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◆ディガンダの黒犬(24)

ゼーター島へ戻ったロディールは、イルファーンに別居の話をした。

「何故だ?何故そんないきなり…!」
「いきなりではない。以前から話していただろう?次第に薬剤やカルテが増えてくると、やはり別居した方がいいと」
「だがまだ増えていないし、先でもいいだろう?」
「イルファーン、俺はお前さんとロウタスならロウタスを選ぶ」
「!!」
「すまんな」
「…何故?」
「……そうだな、子を産んでくれると言ったからだ。家業を継いでくれる跡取りが欲しいんだ」
「……ロディールは……酷いな……。俺は子が産めない。それを知って言っているのか?」
「そうだ。俺は後継者が欲しい。跡取りのことは俺には重要なことなんだ」
「……そうか」

残酷なほどハッキリというロディールにイルファーンは苦笑した。
ここまで望みをハッキリと絶つのは、イルファーンを気遣ってのことだろう。
しかし、それでも辛い。
どれほどこちらを思っての言葉だろうと、望みを絶たれるというのは痛みしか感じないものだ。

「お前さんはとてもモテると島の人たちから聞いた。いい相手が見つかるよう祈る」

酷く残酷に響く言葉であった。



夜半のことである。
昼のことが繰り返し脳裏に蘇り、寝付けなかったイルファーンは水を飲むために起きた。
台所へ行くと、見覚えある小瓶があった。

(確か媚薬の瓶だ……)

ロディールにしては迂闊だ。媚薬が目に付くところに放置されたままとは。

(これを飲んだらロディールが治してくれる…)

必ずロディールが触れてくれる。
彼は患者をけして見捨てはしない。ロウタスのためにすべてを捨てたように、けして見捨てはしないのだ。
ロディールは呆れるだろうか。しかしもう望みがないぐらいきっぱりと振られてしまったのだ。
ならば一度だけでも触れられたい。肌で感じてみたいのだ。
イルファーンは小瓶を開けると、中身を躊躇いなく口へと入れた。


++++++++++


「全く、命知らずな。あれは劇薬だぞ。あれほどの量を一度に口にするなど死んでもおかしくはなかったぞ」
「ロディール……?」

強烈な目眩を感じて、床へ倒れ込んだのを覚えている。
窓の外を見るとすでに明るくなっていた。
ゆっくりと体を起こす。動きには全く支障はなかった。

「……死にたかったのか?」

顰め面のロディールの問いにイルファーンは首を横に振った。

「マトヴェイは俺の元へ来るまで時間がかかり、薬が体に吸収されてしまっていた。今回は服用直後に俺が『毒障浄化』で取り除いたから、すぐに回復ができた。アンタが倒れた物音で俺は起きたんだ」
「……そうか……」

賭に負けたかという小さな呟きは声にならなかったため、ロディールには聞こえなかった。

「喉が渇いているだろう?水を取ってくるから待ってろ」

ロディールは水を取りにいこうとしたところで突然腕を掴まれた。
不意を突かれた上、イルファーンは腕力がある。ロディールは勢いよく引っ張られた勢いで寝台へ倒れ込んだ。

「何をする。危ないだろうが。アンタは起きた直後だからまだ体が…」

言いかけた言葉は口づけられることで封じられた。
軽く眉を寄せるロディールに対し、イルファーンは相手の出方を伺うように真っ直ぐ見つめた。
目をそらさずに真っ直ぐ見つめてくるイルファーンに、ロディールは眉を寄せたまま口を開いた。

「何のつもりだ、と問うのはヤボか?」
「ヤボだな。俺はロディールに気持ちを伝えたはずだ」
「俺は断っただろう?」
「それで諦めたと言ったか?」
「諦めてくれないと困るな。アンタは第二のジョルジュになりたいのか?」

イルファーンは顔をしかめた。痛いところを突かれた気分だった。
さすがにロディールは頭がいい。こんな時でも冷静に判断して相手の弱い部分を突いてくる。
ロディールの憎らしくなるほどの冷静さと頭のよさはイルファーンが好きなところだが、こういう時は非常にやりづらい。

「俺がジョルジュになると思うのか?」
「アンタが薬を飲んだ理由が察せられないほど俺はバカじゃない。目的のために手段を選ばないという行動は彼によく似ている」
「………」
「念のため言っておく。俺はロウタスがいなくなってもアンタを選ばない。子が欲しいからだ。女性か両性しか伴侶には選ばない」

この言葉はイルファーンを酷く傷つける。ロディールは自覚していたが、きっぱりとそう告げた。
ジョルジュの時のように、殺害という行為に走られては困るし、そんなことをしてほしくもなかったからだ。
頭のいい彼だ。理解はしているだろう。しかし時として感情は思わぬ行動へ導いてしまうことがある。あの危険な薬を服用した行動もロディールには完全に予想外のことだった。

(片付け忘れていた俺もバカだったが……まさか口にするとは思わなかった)

かすかな嗚咽が耳に響く。
俯き、小刻みに体を震わせるイルファーンに、ロディールは無言で離れると部屋を出た。
今ここで彼が慰めることはできない。それは別の人間の役目だ。

「セシャン」

珍しくセシャンは側についていなかった。部屋の外で待っていてくれたらしい。
ロディールは昼間イルファーンへ別居の話をしたことをセシャンに教えていた。
壁に背をつけていたセシャンは頭がいい。中で何が起きていたのかも薄々気付いているだろう。

「セシャン、お前は彼が好きなんだろう?」
「ええ、好きです」
「いつもお前は…俺や彼に選択肢を与えてきたな。俺たちに機会を与え、チャンスを譲ってばかりだ。それでよかったのか?」

セシャンがイルファーンと体を重ねたことがあることを知らないロディールはそれが不思議だった。
セシャンはイルファーンの方がオススメだと言ったこともあるぐらいなのだ。イルファーンを好きでいながら、なぜそう言えるのか不思議だった。

「俺はそんなにいい人じゃありませんよ。それに……」

セシャンはちらりと部屋の扉を見た。

「ちゃんと俺にもチャンスが回ってきましたからね」
「そうか……」
「彼には時間を与えたかったんですよ。無理矢理すべて奪うのは簡単ですが、センセを好きなようでしたので、機会を与えたかった。でも、もう逃がしませんよ」

後はお任せくださいと言わんばかりに笑んだセシャンは、ロディールと入れ替わりに部屋へ入っていった。
要領のいいセシャンだ。きっとイルファーンを慰めてくれるだろう。
二人がうまくいってくれればいい、そう願った。