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◆ディガンダの黒犬(11)

翌日も、天候はよかった。航海にちょうど良い風も吹いている。
船にはなかなかの高齢者も乗っている。
頭髪がかなり減った白髪の老人はベムというらしい。
ロディールは甲板上で本を読みながら、近くに立つ老人に声を掛けた。

「ベムさん、あんた、幾つだ?」
「わしゃ、まだまだ船を降りる気はないぞい!」
「年齢を聞いてるんだ。船を降りろと言っているわけじゃない」
「儂はまだ杖を使わずに船を歩けるんじゃぞ!」
「歳を聞いてると言っているだろう?年甲斐もなく重い物を持とうとするから、腰を痛めるんだ」
「なぁに、儂はまだまだ現役の海賊じゃ。問題ないわい!」

かみ合っていない会話にセシャンが笑いをこらえているのが、視界の端に映る。
現役最年長老人から年齢を聞き出すのを諦めたロディールは、火を点けずに煙草を咥えつつ、老人の足腰を眺めた。

「今度、グキッとやったら確実に杖が必要になるぞ」
「!!!!」

年老いても杖を使いたくないと言い張る元気な老人に対し、その台詞は抜群の効果をもたらした。
さすがに深刻そうな顔になった老人に、効果があったようだなと思った。そうでなくば脅しの意味がないのだ。
もっとも、完全な嘘ではない。
老人の生気は若い世代のものたちよりも少ない。ゆえに回復にも時間がかかる。
病の進行が早いのも若人なら、回復が早いのも若人の特徴だ。老人たちはその逆になる。
一度痛めてしまえば、回復に時間がかかってしまうのだ。

「若い連中を指導してやれ。あんたの知識が次の海賊を育てるんだ」
「お主も含めてか?」
「あぁ教えてくれ。俺は誰よりもひよっこだからな」
「嬉しそうだな?」
「知ることは好きだ。船長が東の島々には多くの薬があるだろうと言っている。それを見てみたいと思っている。見れるかどうかは判らないが」
「さすがは医者じゃな。言うことが違う。お主にとっての宝は薬というわけか」
「当然だ。あと俺は薬師だ」
「医師も薬師も大差なかろう」
「そんなことはないぞ」

ロディールが手にしているのは前回の襲撃で敵船から奪った書物の一つだ。
中央大陸でおきた戦役の一つが書かれた歴史書はロディールにとって面白き読み物であった。

(紫竜ドゥルーガ、藍竜ラグーン、紅竜リューイン、黄竜ルディアン、緑竜ロス……中央大陸で起きた大戦にはロスも関わっていたのか……)

歴史書には使い手を殺された紫竜ドゥルーガの嘆きに他の竜たちが同調し、中央大陸の北を支配していた国を滅ぼしたと書かれている。
自分が知る竜の名を見つけ、興味深く読んでいると、襲撃だ、という声が響いた。
どうやらこちらの船が襲われる側であるらしい。

「……海賊船が襲われることがあるのか?」
「当然だ。あちらさんデカイ船だな。自信満々のようだが船がでかけりゃいいってもんじゃねえってことを教えてやらねえとなぁ……」

明るい茶色の髪の副船長バジーリオは、戦闘意欲満々のようだ。嬉しげにクルクルと短剣を回している。
その隣に立つ船長ダヴィードも戦う気満々であるらしい。目を輝かせて敵船を見ている。
襲われている側だ。逃れることはできないわけだが、負ける気は欠片もないようだ。
そうしている間に船と船が接触した。いつものように縄が互いの船の間に飛び交う。
その様子を離れたところから見ていたロディールは、船内から出てきた人物に気付いた。

(ロウタス?)

