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◆ディガンダの黒犬(20)

ロディールは貯金と家を建てるために必要な額を計算し、軽く眉を寄せた。
田舎の相場は安いとはいえ、家を建てるにはそれなりの額がいる。
腕の良い大工は二つ先の小島にいるらしいので彼に頼むとしても、やはり心許ない。
セシャンは費用など心配不要と言ってくれるが、自分の住居なのだ。ミスティア家に頼ってばかりいるのも心苦しい。

(ノルティモ島に不要な薬剤を売りに行かねばならないかな)

海賊達がロディールに盗ってきてくれた薬剤を売れば少しはマシになるだろう。
ウェール家の船に買い取ってもらえないか相談してみたが、今、ギランガのウェールのお店には薬を扱える店員がいないらしい。そのため外の薬師に仲介してもらう必要があり、手数料が余計にかかると言われてしまったのだ。
それでなくとも、元は盗品だ。やはりノルティモ島で売るのが無難だろう。
ロディールは島長に相談し、ノルティモ島へ行くことにした。
ディガンダの船長は、ロディールが乗ってくれるのは歓迎だということであっさり許可してくれた。

ゼーター島には10日ほど停泊した後、再び船は出航した。
ロディールは新入りとしての雑用をしつつ、戦闘時に怪我人が出た際はその治療も行っていた。
一度は腹部を真っ二つにされかかった重傷者も救ったため、すっかり海賊仲間にはその腕を信頼されるようになった。

「アンタ、腕を十本ぐらい持ってるんじゃねえか?」
「全くだ、すげえよ」

最初は海賊船に乗る珍しい医師というだけの認識だったロディールだが、今ではちゃんと一人の仲間として見てもらえるようになった。
そうしたある日、船に来客があった。別なる船が接近してきたのだ。
相手の船は敵意がないことを強調するため、白旗を立てていた。

「ロディール、お前さんに客だ」
「俺に?海賊に知り合いはいないんだが…」

心当たりがないと思いつつ、呼ばれるがままに向かうと、やはり知らぬ相手だった。
船員たちは全員が黒一色の服を身につけている。
中心にいるのは30代半ばに見える男だ。黒く太い髪を刈り上げたような髪型をしている。腰には三日月形の剣カットラスを差している。海賊には主流の武器だ。

「カルヴァーラの連中だ。あいつらの縄張りは本来もっと東なんだが、アンタの噂を聞いてやってきたらしい」
「そうか…」

ロディールが進み出ると、お前さんが医者か、と言われた。

「本業は薬師だ」
「むしろ好都合だ」

怪訝な顔になるロディールに差し出されたのは小瓶だった。男の親指よりやや太いぐらいのサイズしかない。受け取ったロディールはふたを開けず、ただその小瓶を見た。質の悪いガラスで作られているのか、瓶は曇りがかっていて、中がよく見えない。しかし赤色がかった液体が入っているようだ。

「薬師、ディネの徒花の解毒を頼みたい。報酬はそれなりに弾む」

声が聞こえたのだろう。背後の男たちがざわめきに揺れる。
質の悪い媚薬だ、という声が漏れ聞こえた。

「ディネの徒花?知らんな」

ロディールは正直に答えた。黒服の男たちの表情が落胆に曇る。

「そうか。残念だ。陸の薬師ならばと思ったんだが…」

ならばその薬は返してくれと手を差し出される。
それには答えず、ロディールは小瓶を見つめ、蓋をあけた。

「覚えがある匂いだ。ディーネの白花が材料か?」
「花を知っているのか?あれは幻と言われているほど数が少ない花だぞ?」

疑わしげな男にロディールは中身を見つつ答えた。

「銀の城にあったからな。薬草園で育てられていた。あれは調合次第では鎮痛剤に使える。もっとも最悪な場合に使う類だが。一種の麻薬に近い」
「銀の城…?まさかミスティア家の城か?」
「こいつがディーネの白花から作られた薬というのならば、対処法がある。こいつを投与されたというのであれば、それをはき出させればいいだけだ」
「はき出させる?あいにく口から入れられたものじゃない。とうに時間も経っている」
「口から吐かせるとは言っていない。『毒障浄化』を使う」

