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◆白夜の谷


スティールはため息を吐いた。目の前には大隊長の制服がある。今日からこれを身につけなければならないのだ。
スティールが大隊長へ昇進するきっかけとなったのは大隊長位に空きができたためである。
今年、北の大国ホールドスが再攻撃してきて、その応戦のために第三、第五の二軍が北方へ出撃した。
大きな戦いの後は大規模な人事異動が行われることが多い。
亡くなったり引退したりして空きが出来た他軍へ移動した大隊長が出て、その空きをスティールが埋めることになった。
スティールは元々それを可能とするだけの功績があったため、昇進となったのだ。

「俺はまだまだ未熟です!」

そうスティールは訴えたが、スティールへ昇進を告げた軍団長のフェルナンは素っ気なかった。

「君よりも早く大隊長へ昇進した前例がある。第二軍将軍のニルオスは君より早く大隊長へ昇進している」
「で、ですが……」
「これでも待ってあげた方だ。君が昇進条件を満たして一年以上になる。これ以上待てというのかい?甘えるのもいい加減にしたまえ。自分に足りぬ部分があるなら埋めるよう努力しろ。謙虚さも度が過ぎれば見苦しいだけだ」

冷ややかな声音で叱責され、スティールは落ち込んだ。

そうして大隊長となったスティールだったが、副官はベテラン騎士のオルナンのままだった。もちろん、もう一人の副官キーネスも一緒だ。
てっきりオルナンが中隊を継ぐものだと思いこんでいたスティールは驚いた。
元上官で今度から同地位となった大隊長コーザはあっさりとその疑問に答えてくれた。

「大きな戦いの後は怪我人や戦死者が多いので、人事異動が増え、隊の解体や再編成が多くなる……ってことは判るな?」
「はい、もちろんです」
「元々お前さんは過去の功績や七竜の使い手ということから、大隊長となる最有力候補だった。そのため、どこかに大隊長の空きが出来たら、出世に伴う移動が考えられていた。だが大隊長としては若くて経験も少ない。そのため、ベテラン騎士のオルナンがそのまま補佐としてつく。判ったか?」
「は、はい」

スティールの隊を引き継いだのはカイザードだ。
過去の戦いで敵の赤将軍を負傷させた功績があり、普段の勤務態度にも問題はないということで中隊長へ昇進となった。
しかし、引き継いだとはいえ、隊の顔ぶれは半数以上異なっている。スティール中隊は今回の人事異動で大きな影響を受けた隊の一つとなったのだ。
ちなみにラグディス、ラーディンも移動となり、隊には残っていない。その理由もコーザが説明してくれた。

「ラーディン、カイザード、ラグディスはお前さんと同じく有力な幹部候補だ。つまり将来、大隊長となる可能性がある人物ということになる。そういう有力な人材は、幹部育成のうまいベテランをつけて育てる。今まではオルナンがお前さんと一緒に見てくれていたが、そろそろ独り立ちして腕を磨く時期だ。そのため、お前さんとは別の大隊へ移動させた。上が開いたときに移動しやすいように。判るか?」
「出世することを見越してってことですか?」
「そうだ。さすがに七竜がいるお前さんと同じようにスムーズに行くとは限らないが、あいつらは腕も頭もいい。十分、上を狙える人材だ。だがお前さんが大隊長にいると、同世代のあいつらは上を狙いにくくなる。だからわざと別の大隊に移動させた。お前の部下で満足してほしくないっていう狙いもあってな。次の戦いで功績を立てたら、ラーディンとラグディスは昇進できるだろう」
「なるほど……判りました」
「あいつらが別の隊になったと愚痴ってきたら、同じところまで上ってこいと発破をかけてやれ。俺はラグディスに同じ事を言ってやったぞ」

すでにラグディスからは苦情を受けたらしい。
ラグディスがコーザを想っていることを知るスティールは苦笑した。

ちなみに中隊の会計担当であったキリィと補給担当であったカナックはそのまま大隊の会計と補給の担当になった。ある意味、出世であるが、コーザの話によると当人たちの希望をそのまま受け入れただけということだった。

