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◆ディガンダの黒犬(27)

家に帰ると、長男坊のライレーンが薬の調合をしていた。
ロディールによく似た白っぽい金髪を持つ若い青年は、慣れた様子で薬をすり鉢で混ぜている。
長男はすでに成人している。親譲りの腕を持つ優れた薬師だ。

「お帰り、父さん」
「ただいま。今日から同居者が増える。こちらは藍竜のラグーン殿だ。ラグーン殿、こいつは最初の子のライレーンだ」
「藍竜?」
「まぁ縁があってな」
「そうか。よろしく、ラグーン殿」

あっさり受け入れた長男坊は、ちらっと父を見た。

「父さん、俺、島長の件、正式に辞退したよ」
「そうか」
「俺よりノルの方が向いている」

父と兄の視線を受けた末っ子はにっこりと笑んだ。

「はい、やりますよ」

現在の島長はイルファーンだ。しかし、実質的には結婚相手であるセシャンとの共同統治になっている。
セシャンは優秀な騎士だけあり、島の統治にも優れた働きを見せ、イルファーンのよき力となっている。
しかし、男性同士である彼らには実子がいない。女性カップルとの間に子を作ることもできたが、彼らはそれを望まなかった。その為、ロディールの子供に白羽の矢が立った。
最初は長男が有力だったが、穏やかで物静かな気質の彼は、人の上に立つことを好まなかった。
末っ子のノルレインはセシャンやイルファーンとも仲がいい。彼が島長になっても特に問題はないだろう。

ロディールは現在、ロウタスと二人で暮らしている。
子供達はアガールとロディールの家を行き来するように暮らしていて、それはノルレインも同じだ。
末っ子のノルレインだけはロウタスとの子供なのだが、ロウタスは子育てに向いていなかった。上の兄弟達がノルレインを可愛がってくれたことと、アガールが引き受けてくれたこともあり、ノルレインも他の子供達と同じように育てられた。

次男は大商人のウェール一族と契約し、家を出て行った。
正しくは一方的に惚れ込まれ、熱烈に口説き落とされたようだ。
冷静沈着な次男坊リーレインは、この島を気に入っていたようで旅をする気はなかったようだ。
そのため、家を出る直前まで

『何で俺が世界中を回る大商人とやらについていかなきゃいけないんだ……』

とぼやき

『何でこうなったのかさっぱりわからん。そのうち逃げ出して帰ってくる』

と言って、諦めたように引きずられていった。
しかし、そのまま帰ってこないので、まだ旅を続けているのだろう。
ウェール一族とは今もなんだかんだと付き合いがある。数年前にはこの島にも支店ができたほどだ。
そのため、いざとなったら頼んで探すことができる。おかげでロディールもあまり心配してはいない。

三男坊は商人の島であるノルティモ島の歓楽街にいる。歓楽街専門の薬師になると言って出て行ったのだ。
歓楽街にはろくな医師や薬師がいないのが現状だという。
その点、三男坊はロディール譲りのよき腕を持っている。人助けになるし、それもいいだろうと送り出した。
しかし

『無事、歓楽街一の男娼になりました』

という手紙が届き、ロディールを唖然とさせた。どうも違った方向へ進んでしまったようだ。
しかし、当人は楽しんでいるらしい。そんな雰囲気の手紙が定期的に届く。
要領のいい息子だ。嫌になれば帰ってくるだろうと思い、放っている。

のんびり屋の四男はもう一つのアジト島であるマリエン島に移住する予定のようだ。付き合っている相手がいるらしく、とっとと移住してこいと急かされているらしい。
まだその気になれないと断っているようだが、なかなかモテる四男坊だ。相手の方が焦っているようである。四男坊は兄弟の中で一番整った顔をしているのだ。

そんなことを思い出していると、薬を鞄に詰めつつ、長男坊が口を開いた。

「父さん、俺、銀の城へ行くかもしれない」

いきなり思いがけない言葉を聞き、ロディールは驚いた。

「以前からあの城にいろんな薬剤と書物があるってのは父さんから聞いていたけど、今度正式に話が来たんだ。一定期間、勉学のために行ってみようかと思っている」
「そうか……」
「俺は大陸を知らない。海にないものがあるかもしれないと思うと見たくなった」

息子の台詞にロディールは苦笑した。
海へ来た時、『陸にないものがあるかもしれない』と思ったことを思い出す。
彼は故郷のルォークから出てきた。ルォークは山の中だった。海など見たこともなかった。
ひょんなことからミスティア領主のアルドーと知り合い、東の海へやってきた。
そんな彼の息子が今度は陸の方へ行くという。海で育った子供だから当然と言えば当然だが、自分とは逆の道を歩んでいこうとしているのが可笑しかった。

