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◆青海のギランガ(11)

ロディールが小島を回っている頃、罪人の島と呼ばれるゼーター島では、一人の老人が船を出そうとしていた。
そしてその老人を止めようと数人の島人たちが集まっていた。

「やめろ、ノエ爺。無駄骨になるに決まっている」
「どうせ医師はこの島には来ない。診てもらえないに決まってる」

他の島々の住人を診るため、医師が派遣されているという噂はゼーター島にも届いていた。
しかし、ゼーター島には領主の恩恵がない。いつも無視される。
過去、何度か大津波で大きな被害を受けた時も、ゼーター島だけは救済されず無視された。
島の住人達は他の小島が支援を受けて、どんどん復旧していくのをうらやましく思いつつ、惨めに自力で頑張るしかなかった。
塩を被った土はなかなか元に戻らず、さび付いた農具を手に細々と作物を作るしかなかった。

「嫁がもう限界なんだ。何もせずにはいられねえ」

老人の伴侶である女性は病で寝たきりに近い状態となっている。
このままでは長くないことが目に見えていた。

「だが、ノエ爺。アンタだって一人じゃ船を動かすのは危険だ」
「入れ墨のある男の言うことを聞く医師がいるとは思えねえ」
「気持ちは判るがアンタの身の方が心配だ」

老人は元海賊だ。
小さな島が食べていくには土からの収入だけでは到底無理で、他から収益を得るしかなかった。
この世界の海賊には裏切りと足抜けを禁じるために入れ墨を入れる習わしがある。
入れ墨は一度入れると消えない。そのため、引退後も体に残ってしまうのだ。

「リオデ島に行く。あの島は俺たちにもそう悪くねえから」

リオデ島はゼーター島から一番近い島だ。古くからゼーター島と付き合いがあり、ゼーター島の住人を親戚に持つ者もいるため、大陸の住人たちのような冷たい対応はしてこない。
それでも島の人々の表情は優れなかった。彼らは島外の住人たちがどれほど冷たいか、頼りにならないか、知っている。
何度も救いを求めて裏切られてきた過去と冷ややかな態度と眼差しを知っている。
病と怪我は自力でどうにかするしかないというのが当たり前であり、医師は助けてくれないというのが彼らの常識であった。
そこへ一人の男がやってきた。褐色の髪を持つ二十代前半の若い男だ。
彫りの深い顔立ちと日に焼けた肌を持つ男は、ひょいと慣れた様子で老人の船に乗り込んだ。

「おい、イルファーン!」

驚いた一人の男が慌てて声を掛ける。
男は手にしていた革袋を船に降ろしつつ振り返った。

「止めても聞かないんだろう?爺さんだけじゃ心配だから俺も一緒に行ってくる」
「だが……」
「判っている。無駄骨になる確立が高いっていうんだろ?いいじゃないか、何かせずにいられないんだろう。気持ちは判る。俺の親も苦しみ抜いた末に死んだからな…」

イルファーンの両親は若くして死んだ。両親とも病だった。
医師がいない島だ。重い病にかかれば死ぬしかない。イルファーンの両親も他の島人と同じような運命を辿ったに過ぎない。しかし、医師がいてくれたらという悔恨は今もイルファーンの心に深く根付いている。だからこそ、ノエ爺を止めようと思えなかった。
噂によると、領主から派遣されたという医師は銀の城で働くというエリート医師だという。そんな立派な医師が海賊や元罪人の島の住人を診てくれるとは到底思えない。
それでも何かせずにはいられない気持ちも判る。だから、同行するだけしてやろうとイルファーンは思った。やれるだけのことをやって、それでも駄目だったら、何もしないよりは諦めがつくだろうと思ったからだ。

「ありがとよ、イルファーン」
「あぁ。俺はリオデ島までついていくだけだ」
「それでもありがてえ。腰が痛えから、船を動かすのも難儀でな」

ノエ爺も高齢だ。妻のために必死になっているが、本当はノエ爺自身、医師にかからねばならない身なのだ。
元罪人の島であるゼーター島は、ポツンと離れている。ここから一番近いリオデ島でも半日はかかってしまう。皆がノエ爺を止めようとしていたのは、距離も理由の一つだ。老い衰えた老人一人で行ける距離ではないのだ。