和解したため、当然大人しくしているだろうと思っていたロウタスは、ロディールと目が合うと、挑発的に笑って、敵船へ飛び込んでいった。

「おい、ロウタスっ!?」

あのお仕置きで懲りてないのかと驚いたロディールに、敵船から飛び込んできた戦闘員の刃が迫る。

「……っ!!」

防いでくれたのはセシャンの剣であった。
冷たい笑みを浮かべ、敵を見据えているセシャンは、余裕たっぷりに敵の戦闘員を切り落とした。

「やれやれ、こっちの船までやばそうですね」
「全くだ」

ロディールは苦笑し、本を海へ落とさぬようしっかりと握りしめた。

「セシャン、ロウタスを…」
「申し訳ありませんが、そのご要望にはお応えできません。俺はセンセーの護衛ですからロウタスはどうでもいいです」

正直すぎる返答にロディールは顔を引きつらせた。

「おい…」
「彼が無事に戻ってきた時にたーっぷりお仕置きしてやってください。アメとムチのつかいどころがポイントですよ」

意味ありげな笑みを浮かべて言われたため、彼の言うアメとムチは一般的ではない要素も入っているじゃないだろうかとロディールは思った。
そんなロディールの内心に気付いているのかいないのか、セシャンは笑顔で船室への扉を指した。

「センセー、どうぞ船内へ。できれば扉の中ぐらいにいてください。あまり奥に行かれるといざというときに探さなきゃいけなくなって困りますので」
「お前はどうする気だ?」

セシャンが自主的に側を離れるというのは初めてだ。少し驚いて問うと、セシャンはニッと笑んだ。

「今回は襲われている側ですからね。船が落とされると俺も困りますので、少し敵の数を減らそうと思います」

ロディールが船内に引っ込んだのを確認し、セシャンは剣を構えた。
彼は士官学校出身で正統派の剣術を習った人物だ。若いながらもアルドーの側近くで働いていただけあり、抜き出た強さを持つ。
彼が仕事に志願した時、直属の上司には非常に惜しまれた。セシャンは若手の中で出世頭の有能な騎士だったのだ。田舎になど出したくないと言われたのを押し切ってきた。

「そんな細え剣で、戦えるのか?ん?」

船に乗り込んできた大柄の男が挑発してくる。
相手が持つのは、海戦で使用されることが多いのは幅広の湾曲剣だ。殺傷力が強く、パワーがある。
セシャンは普段穏和そうな笑みを浮かべたまま、冷ややかに相手を見据えた。

「戦えるかどうか、試してみましょうか?」

セシャンは持った剣を横薙ぎに振るった。敵の持った幅広の剣を砕き、男の胴体が真っ二つに切り落とされる。
通常の剣サイズで思わぬパワーを見せたセシャンは驚く周囲にニィと笑んだ。吹き出した血の量と裏腹に、剣は冷たい輝きを見せたままであり、血糊一つついていない。

「ああ、弱い。口ほどにもない男ですね」

明らかな挑発に、味方を殺された敵の海賊が怒りの雄叫びを上げる。
セシャンはその海賊らに向かって剣をまっすぐに向けた。

「さぁ、まだ試したい方、いらっしゃればどうぞ…?」


たまたまその近くで剣を振るっていたイルファーンは驚いてセシャンを見つめた。
ロディールにいつもくっついているミスティア家の護衛。いつも穏和そうに笑んでいるだけの男だと思っていた。
護衛であるからには、ある程度の強さは持っていると思っていたがこれほどとは思わなかった。大きな剣を打ち砕き、2m近い巨漢の男を真っ二つにしながら、平然としている。
仲間を殺されて怒った海賊が次々にセシャンへ飛びかかっていったが、セシャンはどの敵も綺麗に一撃で倒している。やはり剣は血糊一つついていない。

(風属性の剣か…)

血糊がつかないのは、その剣が振るわれる時、刃を風が纏っているからだ。風の刃が殺傷力を増し、敵の剣ごと、敵の体を切り裂いている。
それほどの剣は容易には手に入らない。イルファーンも欲しいとは思うが、手に入らないのが現状だ。セシャンが持つ剣は相当な業物だろう。
それほどの強さを見せながら、セシャンは船中央付近から動こうとはしない。その近くにある船内への扉を守っているのだ。彼の目的がロディールにあるからだろう。
しかし船の中央付近というのは目立つため、多くの敵を倒している。
そうしているうちに戦いが優勢に変わったようだ。乗り込んでくる敵が明らかに減った。

「敵船へ行く。セシャンはどうする?」
「行きませんよ」

念のため問うてみたが、予想どおりの返答だった。
行ってこいと手を振るセシャンに見送られつつ、イルファーンは攻撃に転じるため、敵船へ飛び移った。