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◆白夜の谷(8)


近衛第四軍将軍のディ・オンは執務室でため息を吐いた。
日に焼けた肌に短めの黒髪黒目を持つディ・オンは、187cmの長身を持つ体格のいい将だ。
『人生なりゆき任せ』を公言するざっくばらんな性格だが、身分差を気にしない親しみやすい人柄ということもあり、近衛将軍の中ではトップクラスの人気を誇っている。
そんな彼は次の戦いで出陣したかった。最近、大きな戦いに第四軍が出陣していないためだ。
昨年、北のホールドスが再侵攻してきた。
その戦いに出たのが第三軍と第五軍だった。
そのため、次のガルバドス国戦では今度こそと思っていたのだが、第一軍と第二軍に取られてしまった。

青竜の使い手レンディが出てくる。そのために紫竜の使い手と卓越した印の使い手であるフェルナンがいる第一軍が出るのが望ましい。そのために第一軍の分まで指揮を執れる将が出るのが望ましく、知将としての実績が高いニルオスが出た方がいい。

そんな説明を受けては強く反対することもできない。第一軍の分まで指揮を執れるのかと言われると否としか言えないディ・オンだ。
やれないわけではない。だが責任を持てないと思うのだ。命を預かる身で嘘はつけない。第一軍まで動かしてベストな状態で戦えるかと言われると否としか言えない。
そしてレンディ軍と第四軍は相性が悪いとハッキリしている。

(だからって、部下に活躍の場を与えてやれないのはな……)

ガルバドス国との戦いのたびに顔をしかめていた両親を思い出す。
ディ・オンの家族は西から移住してきた。そのため、親族などもいないのだ。両親も心細いのだろう。
弟妹が結婚して子も生まれたために実家は賑やかなのが救いだ。
現在、両親は南方の片田舎に住んでいるため、王都暮らしのディ・オンとは長いこと別居中だ。
妹夫婦と仲良く暮らしているし、近くには弟夫婦もいる。そのため特に心配はしていないが、早く仕事を辞めて帰ってこいと帰省するたびに言われる。長男が危険職である軍人をやっているのが不満なのだろう。
士官学校に入ったときは喜んでいたくせにずいぶんと都合のいいことだとディ・オンは思う。

(まぁ親なんてそんなもんなんだろーけどよ……)

両親はハッキリとは言わないが、恐らくガルバドス国出身なのだろう。息子が故国と戦うのがイヤなのかもしれない。
しかし、ディ・オンに当時の記憶はない。そのため、ガルバドス国への郷愁などない。自分の祖国はこのウェリスタ国だと思っている。

(ガルバドスか……覚えてねーんだよなぁ……)

引っ越してきてからの記憶は鮮明にあるが、その前の記憶は切り取られたかのように存在しない。
引っ越しの最中に高熱を出したことと、幼かったことが原因で覚えていないのだろうと両親は言うが、全く記憶がないのだ。
ちなみに弟は乳幼児だったためにガルバドスでの記憶がないらしい。末の妹に至ってはウェリスタで生まれたために当然ながらガルバドスでの記憶など存在しない。
一度、子供の頃の話をしてくれと頼んだが、両親は頑として口を割らなかった。
故国を捨てて移住してきたほどだ。よくない思い出があるのだろうと思い、ディ・オンもそれ以上は問わなかった。

(帰って来てくれと言われてもなぁ、俺、近衛将軍だし……)

「仕事辞める気はねーし……」
「何を言っているんだ、いきなり!」
「そーだよ、この忙しいのに辞められてたまるかよ」

独り言に返事が返ってきて、ディ・オンは我に返った。
それぞれの執務机で二人の副将軍カイルとクラーゼが書類を片付けているのが見えた。
机の上は書類の山だ。
他軍が度重なる出撃のために通常業務が第四軍に押し寄せている。そのしわ寄せが書類の山に現れている。

「あー……」
「呻いている暇があったら、さっさと書類に判を押せ!」

カイルに睨み付けられ、ディ・オンは、はいはい、と返答しつつ印を手に取った。

「愛してるぜえ、カイルー」
「そんなことを言っても定時で帰らせないからな」
「冷たいなー」
「そういう会話、俺がいないときにしてくれないかな?でないと俺も恋人連れ込んでヤっちゃうよ?」

クラーゼのウンザリ顔にディ・オンは顔を引きつらせた。
仕事は完璧、プライベートは最悪と言われているこの副将ならやりかねない。

「ゲッ、ここでヤるのはやめてくれ。他なら許す」
「あ、許されるんだ」
「そんなわけあるか!!許可を出すんじゃない、ディ!!職場での性行為はどこであろうと禁止だ、禁止っ!!」

ディ、お前、軍団長としての自覚があるのかっ!!と雷を落とされるディ・オンであった。