文字サイズ

◆ディガンダの黒犬(2)

一方、ロディールはゼーター島での暮らしにすっかり馴染んでいた。
午前中は家へやってくる患者を診て、午後は動くのが難しい患者の元へ往診に向かう。
そして空いた暇な時間に、鍬でせっせと畑を耕した。
イルファーンの家には畑があった。しかし、イルファーンの両親が亡くなってからは使われていなかったらしい。
イルファーンに許可を貰い、すっかり荒れ果てていた畑をロディールはせっせと耕した。
草ぼうぼうで、石が混ざり、すっかり堅くなった地面を耕すことは簡単なことではなかったが、ロディールは空いた時間の殆どを畑で過ごし、コツコツと頑張った。
元々、畑仕事は実家でずっとやっていたことだ。慣れがあった。
時折、イルファーンも手伝ってくれたおかげで、ロディールは無事、必要な薬草の種をまくことができた。
ロディールのまめな手入れのおかげで薬草は順調に伸びている。
あまり肥えた土ではないため、生え放題というわけではないが、初年度にしてみれば成功した方だろう。
陽が昇る前にしか詰めぬ薬草の芽を摘んでいたロディールは、朝日を浴びながら家へ戻った。
簡単な朝食をすませ、片付けをしているうちにノック音が響いた。

「先生、おはよう」
「おはよう」
「ちょいと見てくれないかい?最近、腰が痛くてね」
「判った。そこの寝台に横になってくれ」
「はいはい」

ロディールの元へやってきたのは集落の老人たちだ。老人達はいつも朝が早い。
三人ほどの老人達は魚の干物や野菜を手にしている。
貧しい島では金銭をろくに持たぬ老人も多い。ロディールが来てから、領主による配給が始まったとはいえ、まだまだ貧しいのだ。そのため、ロディールに治療費代わりに品を持ってくる。
ロディールも彼らの経済事情が分かっているので、貰い受けている。
実際、彼らにもらわねば買うしかないので、品を貰うのは、ある意味ありがたいのだ。

「この干物は、何という魚の干物なんだ?」
「ショロギだよ。2、3時間ほど水につけてから焼くと美味しいよ」
「ほう、そうなのか」
「つけた水は吸い物のダシに使えるよ」
「なるほど。ありがとう、今夜試してみる」

そうして、一通り、治療を終えると、老人達は雑談を始めた。

「先生は若いのに、船に乗らないのかい?」
「若くて元気なんだから、船に乗らなきゃ」
「男は船に乗るもんだ」

さすがに海賊業と漁業を中心に営まれている集落だ。考え方がロディールとは全く異なるらしい。

「あんたほど腕の良い医者は初めてだ」
「あんたが乗ってくれたら、みんなが長生きできそうだよ」
「俺は山の中の生まれだ。海はまだ慣れなくてな。そういえば、もう一つ、アジトの島があるらしいな?マリエン島という名だと聞いた」

ロディールはカルテを書きつつ、老人たちに問うた。
ディガンダの海賊は、この島とマリエン島の出身者で構成されているという。

「そうそう、ちょいと遠いけどね。いい風が多けりゃ早く着くよ」
「ここから行くには潮の流れがあまりよくないんで、時間がかかるんだ」
「中央大陸に行く途中にある島でね。ここよりもリースティーア(両性体)が多い戦士の島だよ」

ロディールは、処方する薬を調合するために天秤を手に取った。瓶から粉薬を取り出して、量っていく。

「リースティーアのことを知っているのか?」

もちろん知っているよと老人らは頷いた。
すぐに帰るつもりはないのか、勝手に台所で茶を沸かし、すっかり雑談所と化している。

「リースティーアは戦士の一族だから、海賊には普通にいるんだ」
「数は少ないけど、この島じゃそれほど珍しくないわね」
「リースティーアは、元々、北の大陸リューの出身なんだよ。リューにはリースティーアの集落がたくさんあるらしいよ」
「リースティーアは一度惚れるとしつこいからねえ」
「なかなか惚れないかわりに、惚れたら食らいつくからなぁ」
「アガールがお前さんを狙っていると聞いたよ」
「あの子たちは、そろそろ子を産まなきゃね」

大変なヤツに惚れられたなという老人らにロディールは無言で頷いた。
『あらあら、もしかして断る気かい?』『アガールも哀れだねえ』などと言いたい放題の老人らにロディールは軽く肩をすくめた。
ロディールはこの手の老人たちのあしらいになれている。好きなように言わせておくのが一番無難だと知っているのだ。

「ロデ爺、あんたは大工が得意だと聞いた。もしよかったら、書棚を作ってもらえないか?医学書やカルテを置くのに使いたい」
「ああ、かまわんぞ。寸法は?」
「カルテがこれぐらいで…」

請け負ってくれた老人は、寸法をメモった後、顔をしかめた。

「結構でかいな。お前さん、ずっとイルファーンと同居するつもりかい?」

家が狭くなるぞ、という老人にロディールは室内を軽く見回した。

「そうだな。俺もいずれは独立する予定なんだが、空き家が集落のはずればかりだろう?おまけに畑を作れそうな場所もなかったからな」

あまりへんぴなところへ引っ越しては、若いロディールはともかく、老人達が気軽に通ってこれなくなる。往診にも不便だ。
そして畑がなくては、薬草が植えられないのだ。
どれほど小さな集落でも、山野で採れる薬草だけではまかないきれない。使用する機会が多い薬草は育てる必要がある。
イルファーンは航海で不在のことも多いので今のところ、一人で好き放題しているロディールだが、いずれは独立せねばならないと思っている。
しかし、いい空き家がないというのが現状だ。

「もしかしたら新築せねばならないかもな。そのときは世話になる」
「うむ」

そろそろ船が戻ってくる時期だね、と語り合う老人達に、イルファーンやロウタスは無事だろうかと思うロディールであった。