相手の男の顔色が変わった。どうやら『毒障浄化』を知っていたらしい。

「直接、毒を取り出すという幻の技か!それを使えるのか?」

幻?とロディールは怪訝に思った。
故郷では二日酔いの患者に使用する定番の技だ。ロディール自身にとっては幻でも何でもない。

「使える」
「俺たちの船に来てくれ」
「判った」

ロディールはいつも持ち歩いている鞄を手に、相手の船へ乗り移った。当然のごとくセシャンもついてきた。敵船には『助手だ』と笑顔で告げて誤魔化したようだ。要領の良い男である。

海賊の間でディネの徒花は、解毒剤がないといわれている毒だ。
毒と言っても媚薬に近い。しかし強力な麻薬のようなもので延々と体が昂ぶるという効能がある。主に性的な調教や奴隷に使用される品と言われ、即死効果があるわけではないが、非常に質が悪い毒なのだ。
そして滅多に手に入らないため、目にすることも少ない。
船には医者がいない。海賊は普通、医者を乗せないのだ。怪我は日常茶飯事のため、誰もが応急処置ぐらいはできるように訓練する。医者が必要なときは陸へ向かう。そういうものなので死亡率が高い。
むろん、海賊も医者が欲しい。しかし医者は陸でも貴重なのだ。乗せたくても乗せられないというのが近い。
医者や薬師は代々受け継がれていくものだから数が限られている。自分から乗りたいと言わない限り、無理矢理連れて行くことになるが、代々、受け継がれるものなので医者にとっては家族を奪われるようなものだ。無理矢理連れて行っても自害したり、激しい抵抗をする者が多いため、それもできなくなった。命を預ける医者が信頼できないというのは海賊にとっても致命的だ。無理矢理乗せても意味がないのだ。
そういう事情のため、海賊にとって、ディネの徒花を使われるということは、死に等しい意味を持つ。

船室に案内されたロディールは、寝台で苦しむ男に気付いた。この男が患者だろう。
綺麗な艶のある褐色の髪に真っ直ぐな眉と鼻筋をした、なかなか容姿のよい男だ。しかし、今はやつれて目の下にクマができている。
ロディールは治療のため、いつものように腕を輝かせた。

「おい、何をする気だ?」

慌てた様子で腕を掴まれそうになったが、セシャンが防いでくれた。
ロディールはいぶかしげに振り返った。

「治療すると言っただろうが。『聖ガルヴァナの腕』で『毒障浄化』を使うんだ」
「『聖ガルヴァナの腕』まで使えるのか!?」

目を丸くする黒服の海賊にロディールは頷いた。

「邪魔をするな。集中力を削がれるのは困る」

ロディールは再度、印を発動させた。
背から現れた緑色に輝く腕が寝台に横たわる男の体へ入り込み、緑の魔法陣を輝かせる。やがてぽこぽこと小さな水滴が魔法陣から浮かび上がっていく。

「あれが『毒障浄化』か…」

その間にロディールは『聖ガルヴァナの腕』で患者の体を調べていた。
褐色の髪をした男は二十代半ばだろうか。毒のせいでやつれているがバネのような体をした長身の男だ。やや長めの前髪は顔にかかり、影を作っている。毒で煽られた体がきついのだろう。赤い顔で苦しげに息を吐く様は非常に色気がある。
ロディールが体を調べるために『聖ガルヴァナの腕』で体内を探るとそれが酷く感じるのだろう。いっそう苦しげに悶えている。

「この船のトップは誰だ?」
「俺だ」

さきほどから相手をしている男が答えた。中心にいた30代の長身の男だ。今も真後ろにいたので反応は早かった。

「結果を報告するぞ。完全な解毒は無理だ。毒を受けた直後ならともかく時間が経ちすぎている。すでに体に溶けこんでいるんだ。だがとりあえず軽減は出来た。あとは時間をかけて自然に抜くしかない」
「解毒剤は作れないのか?」
「手遅れだ。直後なら効果があっただろうが、今使っても意味がない。毒を受けて三日前後といったところのようだが違うか?」
「その通りだ。三日前の夜に襲撃を受けた」

薬師の目の良さに感心したように男が答えると、ロディールは患者を振り返った。

「傷と毒で体力の消耗が激しい。だが薬で眠っていたようだな。正しい判断だ。こういうときは眠りを深くして体力の消耗を極力抑えるのがいい。でないとショック死する場合もある。だがこれ以降はその方法もとらない方が良い。食べ物も取らないと衰弱するばかりだからな。……彼、恋人はいるか?」
「あいにくこいつは海賊と思えぬほど堅物でな。女性を見ると逃げ出すような奥手だ」
「この歳で童貞ですか、気の毒ですね」

