結局、その日は時間的に間に合わず、診療所へ行くことはできなかった。
仕方なく、頭領家に戻ると、若い頭領はやや年上の男と向き合い、カードをしていた。
卓上にはカードの他、酒とつまみが並んでいる。
「戻ったか、診療所はどうだった?」
「道に迷ってたどり着けなかった」
「ええっ、地図を描いてやっただろ!?」
「猫が目印の地図じゃたどり着けなかったぞ!」
「ジャンニに地図を描いてもらったのか、それは気の毒だったな。
こいつは方向音痴なんだ。こいつが描いた地図でたどり着けるはずがない」
やや年上の男はストレートの綺麗な金髪を背の中程まで伸ばした長身の男であった。年齢は二十代前半だろう。
女性のように整った容貌の男は、ほらよ、と言いながらカードを卓上に放った。
「ストレート。私の勝ちだな。夜の主導権は貰ったぞ」
「ゲッ、またかよ!!」
「いいかげん、諦めるんだな。お前は賭け事には向いていない」
男はジャンニの婚約者でミスティア海軍の騎士レナートと名乗った。
近い将来、結婚して、ジャンニと共にこの港町を統治していく予定であるという。
「魚釣りは下手なくせに!!」
「ハッ、釣れなくても貢いでくれる者は多いから問題はない」
魚を貢ぐ奴らがいるのか、とロディールは妙なところで感心した。さすがは港町だ。
「ところでディガンダって知っているか?」
「むろん。今、港に来ているようだな」
レナートはあっさりと答えた。
「気付いていたのか?」
「むろん。目と鼻の先だ。さすがにギランガに入られたら気付く」
「討伐しなくていいのか?」
「あからさまに悪さをされたら討伐するが、大人しく三日以内に出航してくれるなら見逃すというのが暗黙の了解でな」
どういう意味だと視線を向けると、カードの結果に顰め面であったジャンニが酒をグラスに注ぎつつ答えた。
「ここは海軍島が目と鼻の先だ。さすがの海賊もこの街では悪さをしない。
補給と遊びのためにパーッと金を使ってくれる海賊は、港町にとってはいい客なんだ。
だから短期間ならば見逃すという暗黙の約束がある」
互いの利益のために共存しているのさ、とジャンニ。
悪さが酷すぎる時は討伐に出るがな、とレナート。
「害虫というのは退治してもきりがない。それよりはある程度、共存した方が良い。海賊側もギランガ近海では悪さを控えてくれるから、漁師たちも安心して漁ができるんだ」
「なるほど」
「ただし、国王直属の海軍は同じ考えじゃない。海賊は悪者だ、の一点張りだ。頭が固い連中で困っている」
「昔っから、国の海軍とは馬が合わないんだ。国王直属だからって、権威を笠に着る、プライドばかり高い連中で厄介なんだ」
海軍には国王直属の海軍と、ミスティア家の海軍があるという。
この二つの海軍は昔から不仲なのだそうだ。
そこへ犬サイズの猫が三匹やってきた。
グナーンと甘えるように鳴きながらジャンニの足下にじゃれついている。
「カカ、キキ、クク、風呂に行くぞ」
猫をまとわりつかせながら去っていったジャンニを見送り、レナートはククッと笑った。
「全く……可愛いねえ。そう思わないか?」
「さぁ……俺にはよくわからん」
「先代が急死したからな。代を継いでまだ半年だ。必死に大人ぶって背伸びしているようだが、まだ十代だ。出来ることには限りがある。器は大きいが、まだまだ子供だ」
「それでアンタが補佐役をしているのか」
気付いたか、とレナートは目を細めて笑った。
「私はミスティア公の義弟でね」
「奇遇だな、俺も義弟だ」
「あぁ、ジャンニに聞いた。ずいぶん気に入られたな」
「そのようだ」
「私は、姉がミスティア妃なんだ」
「アンタ、アルディンの叔父君なのか」
「そうだ」
ミスティア公にジャンニの補佐をするよう命じられ、この婚姻が決まった、とレナート。
「最初は面倒だと思っていたが、実際に同居してみると、もう可愛くてな……必死に背伸びしているところとか、優秀かと思えば未熟なところとか、落ち着き払っているように見せかけて、中身は焦っているところとか、あのアンバランスさが可愛いくて…」
ロディールは、どうやらノロケられているようだと気付いた。
アルドーと一緒にいるときは、いつも我が子自慢を聞かされていたが、行く先々でノロケを聞かされる運命なのだろうか。
「ちょっと俺にも酒をくれ」
話はまだまだ続きそうだ。こうなると飲まずにはやってられない。
「いいぞ。この酒もジャンニが造ってくれたんだが、その理由がまた可愛くてな。自分で飲むためだと言っていたが、あいつはまだそれほど飲めなくて、酒もあまり好きじゃなくてな……」
ノロケは当分続きそうな雰囲気だ。
早くジャンニが戻ってきてくれないだろうかと思いつつ、酒を呷るロディールであった。