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◆白夜の谷(2)


スティールは寮の自室でゴロゴロとベッドに寝転がった。
枕元には小竜がいる。
出会ったときからサイズに変化のない、手の平サイズの小竜だ。

「ドゥルーガ、お前、鍛冶をする時どうやってるんだ?道具とか持てないだろ?」

いつか聞こうと思っていた素朴な疑問だった。
手の平サイズじゃ道具を持とうにも持てないだろうと思ったからだ。

「持てるぞ」
「そんなに小さいのに?」

まさかミニサイズの道具を使っているのだろうかと思ったスティールの前で、ドゥルーガは液体になった。そしてどんどん体積が膨らんでいき、浴槽の半分ぐらいの量がある紫のゼリー物体と化した。

「俺たちにサイズは関係がないぞ。ほら」

そのゼリー物体から半透明の腕が幾つも飛び出してくる。形状は紫で半透明であることを除けば、人間の腕そっくりだ。

「これで鍛冶ができるぞ」
「うーん……お前には悪いけど気持ち悪いよ、ドゥルーガ」
「そうか?」
「腕が出せるなら、いっそ全身化ければ?半透明でも普通の人間みたいな見かけの方がいいよ」
「………できるぞ」
「だったら最初からそうすればいいのに」
「あまり良い思い出がなくてな…」

ため息雑じりに呟くと、ドゥルーガは人間の姿に変化した。
今度は人間らしく色もつけたらしく、白い肌に紫の髪をした30才前後の男に変化する。濡れたように艶のある紫の髪は癖があり、陶器のような白い頬に少しかかっている。
大人の男らしい色艶のある、意志の強そうな男の姿だ。
思わず見惚れるような容姿の良い男の姿に変化したドゥルーガを見たスティールは、しばし無言だった。
昔、その当時の使い手に惚れられ、モメた経験のあるドゥルーガは極力、使い手の前で人の姿をとらないようにしてきた。
今度の使い手はどうだろうかと少し緊張して反応を待つドゥルーガの前で、スティールはため息を吐いた。

「年上かぁ…」

どうやらドゥルーガの外見が年上の男のものであったことが気になったらしい。
あまりに予想外の反応にドゥルーガは一気に力が抜け、呆れたように叫んだ。

「アホかっ!!俺はお前より何万才も年上だっ!!」
「何万!?年上すぎるよ、ドゥルーガっ!!」
「事実だ」
「……年代物の武具だったんだね、ドゥルーガ…」
「そうだぞ。俺は伝説級の武具だぞ」
「ふーん……あのさ、悪いけど元に戻ってくれる?」
「うん?気にくわなかったか?」
「うーん、そうだね……全身化けろって言ったのは俺だから、こう言うのは申し訳ないんだけどさ……俺、小手かいつもの小さいお前の方がいいや」
「そうか。奇遇だな、俺もだ」

こっちが本来の俺だからな、と言い、小竜になって肩の上に飛び乗ってくるドゥルーガにスティールは笑んだ。

「人間姿の俺は気に入らなかったか?」
「気に入らないってわけじゃないけど……ごめん、正直言って何とも思わなかった。これがお前かぁって思っただけで…」
「あれも仮の姿だぞ。俺はスライムだから何にでも化けられる。武具や今の状態が本来の俺だ」
「そうなんだね。よくない思い出があるって言ってたけど、虐待でも受けたことがあるの?」
「幸い、そんな経験はないな。使い手に惚れられたことがあるだけだ。俺たちは性欲がないからな、困るばかりだった」
「あー、判る気がする」
「何!?」

過去の思い出が蘇り、ギョッとして緊張するドゥルーガに対し、スティールはのんびりと言った。

「人間として見たらすごくいい男だよ、お前。仕事も出来そうだし、見た目もいいと思う」
「……そうか。だが俺は武具だぞ。惚れられてもな…」
「そこじゃないかな」
「ん?」
「お前は武具だからさ。俺はいつも小手としてはめているお前に惚れることはできないよ。例え人間の姿になれるとしてもね」
「あぁ……そうか、そういうことか」
「どうしたの?ドゥルーガ」
「いや、昔を思い出していただけだ」

かつての使い手の前ではいつも人間の姿だったことを思い出す。
小竜としての姿さえ取ることは少なく、小手の姿に至っては滅多にとらなかった。
それは鍛冶をする生活を最優先させた為であったが、その結果、使い手と想いがすれ違い、悲しい別れを経験することになった。

