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◆ディガンダの黒犬(23)

ロスの現使い手の家族は明るい家族だった。
商売もうまく行っているらしく、島でも大きな商業区に店舗を持ち、客もよく入っているようであった。
快活な老婆と嫁らしい働き者の女性。
老人の息子は働き盛りの年齢で、ロディールたちを歓迎してくれた。
孫はまだ少年だ。しかし、彼なりに親の側で仕事を手伝っている。
そんな家族に歓迎を受け、食事を貰いつつ、薬について議論を交わし合う。
ロディールが知らない薬についてもいろいろと教えてくれた。
さすがに貿易の島だけあり、彼らは西の薬についてもよく知っていた。そして彼らはロディールが山奥で限られた薬のみで治療していることを知ると、驚いていた。

「それでそれだけの腕を持っているのはすごい」

とのことだ。

ロスはロディールに大陸を離れたことを問われると

「特に理由はないが、何となく東へ行きたくなってな」

とシンプルに答えた。ただの気まぐれだったらしい。
大陸を離れる時は黄竜の旗印を持つ貿易船の片隅に乗ってきたらしい。
小鳥のようなサイズの竜は見咎められることなく乗ることができたようだ。そのまま問題なくこの島までやってこれたらしい。

「黄竜というのは、幸運の竜らしいな」

そうロディールが告げるとロスは顔をしかめた。
そして、フッと短くため息を吐く。あまり好感を抱いていないようだ。
意外な反応にロディールは驚いた。

「どうかしたのか?」
「ヤツには関わるな」
「……ヤツとは黄竜のことか?」
「そうだ。ウェール一族の船に乗るぐらいならばかまわん。だがヤツ自身には関わるな。それが一番無難だ」
「まぁ関わることなどないだろうから問題はないが、一応、理由を問うてもいいか?」
「バカなんだ」
「………すまん、意味がよく判らない。それは黄竜が、ということで間違いないのか?」
「悪気がないのに面倒事を起こしたり、空気が読めずに場の雰囲気を悪くしたり、出来もしないことを出来ると言ったりするヤツがお前の周囲にはいないか?」
「………トラブルメーカーか」

その通りだとロスは頷いた。

「幸運の竜として名高いようだが…」
「使い手の腕がいいのだろう」
「…というと?」
「あいつは俺たちの同族だ。あいつ自身は何もできないが、それこそが最大の力でもある。あいつの力は、使い方によっては絶大なる力になる。ウェール一族はそういう意味ではあいつを正しく使っている。ヤツがおこしているトラブルも情報操作でプラスに動かしているようだ。非常に頭がいいやり方だ」
「すまん、意味がよく…」
「ヤツは、代償と引き替えに勝利をもぎ取る力がある。ただし、ヤツ自身にその能力はコントロールできない。
正を負に、負を正に。あいつは幸運の竜、と言われているが、大きすぎる幸運には代償となる不運も発生しているはずだ。ただ、あの一族はそれをフォローできるだけの実力を持っているのだろう。だから大きな事件以外、表沙汰にならない」
「……」
「ヤツはある国で、『王の最愛の友』の命と引き替えに『国』を護ったことがある」
「……」
「俺が一番使い手を近づけたくない同種があいつだ。ラティールの孫、お前もあいつに近づくな」
「……判った、そうしよう」

多弁ではない緑竜がここまで言うのだ。過去、何らかの事情があったのだろう。
それを知ることはできないが、忠告を無にすることもないだろう。自分を気遣ってくれたのは確かだからだ。

「ロス、会えて嬉しかった。元気そうで何よりだ。アンタが使い手のじいさんと少しでも長く幸せに過ごせるよう祈ってる」

ロディールの言葉にロスはピンと尾を立てた。

「ありがとう」


++++++++++


ロスが使い手の寝室から夜空を眺めていると、名を呼ばれた。
声に応じて、丸テーブルの上へ行くと小さな器が置かれた。入っているのは酒だ。
今の使い手は、寝る前に一杯の酒を楽しむのが日課だ。いつもそれに付き合えと言われて付き合っている。
飲食が必要ない体のため、酒など飲んでもよく判らないが、『相手がいた方が、酒がうまい』と使い手は言う。気持ちの問題なのだろう。しかし、異論はなかったのでいつも小さな器の酒を飲んでいる。なんだかんだ言いつつもロス自身、この時間を楽しんでいるのだ。

「共に行かなくていいのか?」

ああいうのは好きだろう?と言われ、ロスは内心苦笑した。
老年である今の使い手は人を見抜くのがうまい。
確かにロディールはロスの好みの人間であった。
緑の印を持つ癒し手で、己の仕事に誇りを持ち、癒しの技への探求心がある。栄達を好まず、日々、コツコツと働いて生活することを好む男。使い手としては文句なしだ。