「イルファーン、アンタがついていくなら大丈夫だろうが、気をつけろよ」

止めるのを諦めたのだろう。一人の島人がそう声を掛けてくる。

「ありがとう、行ってくる」

イルファーンは頷き、船を結びつけていたロープを解いた。


++++++++++


それは、ロディールが8つめの島まで来ていたときのことであった。
ミスティア近海に浮かぶ島々は、比較的距離が近く、数時間ほどでたどり着ける島ばかりだ。
そのため、近くの島の患者で、早く医師にかかりたい者は、ロディールがいる島まで来てくれていた。
その中に、見覚えある入れ墨の患者が含まれていたのである。

(あの入れ墨、見覚えがあるな……どこで見たんだったか…)

その日、診療所として使用していた建物はただ広いだけの納屋のような建物だった。その島には診療所に使えるような建物がなかったのだ。
それでもお医者さんのためにと島人たちが納屋から荷物を取り出して、掃除をし、急遽準備してくれた場所だったので、ロディールも文句を言わずに使わせてもらった。
ワラで作ったゴザを敷き、板の切れっ端で作ったテーブルにカルテを置いて診察をしていたロディールは、順番に治療をしつつ、記憶を辿った。
入れ墨をした男は頭の白い初老の男であった。
他の患者たちはゴザの上に座り、顔見知り達と小声で喋りつつ、順番を待っているが、その老人だけはやや遠巻きにされている。
そうして他の患者たちの治療がすべて終わった頃、最後に残ったその老人がロディールの前へやってきた。すでに日は暮れかけていた。
緊張した様子の老人に、ロディールは自分から声を掛けた。

「思い出した。あんた、ディガンダの人だろう?ロウタスと言ったか、あの患者は元気にしているか?」
「アンタ、ロウタスを知っているのか!?」

驚く患者にロディールはあっさりと頷いた。

「以前、二度ほど治療したことがある。彼はとても無茶をする男だったので心配でな」
「……ロウタスを治療してくれただと?」
「そうだが?よし、いいぞ。あとはこの薬を三日ほど眠る前に飲め。その間はアルコール禁止だぞ」
「……ロウタスを……。なぁ、あんた……うちの島に来てくれないか?……ばあさんの具合が悪いんだ」
「どの島だ?」
「ゼーター島だ。やはり無理か?だが、嫁の具合が悪いんだ。とても船に乗れる状態じゃないんだ、頼む」
「あぁ、あんた、どくろの島の人か。それはこの島で間違いないか?」

ロディールは荷物の中から地図を取り出し、男へ見せた。

「そうだ。ここからは少し距離がある。ゼーター島だけは他の島から離れているんだ」
「元流刑の島らしいな。それで他の島々から、この島だけが離れているんだな。ふむ……距離があるな。どれぐらいかかるんだ?」
「風次第だが、半日はかかる」
「半日か。さすがに小舟では行く気になれないな。俺は内陸の出で、船には慣れていないんだ。しっかりした船で迎えに来てくれるなら行きたい」
「来てくれるのか!?罪人の島だぞ!アンタが罰せられないか?」
「心配無用だ。ただ、俺にも予定がある。すまないが、予定が組まれているのでアンタの島に行くのは数日後になるだろう。それでもいいのなら、最後の島であるリンジャ島へ迎えに来てくれ」
「来てもらえるのはありがたい。島には病の人がいるんだが、医者は来てくれないだろうと諦めていたんだ。ありがとう!!」

幾度も頭を下げる老人にロディールは苦笑しつつ頷いた。


++++++++++


それから数日後、ロディールは予定どおり、島々を巡り終え、船を待った。

「先生、ホントにゼーター島に行くんですか?」
「行くが?」
「あの島は、罪人の島ですよ。入れ墨をした人も多くて。もちろんそうでない人も多いけども、ご領主様にも見捨てられた島なんですよ」

どの医者もあの島の人だけは診ない。入れ墨をした男はもってのほかだ、と言うリンジャ島の男。
ロディールは、ゼーター島から来た初老の男が何故驚いていたかを知り、そういった事情だったのか、と思った。
入れ墨をした男は診ないという。理由は海賊だからだ。
しかし、診る医者もいる。現にミーディア公立診療所のスルペル師は、初対面の時、ロウタスを助けようとしていた。すべての医師が海賊を見捨てるわけではないのだ。
ロディールはどう言えば相手を納得させることができるだろうかと思いつつ、口を開いた。

「俺の名は『ロディール・ローグ・ド・ミスティア』という」
「!!」
「ミスティア公は俺の義兄だ。ミスティア公アルドーはゼーター島のどくろを外すと言っていた。あいつは民を見捨てたりはしない。俺はそう信じる。東の海はミスティアの海。海に住まう民はミスティアの民だ」