「お前が武具でよかったよ、ドゥルーガ」
「ほう?」

逆のことは言われたことはあるが、武具でよかったと言われたことはほとんどない。嬉しいことを言ってくれるとしっぽをピンと立てたドゥルーガに対し、スティールは笑った。

「お前が人間だったらこうして一緒にいることはできなかっただろうし、先輩やラーディンもお前に惚れちゃったかもしれないしね」

前半はともかく、後半の台詞で台無しだとドゥルーガは思った。

「お前、くれぐれも運命の相手たちにそのことは言うなよ」
「え、何で?」
「いいから言うとおりにしておけ」
「うん、判った」

ドゥルーガへの信頼が勝ったらしく、素直に頷くスティールに、ドゥルーガはこっそりため息を吐いた。
カイザードやラーディンが『ドゥルーガに惚れたかもしれないよ』などとスティールに思われたと知ったら、確実に気を悪くするだろう。どちらもスティールに一途な恋人たちだからだ。
ただでさえ、1対複数という不安定な関係だ。カイザードは一度スティールと別れた経験から、スティールの想いに過敏になっているし、ラーディンはラーディンで親友と恋人の境界線の曖昧さに悩んでいる節がある。
例外はフェルナンだが、彼はある意味一番過激な人物だ。怒ったら面倒なことになるだろう。
いずれにせよ、使い手の恋愛関係になど巻き込まれたくないドゥルーガである。

「甲斐性なしと言われないように頑張れよ」
「ええ!?俺、甲斐性なし!?」
「当然だ。優れた鍛冶の腕もなく、騎士としても中途半端なお前のどこに甲斐性が存在するんだ?」
「うーん、それを言われると……確かに……」
「そもそも俺がいないとディンガのヤツも止められないだろうが。フェルナンは将軍だ。フェルナンが狙われた時、誰がディンガを止めるんだ?」
「うん……そうだよね……それは俺も気になってた……」

自分たちが軍人である以上、ガルバドスとの対決は避けて通れない道だ。
そしてフェルナンが近衛将軍である以上、首を狙われるのも当然のことなのだ。

「あのさ、同族であるお前に聞くのは心苦しいんだけどさ……青竜ディンガを倒す方法ってあるかな?」
「人間には厳しいだろうな。俺たちは防御力が高い。通常の武具じゃウロコに傷をつけるのも難しいだろう。直接攻撃では無理だと思え」
「そっか……印攻撃なら?」
「上級印持ち同士による合成印技なら、少しは傷つけられるかもしれないな」
「少しなんだ…」
「ディンガは戦場じゃ、あの巨体だ。完全に倒そうと思わない方がいい。無理に倒そうとしても難しいだろう。それよりは退ける方に狙いを定めた方がいい。ポイントは使い手だ」
「使い手ってことはレンディ?」
「使い手を殺せば、ディンガは新たな使い手を捜すようになる。しばらくは戦場に出てこなくなるぞ」
「そうなの?ディンガはガルバドス国と契約しているって聞いてるんだけど……」
「それは使い手がいることが前提のはずだ。俺たちは使い手なしで人間と戦うことはない。俺たちはそういう存在なんだ」
「そっか……じゃあ使い手を殺せば何とかなるんだね…」
「そういうことだ。あまり気が進まないがな」
「そうなの?レンディはディンガと共に皆殺しを好む残虐な人だって聞いてる。あまり良い評判は聞かないんだけど」
「人間の評判など俺にはどうでもいい。そもそも敵国の将を良く言う者などほとんどいないだろう。気が進まないのは、使い手を殺すと相当恨まれるだろうからだ。俺たちは人間などどうでもいいが、使い手は別だ。何百年、何千年経っても忘れることはないし、ずっと覚えている。」
「そっか…」
「俺たちは基本的に同族とは争わない。お互いに関わらないようにしている」

だからお互いの使い手に手出しすることもない、とドゥルーガ。

「うーん、じゃあ、レンディは狙わない方がいいのかな」
「いや、狙った方がいい。作戦としては一番効果的だ」
「けど、ディンガに恨まれるんだろ!?」
「スティール、戦場で一番最優先に考えねばならないことはなんだ?」
「え、ええと……士官学校では生き残ることって教えられたけど」
「正解だ。戦場では生き残ることを最優先に考えねばならない。その際、強敵の排除は将であるフェルナンを守るためにもやらねばならないことだ、違うか?」
「う、うん、そうだけど…」
「この際、多少の犠牲や感傷は捨てることだ。恨まれようが憎まれようが、生き残るための障害になるのなら殺せ。絶対に躊躇うな。戦場に立つのならそれぐらいの覚悟をしろ。一瞬の躊躇いが死に繋がる」
「うん……」
「ディンガは甘くないぞ。俺の使い手であろうが遠慮無くお前の命を狙ってくるだろう。あいつはそういうヤツだ」
「そっか……」
「恨みを背負う覚悟をしろ」

