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◆ディガンダの黒犬(26)

それから長い歳月が経った。
ロディールは相変わらずゼーター島で暮らしつつ、他の小島やアジトへも行き来し、時にはミスティア領主アルドーに呼び出され、時にはギランガの頭領夫妻に呼び出されつつ、薬師としての日々を過ごしていた。

そうしてロディールが海の底から出てきた藍色の小竜と意気投合し、島へ戻ってきた時のことである。

「何もない島だな」

藍竜ラグーンの呟きにロディールは笑いつつ答えた。

「あぁ、何もない島だ」

何もないといいつつも声は誇らしげだ。住まう地を愛しているが故の言葉だ。
小竜は少し嬉しくなり、肩の上でピンと尾を立てた。
そこへ明るい声が響いた。

「センセー、帰ったのか!!」

ロディールと同世代の赤毛の男は嬉しそうに駆け寄ってきた。

「アガール、ただいま」
「おかえり!」

相手と軽く抱き合う。
ロディールとロウタスの間にはなかなか子供ができなかった。理由は完全にロウタスの側にあり、無理を重ねたロウタスの体は子を育むのに適した体ではなくなっていた。
元々、リースティーアという両性の一族は母胎として不安定なこともあり、妊娠は困難を極めた。
結局、ロウタスの体を案じたロディールがアガールに相談し、アガールが快諾してくれたために彼と子供を作った。
アガールとの子供は問題なく生まれてきて、元気に育った。
その後、熱意が通じたのか何なのか、ロウタスに子ができたのはアガールとの子供が生まれてずいぶん経ってからのことだった。とっくに諦めていた時期のことだった。
ロディールはロウタスの体を案じて、産ませることを悩んだのだが、ロウタスは絶対に産むと言い張った。
案の定、妊娠中、子供は何度も危機を彷徨ったが、何とか流れることなく、やや早産ではあったが生まれてくることができた。

「お母様ぁ、そろそろ薄着は年齢的にも止めていただきたいと何度も申し上げたはずですがねえ?」
「あぁ、うぜえ!!大丈夫だって言ってるだろうがっ!!あと、その呼び方はやめろって何度も言ってるだろうがっ!!このクソガキ!!」

やれやれと呆れたように首を振るのは、ロディールの末の子だ。
生まれてくるまでは大変だったが、生まれてしまえば元気な子供で問題なく成長した。
ロウタス譲りの黒髪を持つ彼はロディールの子の中では唯一、金髪ではない子だ。
しかし、それ以外の部分はロディールに似たらしく、薬師としても順調に腕を上げている。
そんな彼は、性格が育ての親であるアガールの方に似たらしく、明るい性格だ。
実の親であるロウタスにも全く怯むことなく接しており、ロウタスをやりこめることすらある。

「あ、父さん戻られたのですか。父さんからもお母様に薄着は止めるようにおっしゃってください」
「何だ、お前。貧相なトカゲを拾ってきて。ペットにでもするのか?」

瞬間、ロディールは肩の上が寒くなった気がした。

「すまんな、口の悪いヤツで。一応、彼が俺の妻なんだ」

妻と子だ、と紹介された小竜はむっつりしつつ、ロウタスと末の子であるノルレインを見た。

「甥っ子のご友人である紫竜ドゥルーガ殿を介して知り合った、藍竜のラグーン殿だ」
「……なんだって?」
「だから、藍竜のラグーン殿だ」
「藍竜って……七竜の!?」

さすがに驚愕の声を上げたアガールに、ロディールは、そうだ、と淡々と答えた。

「ハッ、証拠はあるのかよ?」

さすがに疑惑の目たっぷりのロウタスにロディールは肩をすくめた。

「そのうち判るさ。とりあえず俺としてはマリエン島へ行きやすくなったのが助かる。彼はとても大きな海蛇になることができるんだ。確実に船より早く着くことができる」
「海蛇!?」
「あぁ。近隣の島々への往診も早くできそうなんだ」
「へえ。よかったね、父さん」
「あぁ」

