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◆白夜の谷(6)


そうして将軍用執務室を辞して、スティールは食堂へ向かった。
時刻はすでに終業時間を過ぎていたが、食堂は人が多く賑やかだった。
元々、軍人には夜勤がある。そのため、昼勤務と夜勤務の交代時間前後は人が多くなり、賑やかになるのだ。
以前から一番使用している馴染み深い食堂のため、食堂には副官のオルナンの他、カイザードやラーディンなど知る顔も多かった。

「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「お疲れ、スティール」
「おかえりなさい」
「お疲れ様です、隊長」

顔見知りのメンバーたちから次々に声をかけられる。
スティールはカイザードやラーディンたちの席へ行こうと思ったが、その近くの席に座る副官のオルナンに視線で呼ばれたため、オルナンのいる席へと向かった。

「いかがでしたか?王宮は」

すでに皆も話を聞いているのだろう。周囲からそれとなく注目を浴びた。
特にもう一人の副官キーネス、カイザードとラーディンは不安げな顔をしている。

「うん、第二王子殿下とリーガ様に偶然お会いしてね、陛下に口添えしていただけることになった」
「リーガ様と世継ぎの殿下にお会いなさったんですか。強運でしたな」
「うん。ただ、確約はできないって言われた」
「それは無理もないでしょう。ですが不幸中の幸いでしたな」
「うん、俺もそう思う。あんなところ移動したくないし」
「おやおや、あんなところ、ですか」
「うん………俺には合わないって思った。あと、北の公爵家の方にお会いしたよ」
「あぁ、ローウィン様ですか。素晴らしい方でしたでしょう?」
「え?オルナン、ローウィン様をご存じなんですか?」

オルナンは軽く眉を上げて呆れ顔になった。

「何をおっしゃってるんですか、かなりの有名人ですよ、ローウィン様は」
「え、そうなんだ……」
「三大公爵家の直系ということもありますが、大変民衆思いで若くして高い戦歴のある方です。身を挺して、民を守ろうとなさったことが何度もあるとか。それでいて、気さくで明るい方で気軽に町中へ出向かれて、普通の食堂で食事をなさったりされることもあるとか。北方では絶大な人気を誇る方です」
「へえ……確かに気さくな方だったけど……」
「あと、大変容姿の良い方でも有名ですよ」
「あぁ確かに……」
「お綺麗でしたか?」
「うん」
「移動されたら同僚になりますな」

からかうように言われ、スティールは慌てて首を横に振った。

「いや、王宮はもう嫌だ。行きたくない」
「一種の出世話ではありますよ。給与もあちらの方が上ですからね」
「俺はあんなところで仕事している場合じゃないから」
「安全な上、王族貴族の側近くで仕えることができるということで人気ある職場なんですがね」

オルナンが言うことも一利ある。
給与がいい、比較的安全、高貴な方々の側に仕えることができる、と条件がいい職場だ。
しかし、スティールは到底賛同できなかった。あんなところで仕事をしていたらガルバドスが攻めてきたときに前線へ出ることができない。そうなるとフェルナンたちを守れないではないか。それでは印の練習を頑張っている意味がない。

「オルナン、俺はあんなところで働いている場合じゃありません。ガルバドス国が攻めてきたときに青竜ディンガの相手をしなきゃいけませんから」

オルナンはさすがに驚いた様子で言った。

「隊長、言っている意味が判っているんですか?あんな巨体のヘビを相手にすると?」
「誰かが相手をしないといけません」
「だが……」
「やります。俺とドゥルーガがディンガの相手をしている間、隊をお願いします」

オルナンは隊長位経験者だ。
実際、隊の運営はかなりの部分をオルナンが補佐してくれているおかげで円滑に回っている。
スティールがいなくても隊の指揮は問題なくとれるだろう。

眉を寄せるオルナンと向かい合うスティールの元へ駆け寄ってきたのはカイザードだ。

「あのディンガと戦う!?無茶だ!!」
「カイザード……」
「山のような巨体で毒と酸を操る青竜をどうやって倒すつもりだ!?倒せないときりがないんだぞ!!たった一人じゃ体力が尽きたときになぶり殺しにされるだけだ!!」

カイザードの意見は皆の意見でもあるのだろう。大隊長であるスティールに対する暴言を咎める声は出ない。

「誰かが足止めしないといけないんです」
「だからって一人でやらなきゃいけないってもんでもないだろう!?」
「大丈夫です、俺にはドゥルーガがいます。それにこのことはフェルナンも知ってます」
「!!」
「いざとなった場合、俺とフェルナンで止めます。ディンガには上級印の合成印技しか通用しないそうです。そうなると幾ら人数がいても意味がありません。合成印技が使える人間しか、ディンガに対峙できないんです」
「だがっ……!」
「合成印技は射程範囲が広い。ですが、状況によっては味方を巻き添えにしてしまう危険性もあります。ですから俺とフェルナンで組むのが一番安全なんです」
「俺じゃ、ダメなのか?」

カイザードの問いにスティールは首を横に振った。
カイザードは炎の上級印技を持つ。将来的には可能性があるかもしれない。だが今は。

「すみません、先輩。俺はフェルナンと一緒に戦います」

それはもちろんフェルナンの方が実力的に上だからだ。
口に出さない理由にカイザードは気付いたのだろう。悔しげに唇を噛んだ。
同じように険しい顔で黙り込んでいるのはラーディンだ。
カイザードは静かに問うた。

