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◆ディガンダの黒犬(9)

船は大海原を走っている。
きらきらと水面が輝き、時折大魚の背が波間に垣間見える。
見慣れぬ海はロディールにとって飽きの来ない光景だ。

「あいつら、若いのに幹部なのか」
「強いからな。十代から船に乗っていて、すでに幹部を名乗れるだけの功績を立てているんだ」

そう教えてくれたのは17歳の若い海賊だ。船に乗って二年だという。
短く刈った黒髪に中背の元気な男で、名をシンバといい、イルファーンやロウタスに憧れているのだそうだ。
初めて海賊船に乗るのは十代半ばが多く、ロディールのように20歳過ぎてから乗るものは珍しいという。
年齢が上でも海賊船に乗った順番で地位が決まるため、ロディールは一番の下っ端になった。
特に地位に興味があるわけではないため、ロディールは素直にそれに従った。

「あんた、医者なのに海賊船に乗るなんて変わりもんだなぁ」
「俺は薬師だと言っているだろ。それに好きで乗っているわけじゃない。だが他の土地の薬には興味があるな」

海の知識が全くないロディールが船に乗れたのは、船長ダヴィードがそれを望んだことと、職業のおかげと言ってもいい。戦闘技術も船の知識もない、完全な素人など本来は乗せないのだ。

最初はふわふわした船独特の揺れが不快だったが、ずっと乗っているうちに慣れた。元々、適応力はあったようだ。
セシャンはというと、船に乗ったことがあるらしく、ロディールよりずっと慣れていた。
ロディールは、船の若手の手伝いをしながら、海の知識を増やしていった。特にシンバはいろいろと教えてくれた。今まで彼が一番下っ端だったため、初めての新人に何かを教えると言うことが楽しいようだ。元々、人なつっこい性格でもあるらしい。

「獲物がいたぞ」
「戦闘だ!」

戦いが起きたのはロディールが船に乗って5日ほど経ったときのことだった。
新人は本船の防御が担当で、戦闘は幹部を主体としたベテランメンバーが中心に行うらしい。

「センセー、無茶しないでくださいね」

セシャンにそう言い含められ、ロディールは頷いた。言われるまでもなく、自身の戦闘能力の無さは判っているつもりだ。
セシャンは護衛として乗っているため、敵船へ乗っていこうとはしなかった。
しかし、飛んできた弓矢を剣で叩き落とし、飛んできた印を風の印で相殺し、しっかりと守ってくれた。

幸い、主要戦闘員が奮戦してくれたらしく、味方側の船には敵が乗ってこなかった。
しかし、怪我人は出たらしい。

「センセー!!怪我人が出た!!見てくれ!!」
「あぁ」
「うわっ!!」
「ガイン、腕を切られたのか!!」

赤く日に焼けた肌を持つ、屈強な大男の右腕が見事に切り落とされていた。丸太のように太い腕だけに切り口が無惨だ。

「腕は?」
「ここに」
「捨てろ。落とされた腕など用はねえ」

騒ぐ周囲と対照的に怪我をした男は淡々としている。諦めていると言うよりそれが当たり前という様子だ。今まで医師がいなかったという海賊船ではそれが当たり前になってしまっていたのだろう。

「ガイン、大丈夫だ。センセは普通の医者じゃねえからな」

ロディールはそれに答えず、切り落とされた腕を受け取ると、『聖ガルヴァナの腕』を発動させた。複数の腕が背中から出てくる光景に周囲が驚きの声を上げる。

「食いちぎられているわけでもない綺麗な切り口だ、問題ない。完璧に治る」

ロディールは傷口を消毒薬で洗浄し、切り株のようになった上腕部に腕を当てた。
くるくると紡ぎ出される生気の糸が、断ち切られた筋肉や神経を繋いでいき、瞬く間に腕が元通りに縫合されていく様子を、当の患者は唖然として見ている。

「センセが乗っている限り、どんな怪我をしても治してもらえるぜ」
「調子に乗るな。即死じゃ助かるものも助からないからな。そもそも怪我をしてくるな」
「俺は無傷だぜ。怪我をしたのはガインだ」
「ロウタスの動きが悪くて気になっていたら……言い訳だな、すまん」

ガインは素直に謝った。実直な性格のようだ。
怪我人の口から出た名にロディールは眉を寄せた。縫合を終えた腕に薬を塗って、包帯を巻く。

「あのバカ、姿が見えないと思っていたら戦いに出たのか。まだ無理だというのに」
「あいつは戦闘好きでな」
「お仕置きしてやる。安静という言葉を知らないのか、あいつは。どこに行った?」
「まだ敵船だと思うが」

