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◆白夜の谷(9)


そうして予想通りというべきか、ガルバドスが侵攻してきた。
やはり青竜の使い手が出てくるという説明を聞き、スティールは顔を上げた。
場所は第一軍会議室だ。大隊長位にある人間が集まっており、壁には地図が貼られている。
前年、北で発生した戦いに第三軍と第五軍が出た。
今回は予定通り、第一軍と第二軍が出ることとなった。
そして西の戦いなので当然、西の守りを担当するバール騎士団とも一緒になる。
北の戦いに参戦した北西のディンガル騎士団は全軍ではないが、一部の隊を送ってくれるらしい。
いよいよだ。
説明するフェルナンの手には分厚い書類がある。第二軍将軍ニルオスが作った作戦案だ。
今日はそれを元に部隊編成や作戦を話し合うこととなっている。

「またアスター将軍が出てくるんですよね…?」
「そうだ。実に嫌な組み合わせだ」

白兵戦に強い軍と強靱な印攻撃でしか対応できない青竜という組み合わせ。
確かにこれほどやりづらい相手もいないだろう。

(いや、知将ノースと青竜の使い手っていう組み合わせじゃなかったことを幸運に思うべきかな?けど今回はこっちもニルオス様が出るし、やっぱり知将ノースの方がマシだったんじゃ…?)

そんなことを思いつつも頭に思い浮かぶのは前回対峙した黒将軍のことだ。とても苦戦した敵にもう一度遭遇したとき、一体どうすればいいのだろうか。
結局のところ、どんな敵にあってもやり合うしかないのだが、どうしても悩んでしまう。

「なんでまたアスター将軍なんですか?」

素朴な疑問であった。
他に黒将軍もいるだろうに、なぜ何度も同じ将がやってくるのだろうかと。
何か理由があるのだろうか。

「あちらさんは出撃する軍をくじ引きで決めているという噂があるよ」

答えてくれたのはアズウという名の大隊長だ。
いつも眠たげな顔をしているがそれが地顔らしい。
黒髪黒目で騎士としてはあまり背が高くないが、大隊長に出世していることから判るように騎士としては優秀な人物だ。
ちなみにフェルナンと同期であり、士官学校時代は同室だったこともあるという。
当人曰く『ウォーレン殿下がいらっしゃるわ、フェルナンもいるわ、リーガもいるわ、呪われているんじゃないかと言いたいぐらい面倒くさい代だったよ』とのことなので、輝かしいメンバーと同期だったことは全くありがたくなかったようだ。

「出撃をくじ引きでって……まさかそんな……」
「実力もさることながら、戦場では運が強く左右する。引き当てる運の強さもその人間の強さの一つとして験担ぎすることがあるんだ。あながち、ただの噂じゃないかもしれないよ」

半信半疑のスティールに答えたのは別の大隊長フィネスだ。
炎の上級印持ちでスティールより数歳年上の彼は、特別美形というわけではないがオシャレ好きでしょっちゅう髪型やアクセサリーを変えている。
大隊長ということもあり騎士としてはとても優秀な人物だが、とにかく恋に熱心で常に恋愛に夢中であるところが玉に瑕だと言われている。

『彼は失恋するたびに仕事熱心になるから、私は常に失恋を願っているんだけどね』

とはフェルナンの言葉だが、それはあまりにひどすぎるだろうと思ったスティールである。

「さて戦場となることが予測されるイスカの谷だが……」

イスカの谷はガルバドスとの国境沿いにある。
その谷より南に交易の主要となっている大きな交易路があるのだが、今回は谷の方へガルバドス軍が向かっているという。狙いは谷を抜けたところにある町を占領することではないかと言われている。その町は大きな町でウェリスタ側の交易の拠点となっている町なのだ。
谷であるので狭い。大きく陣を広げて戦うことは厳しいだろうとフェルナン。
しかし、敵はレンディだ。狭い場所に集中しているところへ大蛇の毒霧を吐かれれば、一網打尽になってしまう。
できるだけ谷を避けたいが、谷を抜けたところに町がある。交易の要所となっている上、人口が多い町なのでそこを戦場にするわけにはいかないのだ。

『何が何でも谷で食い止めたい』

民間人に被害を出すわけにはいかない。
第二軍将軍ニルオスも不利であることは承知の上で、谷で決着をつけたいと言っているという。

そこで動いたのはドゥルーガだった。
いつも人がいるところでは極力、小手姿で喋りもしない小竜は、一通り説明を聞いた後、いきなり小竜姿になって肩の上へ飛び乗ってきた。

「お前等、本気で谷で戦うと言っているのか?冬だぞ」

珍しくスティール以外の人物に話しかけた小竜に会議室の視線が集中する。
問われたフェルナンは眉を寄せた。

「本気だ。侵略を受けている以上、何としてでも谷で食い止めなければならない」
「そんなわけがねえ。囮だ」
「何故そう思う、紫竜?」
「あの谷は、冬場は『常に夜』だからだ」
「なんだと?」
「ガルバドスとの国境沿いにあり、一直線に伸びている道であり、なおかつ交易の町まである交通の良さであるのに何故使用率が低いのか。それは南に便利な交易路があるからでも、ガルバドス側の交通の便が悪いからでもない。使えない道だからだ。
北と南を高い山脈で遮られたあの谷はとても深い谷だ。それゆえに長い時間、大陽が山陰に隠れる上、冬場は北と南の山脈から流れ込む空気で深い霧に覆われてしまい、日光が谷底まで届かなくなる。
冬場でしかも日光が届かないとなると極寒の地となってしまい、大地も凍り付く。
そんな地に大軍で侵略するとは到底思えねえ。侵略のために遠征してくるガルバドス側が不利となるからな。それぐらいディンガも読んでいるはずだ」

思わぬ情報にフェルナンや大隊長らは顔をしかめた。

「一部は谷から攻撃してくるかもしれねえ。だが本命の部隊は絶対に南の交易路から侵略してくるぞ。騙されるな」
「囮か……そうなるとディンガがどちらから攻撃してくるかによるな……。谷だとは思うが……」
「むろん、谷の方だろう。ヤツは目立つから囮側じゃないとバレる。そして狭い方がヤツは戦いやすい」

敵を毒霧で一網打尽にする戦いを得意とする大蛇だ。当然、狭い地の方が有利に戦える。

「……根本的な作戦を練り直す必要があるな。ニルオスを交えて話し合わねばならない」

今回の戦いの作戦はニルオスが作ったという。それを元にしてどの部隊をどこへ配置するかなどを話し合う予定だったのだ。
しかし、谷がそんなに特殊だったとは知られていなかった。ニルオスにしては珍しい情報収集ミスだと言える。

(出撃前からトラブル発生か……幸先悪いな)

急ぎ、第二軍公舎へ早馬を飛ばすよう指示を出すフェルナンを見つつ、不安に駆られるスティールであった。