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◆ディガンダの黒犬(5)

早速騒ぎがあったのはその三日後の朝のことであった。
ロディールの朝は早い。朝日が昇る前に摘まねばならない薬草があるからだ。
その日も陽が昇る前に起きて、庭へ向かおうとすると、外に男の人影が見えた。
急患だろうかと思い、外へ出て声を掛けようとしたロディールの手を止めたのは、夜着姿のセシャンであった。手には剣を持っている。

「センセー、彼は様子がおかしい。俺にお任せください」
「殺すなよ?」
「ご心配なく」

セシャンに言われて、よく見てみると確かに様子がおかしい。外から窓を真剣に弄っているのだ。窓をこじ開けて入ろうとしているのだろう。
セシャンはその男を気絶させて捕らえた。さすがに優秀なミスティア騎士。そつのない動きであった。

「いい男に夜這いされるなら歓迎ですが、変質者じゃ大変迷惑ですね」

そんなことをぼやきながら、セシャンは男をずるずると引きずってきた。
ロディールは男が起きるのを待って、薬草茶を差し出した。

「呆れたヤツだ。ディガンダの海賊ってのは、何だってしていいのか?」
「そんなことはしない!ディガンダは質の悪い商人だけから荷を奪ってるんだ!」
「陸でも盗みをするのか?」
「するわけがない!俺たちは海賊だ!仕事は海の上だけだっ」
「だったらうちに忍び込んで強姦するのもよくないことだな?」

バツが悪そうに黙り込んだ相手にロディールは茶を飲むように促した。
暖かなハーブティは男の心を少し和らげたようだった。

「……悪いことだってのは判ってる」
「あいにくだが我が家にはイルファーンもいるし、セシャンもいる。今後忍び込むにしても難しいぞ?」

男はぐっと言葉に詰まった。

「そんなにヤりたいのか?ふむ。性欲が激しくて仕方がないのなら、しばらくの間、不能になってみるか?」

そういう薬もあるぞ、と真顔で言うと、男は一気に青ざめた。

「い、嫌だ!冗談じゃない、遠慮する!!ハッ、まさかこのお茶はっ…」
「ちょ、センセー!本当ですかっ!?」

茶を飲もうとしていたセシャンまで一緒に青ざめている。

「さすがに何も言わずに薬を盛ったりはしないぞ。それはただの茶だ」
「そ、そうか……」
「よかったー!」
「しばらくあいつから離れて頭を冷やすんだな。次の航海はいつだ?」
「10日後に出航すると聞いている」
「その航海、ロウタスは休ませる。貧血が酷くてな……あいつは乗りたがるだろうが、ずっと重い貧血が続いている。このままじゃ重い病を発病しかねない」
「そうか……船長に伝えておく」
「あぁ。もし必要があれば説明へ行くと言っておいてくれ」

ロディールはペンを走らせると、紙を男に差し出した。

「ロウタスの診断書だ。船長に渡しておいてくれ」


++++++++++


海賊船ディガンダの船長は、ダヴィードという。
バネのような体を持つ黒衣の男は、黒い髪の30代半ばの長身の男であり、海賊船ディガンダがアジトにしているもう一つの島、マリエン島の出身だ。
その隣に立つ明るい茶色の髪の男はバジーリオ。癖のある茶色の髪を腰まで伸ばし、首の後ろで束ねている。ディガンダの副船長だ。
彼らはジョルジュが、ロウタスが船に乗れぬ事を聞くと、驚き顔になった。

「本当か?お前の作り話じゃないだろうな?」
「ロウタスがそんなことを認めるとは思えないが」

ディガンダのメンバーは全員がジョルジュの想いを知っている。
それが一方通行であり、ロウタスが拒絶していることも知っているため、疑いたっぷりであった。
疑われることは承知していたジョルジュはロディールに預かった診断書を差し出した。

「医者に預かった診断書を持っている。船長にとのことだ」
「診断書!?そんなもん、生まれて初めてみたぞ、俺は……」

海賊達の識字率は低い。海賊だけでなく、彼らの出身島の識字率も低い。貧しいからだ。
貧しい島では教育を受ける余裕がなく、教える側もいない。そのため識字率は低くなる。
一般的にこの辺りの小島では、島長が読めるか読めないか程度の識字率しかないのが現状なのだ。

「必要があれば説明に来るとも言っていた。彼の話では、貧血が酷すぎるため、だそうだ」
「流した血が多かったからなぁ、あいつは」
「帰りの航海では殆ど動こうとしていなかったが貧血のせいだったんだろうな」

ロウタスの体調には周囲の者たちも気付いていた。

「文字を読めるのはイルファーンか」
「あいつはその医者と同居中だ」
「疑う訳じゃないが、一応説明に来てくれと言ってもらえるか?その医者にちゃんと会っておきたい」
「判った」

船を降りていったジョルジュを見送り、ダヴィードは感心したように紙を見つめた。
彼はあまり文字が読めないが、そんな彼にも達筆だと判る文字が整然と並んでいる。

「本当に頭のいい医者のようだな」
「そうだねえ……この島はいい拾いものをしたようだ。マリエン島の方にも来てもらえないかな」
「どうだろうな…」