あっさり受け入れた親子に対し、ロウタスはついていけないとばかりに首を横に振った。さすがにアガールも信じられないのか唖然としている。
しかし、ロディールは嘘をつかない性格だ。嘘ではないと判るのだろう。

「子は何人いるんだ?」
「腹違いで五人ほど」
「ほう、なかなか多いな」
「後継者が欲しかったからな。彼がたくさん産んでくれたんだ。五人中四人は彼との子供だ」
「俺、センセーのこと大好きだからさ。嬉しかったよ」

顰め面のロウタスも幼い頃から世話になっている異父兄弟には強く出れないのか、文句を言わずに黙っている。
そんな親たちを苦笑顔で見ているのはノルレインだ。

「父さんがモテて大変ですね〜、お母様」
「るせえ……もう諦めた」
「ハハ……そりゃ、イルファーンさんやアガールさんじゃなく、母さんを選んでくれたことだけでも奇跡ですもんね」
「憎らしく育ちやがって。誰に似たんだ、テメエは」
「間違いなくアナタでしょ、お母さん」

毒舌家の子供は、親の恋愛遍歴を知っている。海賊である周囲が隠さないから、どんな経緯で結婚したかも知っている。
当時、両親らと船に乗っていたという海賊達が酒の肴に語ってくれたことがあったのだ。

『お前さんのオヤジはとてもモテたんだぜ、ノル』
『今もモテているけどなぁ、センセは』
『イルファーン、アガール、ロウタスの三人で取り合いになって、ロウタスが勝ったのさ』
『三人とも幹部でいい男揃いだったから、センセがうらやましくて仕方がなかったよ』
『賭じゃイルファーンが本命でロウタスが大穴だったよな、あのときは』
『そうそう、ロウタスだけはねえだろうって思ってたのによぉ。センセと喧嘩ばっかりしてたからな。あのときは当時の船長のダヴィードが一人勝ちだったなぁ』
『あの人ぁ、そういう勘が抜群だったからなぁ』
『あの人とあの手の賭をするもんじゃねえ。いっつも勝ちを攫っていくからな』

親の恋愛は、影で海賊達の賭の対象になっていたらしい。
しかし、周囲の見方ではイルファーンが優勢だったという話にはノルレインも納得できた。
実の親ながら、ロウタスはお世辞にも扱いやすい性格ではない。喧嘩っ早く、短気で荒々しい性格だ。海賊の同僚としてならともかく、一緒に暮らしたいと思える相手ではない。親だから許せるのだ。こんな扱いづらい男を結婚相手に選んだ父をときどき尊敬したくなる。

『なんで父さんは母さんと結婚したの?』

ノルレインは父にそう問うたことがある。 真面目で人望あるイルファーンや明るく快活なアガールを選ばなかったことがノルレインにとっても不思議だったのだ。
ロウタスも居合わせていて、眉をつり上げていたが、口に出して怒りはしなかった。彼も父の返答が気になったのだろう。ちらりとロディールを見た。
ロディールはカルテに何か書きながら、口を開いた。

『ロウタスの旦那になれるのは俺だけだろうからな』
『母さんに同情して結婚したの?』
『まさか』

ロディールはカルテを書棚に戻しつつ、静かに笑った。

『ヤボな質問をするな、ノル。政略婚でない限り、結婚する理由なんて相手に惚れる以外にあり得ないだろ』

ノルレインは父の返答を聞き、密かに父を見直した。
当の本人が居合わせているのに、『惚れているから結婚した』と堂々と言い切った父に感心したのである。
一方のロウタスは、絶句していた。幾度か口を開いたが、言葉はでてこなかった。何か言おうとしても言葉が思いつかなかったようだ。最終的にはテーブルに突っ伏し、頭を抱えていた。腕の間から覗く耳は真っ赤だったから、照れていたようだ。
仲のよい両親の姿はノルレインにとっても嬉しいものだったので、それ以上何も聞きはしなかった。ロディールの返答はノルレインにとって納得できるものだったのだ。