「……大丈夫なのか?」
「大丈夫です。そうだろ、ドゥルーガ」

まぁな、と小手状態から小竜状態に変化したドゥルーガはスティールの肩に留まりつつ告げた。

「俺たちにサイズは関係ない」
「だが……!!ディンガは何百もの兵を毒と酸で一気に倒すような凶暴な竜だ!!そんな竜にどうやって対抗するつもりだ!?」
「俺もできるぞ」
「!!」
「人を多く殺すというのは楽だ。空気中に放電するか、巨大な雷撃を落とせばいい。電流が地面を伝うから近くにいる人間は敵味方関係なく殺れるだろうな。
古来より人の子は見た目の大きさや破壊力に惑わされがちだが、俺たちには意味がない。俺はディンガより早い。毒も酸も届かなければ意味がない。届いたところで中和してしまえばいい。俺はすべてを溶かすスライムだ。毒も酸も通用しない。消化能力はヤツよりもはるかに上だ」
「……大丈夫……なんだな?」
「俺が使い手を殺させるわけがないだろう」

小竜は軽く鼻を鳴らした。

「それよりもお前等が殺されるなよ。俺はお前たちを助けたことはあっても助けられたことはないぞ」

グッとカイザードが言葉に詰まる。
身に覚えがあるのか、ラーディンも厳しい表情で黙り込んだ。

「お前等がいるほうが足手まといだ。だから一人の方がいいんだ」

小竜は足手まといだときっぱり言い切った。
キツイ言い方だと思いつつもスティールは庇わなかった。一人の方がやりやすいのはスティールも同じだったためだ。危険な戦いに隊の仲間を同行させようとは思わなかった。

「まぁフェルナンなら同行させてもいいがな。あいつは強い」

うん、とスティールは頷いた。
カイザードの眼差しが険しくなる。フェルナンならばいいと言ったことが気に障ったのだろう。しかし相手の実力の方が上だと自覚があるのか、反論はなかった。

(戦わずに済むのが一番だけど)

自分だって青竜と戦いたいとは思わない。避けられるのならば避けたい。しかしそうはいかないであろうことが現実だ。

「よく言った、スティール」

珍しくカイザードやラグディスと同じ席に座っていた大隊長のコーザはにやりと笑みつつ、同地位まで出世した元部下を褒めた。

「昔は『ドゥルーガは鍛冶師だから勝てない』なんて言ってた癖にずいぶん成長したな。ガルバドス国と戦う以上、誰かがあの蛇を止めなければならない。俺は全面的に協力しよう」
「ありがとうございます、コーザ」

腕を組んで話を聞いていたオルナンは、フゥとため息を吐いた。

「フェルナン将軍がご存じということは、この件はすでに承諾済みということなのですな?」
「そうです。すでに俺とフェルナンは指揮から抜ける方向で作戦を練っています」
「なるほど……では反対できませんな。隊はお任せ下さい」
「ありがとうございます。お願いします」
「全体指揮はどなたが?」
「恐らく第二軍のニルオス将軍になるだろうとのことです。レンディ軍が出てきた場合、第一軍と第二軍が出れるようにゲネド総軍団長も交えて調整しているとのことです」
「そこまで話が進んでいるのですか。判りました」

むろん、話を進めたのはフェルナンだ。
現実的な彼はスティールの申し出を受けた後、副将軍のシーインと全体指揮をどうするか話し合った。
レンディと対峙するためフェルナンが抜けた場合、第一軍の全体指揮を誰かが代理で執らねばならない。
副将軍が二人いれば問題なかったかもしれないが、第一軍の副将軍はシーインのみだ。
一人のみでは荷が重いということで他軍に協力を求める方向で考えることになった。
理由はレンディ軍が出てくる場合、近衛が一つのみしかでないということはあり得ないからだ。
どうせ他軍と連携を取らねばならないのなら最初から話をしておいた方がいいということになった。

「理想は第二か第五……いや、第二軍だな」

むろん、第二軍が理想だというのはわけがある。
第三軍将軍のリーガは人形のように整った容姿を持ちながらも、風と火の上級印の持ち主で卓越した印の使い手だ。
しかし、リーガはその破壊力溢れる能力から、全体指揮を執るよりも最前線で戦う方を得意としている。副将軍たちが指揮を執っていることの方が多いのだ。
リーガが出てくるのであれば、印を得意とするリーガとスティールが組んだ方が戦いやすいだろう。しかしそれでは最初から作戦が崩れてしまう。

第四軍将軍のディ・オンは近衛一の白兵戦を得意とする将だ。
しかし、彼の軍は白兵戦を得意とするだけに、レンディ軍との相性が悪いと最初から判っている。レンディ軍が侵攻してくる場合、第四軍が投入される可能性は低いだろう。

第五軍は条件が第一軍と同じで将軍一人、副将軍一人だ。
しかし、この軍は将軍のアルディンとそれを補佐するシードが組んでこそ、威力を発揮する軍であり、どちらが欠けてもバランスが悪くなる。
どんな局面にも柔軟に対応できるバランス型の軍だが、他軍の指揮まで執る余裕はないだろう。

その点、第二軍将軍のニルオスならば問題ない。
むしろ、彼の読みの良さはこういった局面にこそ最大限に威力を発揮すると言っていいだろう。
ニルオスならば第一軍まで指揮を執れと言っても問題なく軍を動かしてくれるだろう。
もっとも、ある程度、各隊の情報を渡しておく必要はでてくるだろうが……。

「情報を渡すのは気が進まないが、戦場で全体指揮という大仕事を押しつけるんだ。仕方がない」
「そうですね」

シーインも苦笑気味に同意した。