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◆ディガンダの黒犬

大海原で船と船とが競争するように走りあう。
狩る側と狩られる側なので、どちらも必死だ。

「海賊だ!!」
「ディガンダだ!!」

悲鳴のような声が飛ぶ。『ディガンダ』の名は商船にとって、恐怖の対象となっているのだ。

かぎ爪がついたロープが飛んできて、船縁をきっちりと固定される。逃げられないようにするためだ。
そうして、次々に船に飛び込んでくるのは戦い慣れた海賊達だ。
その間に風の印が舞い、船に大きくはためく帆が真っ二つに切られる。これもまた、逃げられないようにするためだ。
真っ先に敵に飛び込んでいき、懐に飛び込むようにして切っていくのは赤黒い髪の男だ。当然ながら抵抗されて、手や足に傷を負っているが、気にする様子もなく、敵船で刃を振るい続ける。
自らが流した血、そして敵の血を被りながら戦い続けるその様は正気とは思えぬ姿だ。

「なんだ、あの男は。気違いか!?」
「海賊は命知らずが多い!」
「あれはディガンダの黒犬。あっちの赤髪が赤狼だ!」
「幹部か。どおりで強い!」

赤狼、と呼ばれた男は黒髪の男をフォローするように近くで刃を振るっている。
黒髪の男の戦い方が異常なため、さほど目立つことはないが、十分に強い。
その二人の後に船へ乗り込んできた別の褐色の髪の男は、二人とは別方向へ歩いていった。
自分から襲っていくことはないものの、敵船の内部を確認するように歩き回っているため、必然的に敵に逢う。そのたびに確実に敵を葬っていく。
淡々と正確に刃を振るうその姿は、非常に不気味で敵に恐怖を与える姿だ。
その三名を遠くから見ているのは海賊船の新人たちだ。
船へ乗り込んでいくのは強者たち。新人は自船の防衛をしつつ、彼らの帰りを待つのだ。
今は完全に勝ち戦状態のため、敵もこちらへ乗り込んでくる余裕がない。そのため新人たちは憧れを持ってその先輩達を見つめている。

そうして、襲撃は30分足らずで終わった。
無事勝利したディガンダ側は敵の商船に載っていた積み荷を奪うと、敵船に火をかけ、海へと沈めた。

船上で勝利の宴を催しながら、赤い髪の男アガールは隣にいる黒髪の異父兄弟の手当てをしていた。
アガールは『赤狼』、ロウタスは『黒犬』の異名を持つ。二人とも海賊船『ディガンダ』の幹部だ。
明るい性格のアガールは気さくな人柄のため、船の後輩達にもよく話しかけられ、慕われている。若手の中では一番人気である人物だ。
その異父兄弟のロウタスは正反対に遠巻きにされている。船長相手であろうと噛みつくことがある彼は暴走癖が激しいことで有名で、命知らずな戦い方についてはとっくにさじを投げられている。新人のころから何度も止めたが結局直らなかったのだ。
今は異父兄であるアガールと彼らの幼なじみであるイルファーンぐらいしか、暴走を止められる者はいない。
しかし、海賊としての強さは別で、ロウタスの強さは船の後輩たちに憧れられている。
アガールは兄弟の傷の手当てをしつつため息を吐いた。

「相変わらずだな。ったく、深い傷も多いな。おまけに出血酷すぎるぜ、お前。一歩間違えたら死んでたな。もうちょっと安全な戦い方をしろよ」
「そんな戦い方に何の意味がある」

退廃的な負の感情が籠もる声に眉を寄せたのは赤い髪の男だけではない。
その近くで呑んでいた緑がかった黒髪の男が近づこうとする。

「ロウタス、お前まだそんなことを言っているのか?そういうのはよくないと言っているだろう?俺はお前が……」
「それ以上言うな、近づくな。来たらお前も斬り殺すぞ!」
「ロウタス!」

二人の口論にアガールはため息を吐き、呆れたように己の異父兄弟を睨んだ。

「知らねえぞ、俺は。その傷、島につくまでに完治しないと思うぞ。センセにぜーったい見つかって怒られると思うね、俺は」

全身に切り傷を作り、返り血を被って戦っていた命知らずの男は、その言葉にグッと詰まった。

「……絶対言うんじゃねえぞ」
「言わなくてもバレる方に有り金全部賭けてもいいね、俺は」

その言葉にまたまた男は黙り込んだ。
二人の会話を聞き、周囲が興味深そうな表情になる。
今まで命知らずなロウタスが何かを恐れたということはない。いつだって先陣を切って戦うこの男は、周囲がどれほど注意しても命を大切にしようとは思わなかった。
実際、全身を傷だらけにしても平然として剣を振るうような男だ。何度死にかけてもやめようとはしないため、周囲もさじを投げて久しかったのだ。
その男が苦手とする者がいるらしい、という事実に周囲は色めき立った。

「どんなヤツだ?」
「センセイと言うってことは医者か教師か?」
「医者だよ。それもミスティア公お気に入りだったという凄腕なんだ!」

嬉しげに答えるアガールに、周囲は驚きの声を上げる。

「ゼーター島に腕のいい医師が来たとは聞いていたが」
「原因不明だった病を治してくれたらしいな」
「あぁ、そういえば会ったことがあるかもしれない。ギランガで診てくれた医者じゃないか?」

船に乗る幾人かはロディールに会っている。
港町ギランガでロウタスを診てもらった時に会っているのだ。

「そうそう。そのときのセンセーさ!」
「なるほど!確かにありゃあ凄腕だった。背中から羽根を生やす技なんて初めて見た。すごかった!」
「それで苦手なのか。ロウタスは一撃で沈められてたもんな」
「ロウタスを一撃で!?どんな凄腕なんだ、その医者は。武術も優れているのか?」
「ロウタスも体調が悪かったとはいえ、その後もずーっとセンセには負け続けだからなぁ…」
「黙れ…」

体調が悪かろうが、万全に近かろうが、いつだってロディールには負け続けているロウタスは強く反論せずに、苦虫を潰したような顔でそっぽを向いた。
その様子から、医師の話は真実に近いと知り、海賊達はその医師に強い興味を持った。
海賊を診てくれる医師は少ない。犯罪者である海賊は世間のはみ出し者だ。かかわりたくないという医師が殆どで、無理矢理診させようとしても、体にどんなことをされるか判らないとなると、無理強いするわけにもいかない。薬と称して毒を盛られては、こちらの命に関わるからだ。
おまけにロウタスより強いとなると、興味を持たずにいられない。
ロウタスはディガンダで幹部の一人だ。並外れた強さを誇るため、トップにほど近い地位にいる。『命知らずの男。捨て身で敵を食い殺すディガンダの黒犬』とは彼につけられた異名だ。

「イルファーンの家を借りて住んでるんだ、センセは」

『ディガンダの凍鱗』という異名を持つ男は、興味深げな視線を向けられ、小さく苦笑した。

「……腕は保証する。いい医者だ」
「へえ、俺も診てもらおうかな」
「酒を飲んでいる時は会わない方がいい、と言っておく」

アルコール中毒患者がすっかり減った故郷の島を思い出しながら、イルファーンは付け加えた。