そうこうしているうちに戦闘に出たメンバーが続々と戻ってきた。その中にロウタスの姿もあった。

「ロウタス!」

名を呼ばれて振り返った男は顔をしかめている。安静にと常々言われている言葉を無視した自覚はあるらしい。
逃げようとした相手をロディールは見逃さなかった。
負の気をボールのように投げつけて動きを封じ、反撃しようとした相手に再度、気を叩き込む。
その鮮やかな動きに周囲の海賊たちは目を丸くする。
ロウタスは幹部だ。若くして幹部になっただけあり、戦闘能力は相当に高い。にもかかわらず新入りがあっさりとロウタスを捕らえてしまったのだ。

「いいかげんにしろ、逃亡患者。お前は体をなんだと思っている」
「うぜえ、これが俺の仕事だ。海賊なんだよ」
「知らんな。戦場にでたけりゃもっと回復してからにしろ。俺にさえやられているような体で戦場に出るな。しかし、血まみれだな…」
「るせえ。返り血だ」
「嘘をついても俺には判る。ったく……水の印持ち!真水を頼む。こいつを風呂に入れたい」
「はいよ、センセ!」

さすがは海賊船というべきか、水の印持ちは多い。
そして貴重な医師であるロディールは島の人気者だ。同じ島の出身海賊はロディールに好意的である。
あっさり引き受けてくれた一人が、空中から真水を生み出して湯船に溜めてくれた。

「離せ、自分で入れる!!」
「暴れるな、怪我人がっ!!」

バシャンとロウタスを風呂にぶち込み、ロディールはため息を吐いた。

「あのな、怪我人。何も戦闘に出るなと言っている訳じゃない。治ってからでろと言ってるんだ」
「戦闘は死ぬか生きるかだぜ。そんな甘っちょろいこと言ってられるかよ」
「わざわざおまえさんがでなくても、周囲に戦える者がいるだろうが」
「俺は幹部だ。戦うのは当然だ」
「だからそれは治ってからにしろと言ってるんだ」

血まみれの相手を浴槽にぶち込み、力を適度に抜く。
くそったれ、だの、今にみてろ、だの、口の悪い相手に辟易しつつ、ロディールはいつものように『聖ガルヴァナの腕』を発動させた。
そしていつもとは少々違ったように動かしていく。
ロウタスはぎょっとしたように顔を上げた。

「……っ!!なっ……て、めえ……何をっ!!」
「いつもはな、一応、気を使っていたんだぞ、俺は。お前さんは下腹部も怪我しているし、その辺りの神経を刺激したらどうなるかぐらい判っていたからな。ものすごく気持ちがいいだろう?」
「……っ!!や、めっ!!……やめろっ!!」

ロウタスの傷の一つは下腹部にある。
深く傷を負ったその部位は治らないうちに幾度も戦闘に出て戦っているため、未だに完全には治り切れていない。激しく動くために治りきる前に傷口がずれたり開いたりということを繰り返している。ロディールの的確な治療のおかげで悪化していないようなものだ。本来は膿んで腐れ落ちていてもおかしくはないぐらいなのだ。
そしてその傷口の深い部分は性器や膣に到達している。
普段は気を使って、その辺りの神経をマヒさせてから治癒していたロディールだったが、何度も傷口を開いて帰ってくるロウタスにいいかげん腹が立っていた。
生気の腕を使って、体内にある古傷を丁寧に癒していく。ロウタス自身の生気にロディールの生気を交えて、柔らかく丁寧に術を施していく。その部位は子宮と膣の付近だ。場所が場所であるため、通常は感覚を鈍らせて治癒する箇所だが、ロディールはわざと感覚をそのままにして治癒を続けた。
たまらないのはロウタスだ。『聖ガルヴァナの腕』で直接敏感な神経を刺激されるのだ。それも普通は男性器で突かれなければ刺激を受けない最奥を痛みも感触もない状態で、ただ、性感だけをびんびんに刺激されるのだ。
ロディールが生気の腕を動かすたびに強い刺激が体の奥に走る。まるで性感帯に電流が流されるような強力な刺激が走るのだ。いくら癒しの技と言われても、刺激が強すぎて、ロウタスには愛撫にしか感じられない。

「うぁっ、……あっ、ああああっ……やめっ、マテ、もう無理だ、やめ、て、くれっ……」

抗おうにも体中の力を抜けさせられている上、腕は生気で出来ているため、普通に触れることはできない。
しかも、与えられているのは女の方の快楽だ。
ロウタスは女性の方の快楽は知らない。唯一の経験は強姦であり、重傷で殆ど意識がなかった状態で行われたため、殆ど記憶にない。
強制的に高められた未知の快楽にロウタスは恐怖と混乱を味わった。

「やめろっ、やめっ……ぅっ、はああっ……」

ロウタスの瞳に雑じる恐怖に気付いたのだろう。生身の手が頬に触れる。
優しく触れられて初めてロウタスは、己が涙を流していることに気付いた。

「嫌がらずに感じてろ。傷を癒しているだけなんだぞ、これは。普段マヒさせている感覚をそのままにしているだけだ」
「……っ、だったら、マヒさせろ!!」
「この状態で中断したら、お前さんがツライと思うが?」

