため、どんなメンバーが席に着いているのかは容易に見えるのだ。

「了解」
「第二軍公舎へ移動か。急ぐぞ」

人々の注視を浴びつつ、食事を済ませたメンバーから席を立っていく。
急いで食事の残りをかき込み、他の大隊長たちの後を追うスティールであった。


++++++++++


第二軍との合同会議では予想通り、谷で青竜と戦う役目になった。
合同会議にはスティールの副官であるオルナンの姿もあった。フェルナンに呼ばれたらしい。

「谷は雑魚用に一個大隊のみでいい」

いきなりそう告げたのは小竜だ。

「ディンガはどうせ俺じゃないと止められん」

小竜の大胆な希望に第二軍将軍ニルオスはにやりと笑った。

「ありがたい。残りは全部貰うぞ。その代わり、好きな隊を持っていけ」

小竜は返答しない。代わりにちらりとフェルナンを見た。
視線を受けたフェルナンは心得たように頷く。

「アスワド、頼んだよ」
「御意!」

フェルナンは第一軍大隊長筆頭の名を躊躇いなく呼んだ。
アスワドは最初から予想できていたのだろう。当然と言わんばかりに返答した。
アスワドはフェルナンが第二軍から移動時に連れてきた側近で、苛烈な攻撃を得意とする経験豊かな猛将だ。

スティールは自分の隊が選ばれなかったことに戸惑った。てっきり、谷の戦いの補佐として選ばれるだろうと思っていたのだ。一体どこに配属されることになるのだろうか。
ベテラン騎士である副官のオルナンが代理指揮取ってくれるだろうからあまり心配はしていないが自分の隊だ。当然ながら気になる。

「あの、フェルナン……俺の隊はどうなるんでしょう?」
「判っている。ニルオス、スティールの大隊を頼む。オルナンが代理指揮を執る隊だ」
「ああ、判ってる」

どうやらニルオスの指揮で南側の交易路の戦いに配置されるようだ。

(今回は先輩たちやラーディンとも完全な別行動だ……)

それぞれがそれぞれに生き残るしかないのだ。
他人の心配などしていられる余裕はない。
それでも大切な人たちのことは気になる。

(どうか先輩たちとラーディンが生き残りますように……!)

心から願うスティールであった。