「好きなだけ見てこい。世界は広い。若いうちにたくさん見てこい」
「リーレインに言ったことと同じことを言うんだな、父さん」
「当たり前だ。どちらも俺の息子だ」
「リーレイン、帰ってこないな」
「あれだけ惚れられていては、なかなか逃げられないだろうな」

ウェール一族の男に、『リーレインを俺にください』と大量の宝石と金貨を目の前に積まれた時のことを思いだし、ロディールはため息を吐いた。
リーレインの承諾を得たら、改めて申し込みに来いと突っぱねたが、旅にでてしまったため、結局、それっきりだ。
ライレーンも思い出したのか、小さく笑った。

「お前まで出て行ったらアガールが寂しがるだろうな」
「子供はいつか独り立ちするものだよ。それにまだジルがいる」
「あいつもいつか結婚するだろう。けどあっちの島に行く気あるのかどうか…」

アガールとの最後の子供である美男子の四男坊は、とてもマイペースな人間だ。
ロディールは、五人の子供の中で一番先行きを心配している。

「相手次第じゃないかと思う。あいつを口説き落とせるかどうかだろう」
「ふむ……」
「父さんは寂しい?」
「寂しいな。だが彼に会えたからな」

視線を向けられた肩の上の小竜は、無言で首筋にスリスリッとすることで返答した。

「出会いがあれば別れがある。そういうものだ」
「うん」
「行ってこい。応援している」
「ありがとう」

往診に行ってくる、と言って家を出て行った長男は、往診ついでに島を出ることを島人に報告してくると言った。
島人たちは寂しがるだろうが、ロディールがこの島へ来た当初のことを思えばずいぶん豊かになった。
元々小さな島だ。ロディール自身がいれば特に問題はないだろう。凍気を操る心強い相棒にも出会えた。

長男と入れ替わりにやってきたのは、セシャンだ。
名目上はロディールの護衛である彼は、近所にあるイルファーンの家と行ったり来たりして過ごしている。
長男から話を聞いたのか、『彼は決めたようですね』と言い、お茶を入れるためだろう、水の入ったやかんを手に台所へ入っていった。

「俺の兄の嫁の二番目の兄の子供の嫁の弟が銀の城で働いているのですが…」
「なんだそれは。親戚にしても遠すぎだろう」
「いや、意外と遠くないといいますか、ちゃんと付き合いはあるので。それに腕のいい若手騎士なんですよ」

その彼にライレーンのことを頼んでおこうかと思います、と言うセシャンにロディールは礼を言いつつ頷いた。
それほど心配はしていないが、知人は多い方が息子も心強いだろう。

「そういえばベルクートの嫁に会ったぞ。良い人物だった」
「あぁ、噂には聞いたことがあります。近衛第五軍のシード副将軍ですね。ベルクート様はかなりいい相手を捕まえられましたねえ。これで次代のギランガは安心ですね」
「アルディンはかなり心配だがな」
「え、なんです、それは。何か問題でも?」
「どうも困った相手に捕まっているようなんだ。そのうち調べに王都へ行こうかと思っているところだ」
「センセーが自ら行かないといけないようなことですか?アルドー様にお任せすればいいのに」
「子離れできないあいつが冷静な判断を下せるわけがないだろう。相手を殺しかねないぞ。相変わらずコウが全く羨ましがらないほどの溺愛振りだからな」

王家の姫とアルドーの間に生まれた子供であるコウはミスティア家の末っ子だ。
その血筋からミスティア家の後継者に決まっているが、冷静な彼は長兄アルディンの溺愛されっぷりを気の毒がる有様で、自分より父に愛されている兄に全く嫉妬はしていない。
アルディンはアルディンで弟たちをちゃんと愛しているようなので、兄弟仲は問題ないようだ。

「アルディンもいい大人だ。過剰に関わる気はない。相手がどんな人物か確認したら帰ってくる」
「そうですか、判りました」

ロディールが行くとなると護衛であるセシャンもついていくことになる。
しかし、今のロディールには藍竜ラグーンがいる。万が一のことがあっても守ってくれるだろう。

「今度は王都行きですか。小さな島です。退屈するかと思ったものですが、いろいろあるものですね」
「全くだ」

移住して長い歳月が経った。
その間、退屈するどころか、常に何かしらあって、なんだかんだ言いながらも、島の人々と助け合ってここまでやってきた。
波瀾万丈とまではいかないが、退屈な日々ではなかったことは確かだ。

