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◆ディガンダの黒犬(16)

無事、港町ギランガに到着したロディールは、ウェール家の船員たちに礼を告げ、ギランガの頭領家に向かった。
街にはあちらこちらに色鮮やかな花が飾られていて、お祭りムードが感じられた。
ご成婚祝いだよ!安いよ!という客寄せの声が聞こえてくる。
恐らく今の時期、ミスティア領はどこへ行っても同じ雰囲気なのだろう。
しかし、頭領宅は一転して、何の飾りもなく、いつもどおりだった。
頭領であるジャンニへ婚姻を祝う言葉を告げたロディールは、その足下にアルディンと同じ年頃の幼児がいることに気付いた。
褐色の髪の子供はとても小さな釣り竿を持っている。
愛らしい姿にロディールは顔を綻ばせた。

「可愛いな。親戚の子か?」
「俺の子だ。実子じゃないから親戚の子というのは間違いじゃないが。跡継ぎのベルクートだ」

ジャンニはまだ十代半ばだ。それなのに跡継ぎがいるという事実にロディールは少し呆れた。しかし貴族だ。跡継ぎが明確になっていた方がモメずにすむのだろう。
ジャンニはベルクートと朝から一緒に釣りへでかけていたのだという。
一緒に昼食はどうだ?と誘われたロディールはありがたく受けることにした。
幼児はちゃんと一人で飯を食えるのだろうかと案じたが、慣れた様子で魚を食べている。その様子からきっちり躾を受けていることが感じられ、ロディールは安堵した。アルドーより子育てはうまいようだ。

「いや、親元で育っているんだ」

こうして時々、頭領家へ来るが、普段は親元で育っているという。
10歳になるまでは、基本的に親元で育つ予定だという。
ベルクートは人見知りをする質なのか、少し緊張している様子であった。

「頭領家に慣れるため、ときどきこうして来てるんだけどな」
「なるほど」
「レナートより釣りの才能がありそうなんだぜ」

幼児に釣りの才能。
微笑ましい話ではあるが、それは頭領としての才能と関係があるのだろうかとロディールは疑問に思った。

「思ったより早く結婚の決意をしたようだな」

もうしばらく時間がかかると思っていたとロディールが言うと、ジャンニは表情を曇らせた。

「別に結婚したくなかったわけじゃない。レナートに時間を与えただけだ」

周囲はジャンニが身長差を気にして、結婚を伸ばしていると言っていたが、どうやら真実は違うようだとロディールは気付いた。

「オヤジが死んで、いきなり代替わりになったとき、補佐する相手を結婚相手として選べとミスティア公に言われた。そのとき、レナートがいいと無理矢理頼んだんだ」
「無理矢理だったのか?」
「無理矢理だ。ミスティア公はもっと年上で統治に慣れた相手を選べと言ったんだが、レナートがいいと押し切ったんだ。レナートは知らないだろうがな」

レナートは海軍騎士で戦うことが専門の軍人だ。当然ながら統治者の補佐としては不向きであるため、ミスティア公は渋ったという。
しかし、レナートは頭が切れる。そして元々、ミスティア家に近い貴族であるため、統治に関して全く知識がないというわけではない。その為、承諾してくれたという。

「俺自身が統治者としてもっと経験を摘んでから、申し込むつもりだったんだ」

そうすれば、レナートに統治者としての才がなくとも問題はなかった。ギランガの海を守る海軍騎士とその統治者ということで丸く収まっただろうとジャンニ。
共に貴族出身で血筋的にも問題がないからだ。

「あいつは知らない。俺がレナート以外のヤツとは絶対に結婚しないと言い切ったから、アルドー様はレナートに拒否権を与えなかったはずだ」
「そんな無茶、よくアルドーが承諾したな」
「他の候補の方がおすすめではあったんだろうが、レナートも相手としてはそう悪くなかったはずだから、妥協してくださったんだろう」
「レナートに時間をというのは?」
「あいつには元々、長く付き合っている女がいる。同じ海軍騎士の女性でアリーヌというんだ」

無理矢理、己と結婚させる代わりに、もうしばらく二人の時間を与えたかった、とジャンニ。

「自己満足の罪滅ぼしだ。だが思ったより俺自身がそれに耐えられなかった。完全に結婚して引き離したくなったんだ」

自嘲気味に言うジャンニは、港近くのレストランで共に食事をしている二人を見かけたのだという。結婚式をする気になった引き金はそれだったようだ。

「レナート殿は何と言ってるんだ?」
「やっと覚悟を決めたのか、だってよ。腹が立つ。俺はこれほど悩んでいるってのに、あいつはとっくに覚悟を決めていたらしい。いつだってあいつの方が上を行くんだ」

それはレナートとジャンニの10歳近い年齢差もあるだろうとロディールは思った。
レナートは大人だ。実年齢は二十代前半に見えるが、会話をしているともっと上に感じられる。精神的な余裕と老成さを感じさせる人物だ。
本来、統治には不向きな軍人としての経験を積んできた人物だと言うが、ギランガ当主の婚姻相手となることをアルドーが許した背景には、レナート自身の性格も多分に関係しているのではないだろうかとロディールは思う。
経験をフォローできるだけの才能をレナートには感じるのだ。

「ジャンニ、お前には時間がある。レナート殿と共に長く時間を過ごせばいい。
レナート殿とその女性が共に過ごした時間など、あっという間に過ぎてしまうだろう」
「……レナートがそれを望まなくてもか?」
「お前さん、レナート殿に本当に惚れているんだな。そんなにいい男には見えないが」

ロディールがわざと呆れ雑じりに問うと、ジャンニは眉をつり上げた。

「あいつは綺麗だ。大人でいつも余裕があって、古狸のような商人共にも対等にやり合える頭の良さがある。俺はいつだってあいつに助けられているんだ」
「その頭がよい大人から俺は長々とノロケを聞かされたんだがな?」
「ノロケ?」
「お前さん、初夜の時、浴室から一時間近くでてこなかったらしいな?」
「な、なんで知って……!!」
「私のために風呂に籠もって長々と体を磨いてくれたというノロケ話を酒の肴に延々と聞かされてな……あげくにベッドの中で何をしたかまで聞かされそうになり、俺は……」
「うわーーーーっ!!レナートのヤツ、どこまで話してるんだ!!信じられねえーっ!!」

真っ赤な顔で言葉を遮るように叫んだジャンニにロディールは笑い出した。

「あの御仁は、お前さんが思うよりお前さんのことを可愛がってるよ」

この屋敷にいた時は、連日、聞きたくもないノロケ話を聞かされたのだ。
好きでもない相手のことを毎日ノロケるような物好きなどいないだろう。
問題の女性とどんな関係なのかまでは知らないが、レナートがジャンニのことを大切に思っているのは確かだろうとロディールは思う。レナートの語る話には確かな愛情が感じられたからだ。

「安心して結婚式をあげるんだな。お前さんはちゃんと愛されてるよ」