「ワシは老い先短い。ワシと一緒にいても良いことはないぞ」
「そうだな。だが巡り合わせという言葉がある。ラティールの孫と再会する前にアンタに会ったのも一つの巡り合わせなのだろう。俺は今の生活に満足している」

現使い手と共に早起きし、市場へ仕入れにいき、家族と朝食を食べて店番をする。
日が落ちてきたら、いつものルートを散歩し、知り合いの老人グループと老舗のカフェでコーヒーを飲んで帰ってくる。
そんな老人の他愛のない日常に付き合う日々がロスは好きだ。
彼を使い手に選んだ時から、残り短い年数であれ、最後まで付き合い、見送ると決めている。

「前にも話したがアンタの子や孫を使い手に選ぶことはないだろう」
「好みの問題か?」

揶揄するように問われる。

「好みの問題だ」

ロスは笑い含みに答えた。
事実そうなのだ。老人やロディールに感じたものを彼の子や孫に感じることはできなかった。

「あの若者は素晴らしい使い手だったのう。お主の前の使い手もそうだったのか?」
「『聖ガルヴァナの吐息』か」

ロディールは帰っていく前、ロスに緑の印の技を見せた。アドバイスが欲しかったらしい。
それらの技は見事な発動で、老人とその家族を感嘆させた。
幾つか見た技の中で、一番見栄えがする技が『聖ガルヴァナの吐息』だ。
無数の腕がまるで翼のように見えることから、大変見栄えがする緑の印の技は、神の吐息のように柔らかく、慈愛に満ち、高い回復力を誇る。
神々の息を吹き込む、命を吹き込むという意味で神々の吐息と呼ばれているのだ。
見た目通りに『聖ガルヴァナの翼』でもいいのだが、ロスや同族は『聖ガルヴァナの吐息』と呼んでいる。

現使い手の老人も緑の印の持ち主だ。しかしロディールほどの使い手ではない。
ロスは現使い手に印の腕を求めているわけではないので、特に気にしてはいない。

「ローグ家の住まう地方には土と緑の印の使い手が多く出る」
「緑の上級印が受け継がれやすい要素があるというわけか?」

小竜は小さな器に入った酒をちびちびと舐めた。

「あぁ。ラティールの子が娶った妻も緑の印を持っていた。ただ……ラティールの孫…あれは逸材だな」
「ほぉ」
「ラティールも、ラティールの子も、あれほどの才はなかった。あの若さでブレも歪みもなく、高度な技を発動させることが出来る者は殆どいない。長く存在してきたが、あれほどの腕を持つ使い手は久々に見た。逸材と言っていいだろう」
「神に愛されし者。一種の天才というわけか」
「クジャン。『神に愛されし者』という言い方は使わぬ方がいい」
「何故だ?」
「神々は愛し子に試練を与えると言われているからだ。単に才能に恵まれた、という程度にしておいた方がいい」
「なるほど。あの若者の幸運を祈るのであれば、神に愛されし者とは言わぬ方がいいということか」

小さな器を空にすると、現使い手が酒を注いでくれた。
使い手の器も空になっている。ロスは己の体よりも大きな酒瓶を抱え上げた。使い手が面白そうに見ているのを感じつつ、相手の器へ注いでいく。
互いの器が満たされたところで、ロスは己の小さな器を手に取った。使い手がカチンと小さな音を立てて、器を当ててくる。

静かな生活だ。
毎日が同じ事の繰り返し。ほとんど変化のない日々だ。しかし、穏やかな家族愛に満ちたこの日々がロスはとても愛おしい。
人間の寿命を考えると、残された時間は短いだろう。現使い手が言うように若く才能溢れる青年についていった方が充実した日々と救える人間の数は多いことが判っている。
けれど、今の日々を捨てようとは思わない。今のロスが愛しているのは今の使い手であり、今の平穏な日々なのだ。
隠居して日の半分を遊んで過ごし、若者を悪口叩いてからかい、寝る前は酒が欠かせぬような、この老人が大好きなのだ。

『ほとほと人間が嫌になる。すべてを滅ぼしてやろうかと思うぐらいだ』

昔、そう言ったのは紫色の同族だったか。当時、彼は愛する使い手を殺され、相当に落ち込んでいた。

『だが、俺には世界を捨てられない理由がある。その理由が人間を好きでいさせてくれた』

同感だとロスは思った。
人の心の醜さを見て、人間が心底嫌になることがある。しかし、人間を好きだと思う瞬間を見せてくれるのもまた人間なのだ。

しわだらけの荒れた手が小さな頭を撫でてくれる。孫がいるこの使い手はロスの頭を撫でるのが好きだ。そしてこの仕草が眠る前の合図なのだ。
この穏やかな日々が一日でも長く続くよう祈りつつ、ロスは使い手の枕元で丸くなった。