「ノルがお前達の跡継ぎになると言っている。よろしく頼む」
「それは嬉しいですね」

末っ子を我が子のように可愛がってくれているイルファーンとセシャンだ。彼らに任せれば安心だろう。
ロウタスも我が子が島へ残ると知れば反対はしないだろう。彼は他の子供が島を出て行くたびに顔をしかめていた。口には出さないが寂しがっていたのは確かだ。
そこへイルファーンがやってきた。手には魚を持っている。

「センセイ、良い魚が獲れた。一緒に食べないか?」
「ありがたいな」

魚を受け取ったのは彼の伴侶であるセシャンだ。セシャンは慣れた様子でイルファーンの頬に口づけ、笑みを浮かべて台所へ消えていった。
結婚まではロディールも含めて迂余曲折あった彼らだが、現在はうまく行っている。
器用なセシャンは料理がうまい。普段の食事は彼がよく作ってくれている。もちろんアガールやロウタス、子供達も交えることも多い。ロディールが島へ来た当初へ比べると大家族になった。そんな賑やかな日々をロディールは気に入っている。

イルファーンは島長をする傍ら、時間が空いた時は船に乗っている。海賊船ではなく、漁船だ。
海賊業も完全には引退していないが、船員もほとんど代替わりしている。
ミスティア家との口約により、活動範囲はミスティアの領域外となる東の海だ。
海賊船には長男と四男が乗っていることが多い。特に四男は一部の海賊に惚れ込まれているため、誘われて乗っていることが多い。
ロディールももう一つのアジト島であるマリエン島へ行く時は乗せてもらうが、今後は乗る機会が減りそうだ。船より遙かに早く海を渡れる相棒に出会えた為だ。

セシャンの料理が出来上がる頃、長男坊が往診から戻ってきた。

「父さん、あっちの家に寄ってきたんだけどさ」

あっちの家、とはアガールの家だ。子供達は幼い頃からアガールの家とロディールの家を行き来して過ごしている。

「ロウタスさんとノルは、今日、あっちでご飯食べるってさ。あと、ウェルレインがノルティモ島の歓楽街から帰ってきてたよ。あのバカ、パスペルト国の海軍将軍と知り合ったらしい。あいつ、中央大陸に行く気かも…」

パスペルト国はずっと東にある中央大陸にある国だ。大商人一族ウェール家の本家がある国でもある。

「遠いな……」

我が家は中央大陸と縁があるのだろうか、と思いつつ、ロディールは呟いた。

「顔ぐらい見せに来るだろう。後で話をしてみる」
「うん」

そこへ料理が入った大皿を手にしたセシャンがやってきた。
ロディールは大皿を受け取り、皿の一つに乗っていた魚の塩焼きを、テーブル上の小竜に差し出した。
小竜は少し驚いたようにロディールを見上げた。

「飲み食いは不要なんだが」
「そうか。だが一緒に食べよう。食事は皆でした方が楽しい」
「ふむ」

小竜は数センチぐらいの小魚を、小さな両手で受け取った。

「退屈しませんねえ」

笑いながら言うセシャンにロディールは頷いた。

「全くだ」

田舎だが毎日忙しい。
一難去ったらまた一難、というわけではないが、常に何かしら起こっている。
本当に退屈しない日々だ。

しかし、中央大陸パスペルト国の海軍将軍とはまた大物と出会ったものだ。
パスペルト国は海に囲まれた国家で、陸より海の方が遙かに強い権力を持つ国だ。
ロディールたちが住まう西の大陸と東の大陸の間に広がる大洋には、数々の島国があるが、パスペルト国の海軍が大きな権力を誇っている。現在のところ、海では最強を誇る軍だ。
海賊船ディガンダもパスペルト国の海軍とは接触しかけたことがあるが、実際に接触していたら、敗戦していた可能性が高い。それほどパスペルト国の海軍は強い。
そんなエリートに三男坊をやらねばならないのだろうか。

「やりたくないな……」

思わずロディールが呟くと、魚をかじっていた長男が微妙そうな顔をした。

「父さん、たぶん……被害を受けたのは相手の方だと思う」
「………」

落とされたのは相手の方だろうと言いたいのだろう。
それもまた微妙な話だ。しかし、破天荒な三男坊ならやりかねない気もする。
同じテーブルについたセシャンがクックッと笑いをこらえているのが見えた。
その隣のイルファーンも苦笑している。
いきなり男娼になっていたことと言い、海軍のエリートを落としてきたことと言い、三男坊はやることが派手すぎる。

「やれやれ…」

母であるアガールが三男坊に少しは雷を落としてくれていること祈りつつ、家族や小竜と共に魚をかじるロディールであった。


<END>

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