童貞と決めつけたセシャンの台詞に反論はなかった。どうやら本当に童貞らしい。
さすがのロディールも同じ男として、患者が気の毒になった。

「相手を用意できるか?欲をはき出させないとキツイばかりだろう。適度にはき出して、体力を消耗させないように眠る。これが一番早い」
「期間は?」
「半月から一ヶ月」
「厳しいな。できれば色町辺りから雇ってきたいところだが俺たちは海賊だ。長く一つの場所に留まることは出来ない。パートナーじゃないヤツがこいつの相手をするのも気が進まん。今後の人間関係のトラブルになりかねん」
「なるほど。困ったな。とりあえず解決策は教えたぞ。俺は船に戻る」
「待て、薬師。ここで放り出されても困る。最後まで面倒を見てくれ」
「俺はディガンダの海賊だ」
「だが薬師だ。お前は治療途中の患者を放り出すような男なのか?」

痛いところを突かれ、ロディールは顰め面になった。
自分とて、患者を最後まで診れないのは不本意なのだ。しかし船が違うのだからどうしようもないではないか。

「自船に治療途中の患者がいる。こちらの船にずっと乗っておくわけにはいかない」
「では預ける」
「!」
「お前のところの船長に話をしてくる。頼んだぞ、必ずマトヴェイを助けてくれ」

予想外の成り行きにロディールは驚いた。普通、他船に僚友を任せるのだろうか。
しかし、ディガンダの船長は受け入れた。どうやら十分な報酬を貰ったらしい。

(まぁいいか)

船長同士で話がついたのであれば文句はない。
ロディールはセシャンに手伝って貰いつつ、自船に患者を背負って連れていった。
連れていくと、自船の仲間に驚かれた。どうやら彼らは患者のことを知っていたらしい。

「風礼(ふうらい)のマトヴェイじゃねえか!」
「カルヴァーラの連中が必死になるはずだな」

ロディールは患者を見せ物にする気はない。医務室として使っている部屋へ連れていくと、誰も入ってくるなと念を押した。

「無理に入ってきたら、酒を飲むとき覚悟しろよ」

船員たちにとって、二日酔い治療の『毒障浄化』はとても効果がある。

「わかったわかった!」
「あれだけは勘弁してくれ!」

海賊たちは酒飲みが多い。当然ながら二日酔いで世話になることも多い。『毒障浄化』の世話になった者たちも多く、その痛みをよく知っているのだ。
船員たちを遠ざけると、ロディールは小さくため息をついた。
相手方の船長の話では、この患者は性経験自体がなさそうな様子だった。二十代半ばに見える男が性経験なしというのも気の毒だが、初体験がこれでは一種のトラウマになりかねないだろう。できるだけそんなことにならぬよう、気遣わなければならない。

「これから行うのは治療だ。悪いようにはしないから身を任せておけ」

意識が朦朧としている様子の男はかろうじて頷いた。
とにかく快楽だけを与えてイカせようとロディールは男の服に手をかけた。


++++++++++


患者はその日の夜に正気を取り戻した。
童貞なのに酷い経験をして大変だったなと同情すると、患者は顔を真っ赤にさせた。

「いくら何でも俺は童貞じゃないっ!初体験ぐらいは済ませてる!」
「そりゃ良かった。色町か?」
「違う!ちゃんと当時の恋人だ!」

女性を見たら逃げ出すような奥手だと聞いていたが違っていたらしい。

「じゃあ、その恋人の元に戻れるように早く回復しないとな」

男はロディールの言葉に顔を曇らせた。どうやら何らかの事情があるようだ。

「心配しなくても俺はアンタを抱いてないぞ。『聖ガルヴァナの腕』で直接刺激を与えて、達かせただけだからな」
「そ、そんな心配はしていない!」
「そうか?」
「……アンタも医者なのに海賊なんて変わってるな」
「ちょっと理由ありでな。金が欲しいんだ」

金が欲しいというのは判りやすい理由だったのだろう。男は納得したようであった。

「少々薬が心許ないが、この船はノルティモ島まで行く予定だ。そこで仕入れられるだろう」
「ノルティモ島か」

男はちょっと安堵した様だ。中立地帯まで行くことが判ったからだろう。

「ヤりたくなったら我慢せずに呼べ。幾らでもイカせてやるからな」
「結構だっ!!」

真っ赤な顔で否定する男に、ロウタスとは違う意味で世話が焼けそうだと思うロディールであった。