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◆ディガンダの黒犬(19)

戻ってきたロディールは室内に濃厚な血の臭いを感じ、異常に気付いた。

「センセイ、俺から離れないように」

同じく気付いたセシャンが剣に手を添えつつ、慎重に進んでいく。

「イルファーン!一体なにが………ジョルジュ!?」

寝室は血の海だった。
倒れているのはジョルジュ。その側に座り込んでいるのはイルファーンだ。
傷が深いのはジョルジュの方だと即座に気付いたロディールは、『聖ガルヴァナの腕』を発動させ、体に入れ込むと同時にその死に気付いた。相手の体に生気が感じられない。もう死んでいるのだ。

「イルファーン……」
「襲われた。味方殺しは大罪だ。だが今回は正当防衛になる」

部屋はロディールとセシャンが使っている方の部屋だ。自然と理由が判る。

「イルファーン……」
「センセイ、俺は臆病なんだそうだ」
「?」
「だがもう、そうは言わせない。俺も男だ。センセイ、俺はアンタが好きだ。覚えておいてくれ」
「………」

突然の告白に驚くロディールにイルファーンは立ち上がった。

「船長に事情を報告してくる」

そのまま家を出て、港へ向かうイルファーンを見送り、ロディールはジョルジュを見つめた。
心臓を一突き。これが紛れもなく死因であった。
イルファーンの方はほぼ無傷だったから、勝敗は一撃で決したのだろう。
ロディールがこの場に居合わせていても助けられたか判らない。それほど深い傷だ。心臓を潰すように貫いている。
ロウタスは何というだろうか。
そしてイルファーンは何を思って彼を殺したのだろうか。
この一件はほぼジョルジュとロウタスの問題であり、ロウタスから巻き添えを食らったロディールがかろうじて関係者だったにすぎない。イルファーンはほぼ無関係だったはずだ。

『センセイ、俺はアンタが好きだ。覚えておいてくれ』

先ほど言われた言葉が蘇る。
ほぼ無関係だった彼はロディールのために戦ってくれたのだ。
しかし、ロディールにはその想いに返せるものがない。

(そろそろ別居しなければならない時期か……?)

そんなことを思っていると、故人の遺体にシーツを被せたセシャンがロディールを振り返った。

「センセー、いかがされます?」
「……というと?」
「俺は貴方の身の安全を最優先するよう公に申し使っております。貴方がイルファーンに応じられないのであれば、このままこの家にお住まいになられるのは不都合が生じる恐れがありますのでオススメできません。
むろん、俺がいる間は指一本触れさせませんが、この島に永住されるのであれば、今後、島長に就く可能性が高い彼と不仲になられるのは問題がありますでしょう。早めに別の住居を見つけられた方がいいと思います」

新たな住居は必要があれば費用を準備いたします、とセシャン。

「そこまでするのか?」
「家を新築するにしても、この島なら金貨一枚も必要ありませんよ。その程度の費用でセンセーの身の安全が買えるのであれば安いものです。むろん、費用はこちらの経費で落とせますからご心配なく」
「アルドーにそこまでしてもらうのは…」
「お気になさらずともいいと思いますが。公にとって貴方の身はとても大切なのですから」
「なぜアルドーがそこまでしてくれるのかが判らない」

ロディールがそう呟くとセシャンは笑った。
とりあえずこの部屋を出ようと促され、リビングへと移った。

「センセイは意外なところで鈍いですね」
「そうか?」
「友人ができないってのは寂しいですよね」
「うん?」
「公は『我が友を守れ』と命じられたのですよ。弟ではなく、友と言われました。
あの方は三大貴族と言われる方ですが、対等な立場の方って文字通り、同じ三大貴族の方々しかいらっしゃいませんよね。しかも遠方です」
「そうだな」
「あの方は気兼ねなく付き合えるご友人が欲しかったのだと思いますよ。
俺も公をお慕いしてますが、友人になれるかと言われると恐れ多くてとても無理です。なりたいと思ってもその前に無理だと思ってしまいます。感情が否定してしまう。殆どの人がそうじゃないかって思うんですよね。なかなか身分差というのは厄介なものです。だから貴方は特別なんですよ、先生」
「俺はあいつに何もしてないし、してやれてないんだが…いろいろ助けられるばかりだ」
「それでいいんじゃないですか?センセーはご友人に見返りを求めますか?」
「いや……」
「そういうことだと思いますよ」
「なるほどな。ありがとう、セシャン」
「いえいえ、ところで話が戻りますがどうします?引っ越しの件は」
「うーん……」
「俺としてはロウタスよりイルファーンの方がオススメですが」
「は…?」
「海賊という職はどうかと思いますが、誠実で人望があり、心身共に問題なく、顔もいい。ところがロウタスは正反対といいますか、トラブルばっかり起こしているじゃないですか」

問題だらけの男だと言いたいのだろう。
その点、イルファーンは親切で頼りがいのある男で、同世代の中でも中心人物となっているような男だ。確かにイルファーンの方が人間的にも実力的にも上だ。実際、かなりモテているようだ。
しかし、恋愛相手として見れるかどうかと言われれば、今のところ否だ。
そしてロウタスのことはというと…。

「……どうも放っておけなくてな」

ロウタスの良い点を探したがどうにも思い浮かばず、仕方なく思いついた通りに答えると、セシャンは笑い出した。

「そんなものかもしれませんね。俺の親も言ってましたよ、結婚は理屈じゃない、本能だと。考えても答えがでないものなのだそうです」
「名言だな、それは」

結婚するなら清楚な女性がいいと思っていた。兄の嫁や母のように、物静かな女性がいいと。
しかし、実際に出会って気になったのは、清楚とは正反対の、問題ばかり起こしているような、血生臭く騒がしい男だった。
好いているのかと言われれば未だに答えはだせないが、気になって仕方がない。手放せないとも思う己がいる。誰にも渡したくはない。

(あー…これが独占欲というものなのかな……)

そんなことを思っていると、やかんを手にしたセシャンが口を開いた。

「あ、センセ。イルファーンがいらないなら俺がもらっちゃっていいですか?」
「は?」
「いい男ですよねー。結構好みなんですよ、ああいう人」
「そうなのか」

そういえば初対面の時からイルファーンを気に入っているようだったなとロディールは思いだした。

「はい、センセがイルファーンをいらないんでしたら、本気で落とそうと思います。あの冷静な顔を崩して、ぐしゃぐしゃに泣かせてみたいです」
「……そうか……」

爽やかな笑顔で出てきた言葉は非道なものであった。

(泣かせてみたいって……そういう性癖なのか?)

すでに啼かせたことがあるということを知らないロディールは、護衛の思わぬ一面を知り、そう思わずにいられなかった。