重い言葉だ、とスティールは思った。
しかし、それが命の重さなのだろう。
そしてフェルナンを守るためには避けて通れぬ道なのだ。

「うん。あのさ、ドゥルーガ。俺、合成印技の練習をするよ。できるだけするよ」
「ほう…」

目の色が変わったようだな、とドゥルーガは思った。
どうやら覚悟を決めたらしい。
騎士になって何年か経ってからというのは、ずいぶんスローペースな覚悟の決め方だが、それがスティールなのだから仕方がない。
いずれにせよ、強くなるだろう。
ペースは遅くても底知れぬ器を感じさせるのが今の使い手なのだ。
ドゥルーガは使い手の可能性を考え、上機嫌にピンと尾を伸ばした。

「それじゃフェルナンを誘うか」
「え!?」
「まさか一度も練習せずにあいつと合成印技を振るうつもりか?」
「い、いや、そうじゃないんだけど、フェルナンと合成印技をするのが前提なの?」
「軍の将が狙われやすいのは判っているんだろうが。狙われたところを返り討ちにする作戦の話し合いじゃなかったのか?」
「返り討ち………た、確かに狙われやすいだろうけど…」
「個人技を磨きつつ、フェルナンとの合成印技も磨く。これが効率のいい特訓方法だ。やるぞ」
「うう……なんか気が重いなぁ……怒られそうだ」


翌日の業務終了後、やる気満々のドゥルーガに誘うよう命じられ、スティールは将軍用執務室をノックした。
フェルナンは副将軍のシーインと共に仕事中だった。

「スティール?どうした、珍しいな」
「あの、お時間があればでいいのですが、合成印技の練習につきあっていただけますか?」
「合成印技の練習……。君が炎蜘蛛陣(リ・ジンガ)を使えることは知っているが、他にも覚えるつもりなのかい?」
「はい、今のままではレンディを倒せませんので」
「何だって?」
「その…今のままではレンディを倒せませんので、腕を上げたいと思ってます」
「君はレンディを倒すつもりなのか?」

驚くフェルナンに対し、スティールは真顔で頷いた。

「倒さねば貴方がやられます、フェルナン。彼は軍の将を狙ってくるでしょうから」

むろん、可能性としてはとても高いことだ。
しかし、スティールが告げた内容の意味に気付いてフェルナンは絶句した。
スティールはフェルナンを守るためにレンディを倒すと言っているのだ。
青竜を倒すことは現時点では軍の悲願にも近い目標だ。しかし、実際に倒すと言った者は一人もいなかった。それほど遠い現実だったのだ。フェルナン自身、退けることは考えていても倒すことは考えていなかった。

「頼もしいですね、将軍」

副将軍のシーインはやる気あるスティールに、率直に好感を抱いたらしい。
笑顔でそう告げてきたシーインにフェルナンはぎくしゃくと頷いた。

「そう、だな…」

しかし、つきあうにはまだ仕事が残っている。

「スティール、今日は仕事が残っているので無理だ。明日以降になる。できればあらかじめ、予定を教えておいてくれ。そうしないとつきあうのは難しいだろう」

近衛将軍であるフェルナンは多忙な身だ。あらかじめ約束しておかないと難しいのだろう。納得したスティールはわかりましたと頷いた。

部屋を出ようとしたスティールは名を呼ばれて立ち止まった。

「……なかなかいい目標だ」
「はい」
「ぜひ達成しようじゃないか。できるだけ協力するよ」
「ありがとうございます」
「……コホン…………まぁ……頑張りたまえ」
「はい」
「私の目は気にせずに、惚れ直したと言えばいいではありませんか、将軍」
「シーイン副将軍、君は余計なことは言わなくていい!」

笑いながらのツッコミにフェルナンは赤い顔で怒った。
しかし、どう見ても照れ隠しにしか見えず、スティールは笑んだ。
照れた顔は滅多に見れない上、ずいぶん可愛い。

「ありがとうございます」
「スティール!」
「頑張ります」
「…あぁ」

誰かを殺す、という目標は気が乗らない。個人的な恨みもない相手だから尚更だ。
それでも現時点では避けて通れる道ではない。
大切な相手を守るためと思えば、出ないやる気も出る。むしろそうやって無理矢理やる気を出している。
倒せるかどうか判らない強敵。こちらが倒される可能性も高いだろう。それでも大切な相手を守るために強くならねばならない。自分の敗北は愛する相手の死に直結する可能性が高いのだ。

この時の決意がこの後の運命を大きく変えることになるのだが、この時は当人も知らぬままであった。