「元々二人とも優秀だし、実力的にも年齢的にも問題ないってことでそのまま当人たちの希望通り、お前さんにくっつけたのさ」
「え?当人の希望って……」
「本当は中隊長に昇進させても問題がなかったんだ。彼らはそれなりに実績があるからな。だが当人たちがお前さんの補佐がいいと拒否してきた。慕われているんだぞ、お前。あいつらを大切にしろよ」
「は、はい」

まさかそんなことがあったとは思ってもいなかったスティールは酷く驚いた。
ちなみに大隊の会計と補給はそれぞれ数名ずつの部下持ちになるという。中隊とは規模が違うので、管理運営もなかなか大変なようだ。

(う、俺、大丈夫かな……)

ちなみに第一軍の大隊長はコーザの他、スティールも含めて現在は8名だ。
大隊長は最大十名だが、十名すべてが埋まることは少なく、どの軍も大抵7、8名前後だという。
そして大隊長はクセが強い者が多いという。個性派揃いなのだそうだ。

「大隊長を見ればその軍がどんな軍か判ると言われているほどでな」
「そ、そうなんですか?」
「第二軍は一癖も二癖もありそうな皮肉屋な連中が多く、第三軍は攻撃主体の軍と言われるだけあり、気の短そうな屈強な男揃いだ。第四軍は年齢も性格もバラバラで自由奔放な連中が多く、遅刻魔だらけ。第五軍は生まれ育ちのいい連中が多いが、ほぼ全員がシード副将軍ファンだ」
「…………な、なるほど……」

うちはどうなんだと問いたくなったスティールであったが、返ってくる答えが怖かったために黙り込んだ。
しかし、コーザは勝手に教えてくれた。

「うちは厳しくて真面目だって言われてるぞ」
「そうなんですか?」
「フェルナン様が規律に厳しい方だからな。他軍よりも服装の乱れや掃除など衛生面は厳しく管理されている。似た風潮は第五軍でも見られるが、フェルナン様は特に色恋沙汰の醜聞がお嫌いだ。余所よりも厳しく処罰される。オマケに春画の持ち込み禁止なんて決まりを厳しく守っているのはうちぐらいだろう」

春画というのはいわゆる性的な場面を描いた絵で、市井に広く出回っている。
男の夜の必需品、娯楽品と言われているぐらいなので、法的には取り締まりがないが、戒律が厳しい教会や騎士団などへの持ち込みは禁じられている。
しかし、禁じられてはいるものの、性的なことに寛容な世界であるため、一応禁じられてはいるものの、見つかったところで処罰されることはないというのが一般的だ。

「まぁ実際には職場にまで春画を持ち込むのは第四軍ぐらいだろうが……」
「そ、そうなんですか?」
「第四軍はいろいろとおおっぴらだからな。夏場にパンツ一つで公舎を歩くヤツが出たり、庭の噴水で水浴びするヤツがいたり、番犬だとイヌを公舎入り口前で飼ってみたり、そのイヌを大浴場で洗ってみたり、逸話はいろいろあるぞ」
「そ、そうなんですね……」

本当に開放的な気風なんだなとスティールは驚いた。第一軍では考えられない行動だ。

「まあ、全部やらかすのがディ・オン将軍らしいんだけどな」
「ええ?」

しかし、周囲も笑い飛ばすばかりで積極的に止めようとはしないらしい。
怒るのは第四軍副将軍のカイルかディ・オンの元上司シードぐらいなのだそうだ。

「しかし、お前さんも腕を磨かないとやばいぞ」

大隊長は最前線に立つことが多い立場だ。
そして敵に首として狙われやすい地位でもある。
弱い、未熟だ、などと言っていられるような立場ではないのだ。

「うっ……そうですよね……」

大隊長位は敵国ガルバドスで言えば、青将軍と近い地位だ。
上には将軍、副将軍しかない。

「俺たちが敵将を食い止めなければ、部下、そして将軍が危険になる。逃げるわけにはいかないんだ。そのことを肝に免じておけよ、スティール」

元上官コーザの言葉はスティールに深く突き刺さった。
自分が逃げれば将軍が危険になる。
つまり、フェルナンの身が危険になるのだ。
敵国ガルバドスには青竜の使い手がいる。彼は積極的に敵将の首を狙ってくるだろう。
対峙しなければフェルナンが危険となるのだ。

(闘わないといけない……)

以前レンディと会ったときの底知れぬ雰囲気を思いだし、スティールは背を奮わせた。