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◆青海のギランガ(12)

ロディールは港で迎えを待った。
朝靄の中、迎えに来てくれたのは中くらいの船だった。10人乗りぐらいに見えた。
しかし、乗っていたのはたった二人であった。
一人はロディールが治療した初老の男、もう一人は日に焼けた肌を持つ二十代の黒髪の男であった。

「先生、この間はお世話になりました。迎えに来ました」
「よろしく頼む」
「この間は言わなかったんですが、儂は闇の印持ちでして…。それでも来ていただけますか?」

やはり弱気な男に、ロディールは苦笑して頷いた。
相手の印にはロディールも気付いていた。しかし、故郷にも闇の印の持ち主はいたし、死人使いとして尊敬される職業の人物だった。全く気にならない。

「アンタが何の印だろうと問題ない。行くつもりで待っていたんだ。よろしく」
「おお、ありがとうございます」

船に乗ると、褐色の髪を持つ若い男が手を差し出してきた。

「初めまして、先生。俺はイルファーン。一応、この船の責任者だ」
「ロディールという。しばらくの間、よろしく頼む。あと、俺は内陸の出身で、海のことはからっきしだ。泳げもしないんで、是非安全な航海をお願いする」

ロディールの台詞にイルファーンはクスッと笑った。

「先生はカナヅチか。むろん、大切な先生だ。しっかりお守りしよう」

イルファーンの誠実そうな雰囲気にロディールは好感を抱いた。
その船に揺られて半日。朝出発したが、到着する頃には陽が暮れかかっていた。
到着した島は今まで巡ってきた島とそう変わりなく思えた。つまりは、小島だ。
港には出迎えの人々が数人と、漁業に使用すると思われる網を修復している男が数人いた。
ロディールはその中に見覚えある姿を見つけ、船を降りると同時に声を掛けた。

「久しぶりだな、逃亡患者。怪我をした腹は回復しているか?」
「てめえっ、なんでこの島にっ!?」
「センセーじゃないか!?驚いた!!あんたが来てくれたのなら安心だ!!これは運命に違いない!!」

逃げ腰なのはロウタス。
大喜びなのは赤毛のアガールだ。
知り合いか?と問うてきたのは、船を動かしてくれた男だ。

「イルファーン!アンタ、マジでまた行ったのか!みんなが無駄骨になるって言ったのに!」

ノエ爺が戻ってきたのは数日前だった。
治療してくださったと喜んでいたノエ爺には、他の皆もよかったなと言葉を告げたが、『島に来てくださると言ってくださった』というノエ爺の言葉は誰も信じなかった。
ホントに来てくださるんだ、船を出すのを手伝ってくれ、というノエ爺の必死の主張も、老人がわざわざ行ったから情けで治療してくださったんだろう、島に来てくれるというのは方便に違いないと思う者が殆どだった。誰も信じなかった。
幾ら何でも、罪人の島には来てくれないだろうと誰もが言った。誰も信じようとしなかった。それほど『医師』とは縁のない島であり、『医師が来る』という話は信じられなかったのだ。
周囲の驚きの視線を受けたイルファーンは苦笑した。

「ノエ爺の言うことだから、嘘じゃないと思ったんだ。事実、ちゃんと来てくださっただろう?」
「センセーとは思わなかったんだよ。けど、納得だ。センセーなら来てくださるよな!」
「なんだ、それは…」
「けど、センセ、マジで大丈夫か?アンタ、銀の城に勤めるすごいお医者さんだって噂で聞いたぞ」

ロディールは、立ち去ろうとしているロウタスを、逃がさないよう腕を捕らえつつ問うた。

「誰に聞いたんだ、そんな噂?」
「離せ!」
「ロウタスが腹を裂いて入院してた時、病院の看護士たちが言ってたんだ。若いのに凄腕のエリート医師。銀の城に勤めていて、ご領主様のお気に入り、玉の輿にぴったりって」
「離せと言ってるだろうがっ!」
「………」
「おい、聞いてるのか!?」

ラストは余計だと思いつつ、ロディールはロウタスに『聖ガルヴァナの腕』を使い、状態を調べた。

「やはり完治してないな。この薬を一週間ほど飲め。あと、少し貧血気味だな、あとで増血剤も処方しておくからそっちも飲め」
「いらねえ!!かまうな!!」
「ロウタス」

静かに名を呼んだのは、イルファーンだ。
ロウタスはグッと詰まり、そっぽを向いた。
明らかにしぶしぶといった様子だが、どうやら諦めたようだ。
その様子から、ロディールは、自分をここまで連れてきてくれたイルファーンは、一目置かれている人物らしいと気付いた。

(なかなか頼りがいがありそうだな)

「俺は今夜どこに泊めてもらえるんだ?宿はあるのか?」
「こんな島に宿なんてあるかよ!」
「ロウタス!……すまない、宿は用意していないんだ。俺の家で良ければ来てくれ」
「ありがとう。世話になる」

ロディールはまずノエ爺の家で老女を一人診た後、イルファーンの家へ向かった。
イルファーンの家には誰もいなかった。聞けば、両親はすでに亡くなっており、一人暮らしだという。
ロディールは家の裏に畑があることに気付いた。薬草を植えられそうな畑だ。
今は使われていないのか、だいぶ荒れているが、開墾するよりは楽に再利用できるだろう。
そんなことを思いつつ、ロディールは梱包した荷物の中を再確認し、台所へ声を掛けた。

「手伝うぞ」
「わざわざ遠方まで来ていただいたのに、料理までさせては申し訳ない」
「気にするな。それより顔色が悪い。休んでおけ。すまないが、台所を勝手に使わせてもらうぞ」

ロディールは『聖ガルヴァナの腕』を発動させ、相手の体に潜り込ませた。
そして軽く生気を動かす。

「微熱があるな。風邪のひきはじめだろう。後で薬を処方するから飲んでおけ」

台所にあった野菜でスープを作り、イルファーンが焼きかけていた魚を完全に焼くと、夕食を済ませた。

「陸で誰かと夕食を食べるのは久しぶりだ」
「アンタも『ディガンダ』か」
「あぁ、そうだ。この島は貧しい。ミスティア公からの庇護もない。外からの収益がないとやっていけないんだ」
「そうか…」

そこへ扉が叩かれた。
イルファーンが出ると、中年の男が立っていた。

「イルファーン、お医者様が来ておられるとアガールに聞いた。子供の容態が悪いんだ。遅くに悪いが、来てもらえねえか?」

その声はロディールにも聞こえていた。
ロディールは鞄を手に立ち上がった。

「行く、すぐに案内してくれ。イルファーン、お前はいい。休んでいろ。これは俺の仕事だ」