女性の方の刺激を受けたことで、ロウタスの男としての象徴もすっかり昂ぶっている。
ロウタスは唇を噛んだ。
男の方は擦れば何とかイケるだろう。しかし女の方の身の昂ぶりは未知すぎてよくわからない。さんざん刺激された体の奥がジンジンと疼いている。このまま放り出されてもツライということだけは判る。
ロウタスは唇を噛んで、目の前の男を見た。戦えぬと言いながらも相手の体には綺麗に筋肉がついている。彼が働き者だからだろう。戦闘ではなく農作業などの労働で鍛えた体だ。
しっかり鍛えられた男の体は、性欲を高められたロウタスにはとても魅力的に見えた。

(こいつが欲しい……)

荒く呼吸をしつつ、ロウタスは思い浮かんだ言葉に内心狼狽し、無理矢理視線を逸らした。
リースティーアとはいえ、彼は男を欲しいと思ったことはない。それだけに自分自身が信じられなかった。
そんなロウタスの内面に気付くはずもなく、ロディールは優しくロウタスの髪を梳くように撫でた。

「いいか、次の戦闘には出るな。子を産みたきゃ、体を大切にしろ」

ロウタスは荒く息を吐きつつ、目を細めた。

(子供……)

諦めていたことを告げてくる相手にロウタスは心の奥のこわばりが溶けていくように感じられた。

リースティーアは子を産むことを推奨されている。母胎からしか両性が受け継がれないためだ。
そのため、アガールとロウタスも母親からは子を産むように教わって育った。
ロウタスは己が母親向きとは思っていない。たてがみのような黒髪も鋭い深紅の眼差しも、鍛えられた筋肉質の体も男そのものだ。性格も荒々しく、血の気が多い。母親向きどころか正反対だろう。
それでも母の教えを守るつもりでいたのだ。それが早くして亡くなった母への唯一の親孝行だと思っていた。
しかし、生来の気性の荒さはなかなか治らず、怪我をしてばかりで体中傷だらけだ。到底、男が抱きたいと思える体ではなくなっている。あげくに腹を裂く重症をおった。あの時、子を産むことは諦めたのだ。

(俺はまだ……産めるのか…?)

思案するように視線を彷徨わせる相手に、ロディールは効果があったようだと意外に思った。
子を降ろすために腹を裂くなど、考えられないような行動を取っていた男だ。この言葉が効果あるとは期待していなかったのだ。

「……子は……欲しい……」
「だったらもっと体を大切にしろ。今ここでちゃんと治しておかないと妊めなくなるぞ」
「……俺は……産めるのか?」

ぽつりと問われる。
その台詞から一応当人も気になっていたのだとロディールは気づき、宥めるように優しく頭を撫でた。

「今は難しいな。ちゃんと治したら可能性はある……」

ロウタスは俯いていた顔を上げ、ロディールを見つめた。

「だったら……お前の子種をくれるか?」
「何だって?」
「お前の子なら頭のいいガキになりそうだ」
「……お前さん、子が欲しいのか?」
「リースティーアが何故滅びないのか知らねえのか?」
「知らない」
「子を産まねえと一族から一人前だと認めてもらえねえからだ」

リースティーアは戦士の一族だ。そして両性体は母胎からのみ受け継がれる。
両性は男として子を作った場合は受け継がれないのだ。
男として子を作り続けたら種族が滅びる。
種族を守るため、そんな掟が生まれた。

「少なくともあの男よりテメエのガキの方がマシだ」

吐き捨てるような台詞に憎しみを感じ、無理もないかとロディールは思った。
強姦されれば誰だって相手を嫌うだろう。

「お前さん、以前痛み止めに麻薬を使っていただろう?その影響が完全に抜けるまでは子を作らない方がいい」
「……いつまでだ?」
「そうだな、ちゃんと治療を続けて、あと二年もすればいいとは思うが」
「二年だな、約束だ」
「俺にも相手を選ぶ権利があるはずだが?」

ロウタスはロディールの反論に黙り込んだ。
困ったように少し俯いた相手の表情には落胆した様子が見られる。
少々意地の悪いことを言ってしまったと思い、ロディールは相手の頬に優しく手を当てた。
その感触に気付いたロウタスが顔を上げる。

「悪かった」

ロディールの謝罪に、ロウタスはその背に腕を回すことで答えた。

「……早く来い。いつまで待たせる気だ」

声には甘さが感じられる。どうやら和解できたようだ。
懐かぬ猫が懐いてくれたようだ、と思い、ロディールは笑んだ。
刃向かってばかりいた相手が懐いてくれたのは悪くない気分だ。
ロディールは相手の額に軽く口づけ、その背を抱き返した。