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◆青海のギランガ(8)

翌日、ロディールはようやく、目的のギランガ公立診療所にたどり着いた。
受付で、銀の城から来たと伝えると微妙な顔をされ、あちらの席でお待ちください、と言われた。
教えられた場所へ行くと、同世代の青年たちが数人ほど集まっていた。それぞれ緊張した表情で椅子に座っている。姿からして、どうも患者ではなさそうな雰囲気だ。

「お待たせいたしました。どうぞ」

数人の青年たちと案内された部屋には初老の男と中年の女性、同じく中年の男がいた。

「まず出身と名を教えてください。そしてこの診療所を受けた動機をハッキリと言ってください」

(面接か!!)

ロディールはそこでやっと誤解に気付いた。

「すみません、誤解があったようです。俺は面接を受けにきたわけではありません。銀の城から派遣された薬師です」
「銀の城から?」
「現在、流行っている寄生虫が原因となる病についての調査をミスティア公から命じられたため、まいりました。責任者の方、もしくは院長はどちらに?」
「まぁ、これは失礼致しました。ご案内いたします、こちらへ…」

ずいぶん若い方ですね、と言われ、ロディールは苦笑した。
ハッキリと来た理由を伝えなかったロディールも悪いが、誤解された原因は年齢にあるだろうからだ。

「俺は薬師です」

ロディールの返答にプライドを感じ取ったのだろう。
女性は謝罪するように軽く頭を下げた。


++++++++++


ロディールが診療所で一仕事終えて、頭領宅へ戻ると、ジャンニが居間のソファーに座っていた。同じソファーには猫が三匹並んでいる。
頭領宅は、国内最大の港町と言われるギランガのトップらしく、大きく広い屋敷だ。
しかし、ジャンニが普段使っている居間は使い込んだ釣り竿が壁にかけられていたり、魚拓が並んでいたりと、アンバランスに庶民くさいところがある。高価な品と庶民の品が当たり前のように並んでいるのだ。
ジャンニは手に小瓶を持っていた。小さいながらも上品な作りをした高価そうな瓶だ。

「どうした?」
「……俺、魚臭いか?」
「は?そんなことはないぞ」
「海が好きなんだ。ギランガの頭領は海を知らねばなれないと言われてきた。物心ついたころには海に出ていたんだ。海に出るのを止める気はない」
「そうか」
「けど、レナートはいつもいい匂いがするんだ」

小瓶はどうやら香水らしい。

「魚臭いと言われたのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……こういう香りがした方が、大人っぽくていいだろ」

ロディールは、レナートがジャンニのことを、必死に背伸びしている、大人びて見えるように頑張っていると言っていたことを思い出した。
なるほど、日常的にそういったことを考えているらしい。
なかなかの努力家だな、とロディールが密かに感心していると、ジャンニは勢いよく、小瓶を手の平にぶちまけた。
隣にいた猫にまで飛沫が飛び散っている。

「待て、何をする気だ!」
「香水だぞ。つけるに決まっているだろう」
「付け方が間違っているぞ。お前は若いんだから、1、2滴から試さないと、悪臭になるぞ!体温が高ければ香りが広がりやすくてきつく感じられるんだ」
「え、そうなのか?」

ロディールの実家では時々依頼されて香水を作っていた。そのために香水の知識があるのだ。

「ともかく風呂でよく洗い流してこい」
「判った」

気の毒なのは巻き添えを食らった猫だ。
キツイ匂いに驚いたのか、一目散に部屋を飛び出していった猫を追いつつ、苦笑するロディールであった。


++++++++++


その夜、仕事から戻ってきたレナートは一部始終を聞いて、大笑いした。
笑われたジャンニは怒って、一緒に風呂に入った猫を抱いたまま、自室に閉じこもってしまった。

「この香水は私が使っているものの対となるタイプのものだよ」
「へえ…」
「肌につけたら、少なからず香りが変化してしまうというのに、よく気付いたものだ」

レナートは嬉しそうに小瓶を見つめている。

「ところで寄生虫の一件はどうだった?」
「酷いな。ミーディアの都よりも酷い。医師を増やさねば対応できないだろう」
「やはりそうか…ミスティア公には?」
「戻り次第、伝える予定だ。寄生虫が何を媒介にして増えているのか、その感染ルートも調べねばならない。人手が足りないな」
「ふむ。我々に出来ることがあれば伝えてくれ。早急に対応しよう」
「ありがとう。海に近い方が酷いから魚介類かもしれないな」
「ふむ。そうなると島人たちも心配だな」
「島?海軍島のことか?」
「あの島は軍人の島だ。そのほかに一般人が住まう島が幾つかあるんだ。東の海はギランガの海。ギランガの海はミスティアの海。近海の島々はすべてミスティア領だ」
「島との伝達ルートは確立されているのか?」
「近隣には人口の多い島はなくてな。大抵、買い出しなどでギランガへやってくるから、その際、ある程度の情報は仕入れているはずだが……医師は少ないため、医師がいない島も珍しくはない」
「田舎町ということか」
「そうだ」

是非そういった田舎に住みたいものだ、とロディールが少し胸を高鳴らせていると、後ろから憮然とした声が響いてきた。

「そういった大切な話は、頭領である俺と一緒にしてくれ」

ジャンニが部屋から出てきたらしい。
怒っていますという様を装っているようだが、大きな猫を抱きかかえた姿では、拗ねた子供にしか見えない。
猫はというと迷惑顔で抱かれている。昼間から香水をかけられ、それを落とすために洗われ、なかなか不幸な猫である。

「島にも伝達をせねばならない。早急に」

真顔で言うジャンニに対し、レナートはにっこりと笑顔で答えた。

「あぁ判っているさ。だから良い子で寝てろ」
「馬鹿にするな、頭領は俺だ!!」

喧嘩する様子は夫婦というより、兄と弟だ。
賑やかな夫婦ゲンカを猫と一緒に眺めつつ、早く可愛いアルディンの元に帰りたいと思うロディールであった。