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◆邪神ゲイエルウッドの贄(12)


攻めてきたガルバドス軍は『大樹と百合の紋章』と『火蜥蜴の紋章』を掲げた軍だという。

「ギルフォード黒将軍とアスター黒将軍だという噂だ。またアスター将軍か」

上官のコーザは顰め面だ。前回の敗戦が心に残っているのだろう。

「うちの部隊とは相性が悪いんだよな。だが頑張って雪辱をはらそうぜ、スティール」
「え、ええと、はい……」

特に雪辱を晴らしたいと思ってはいないのだが、ここで「いいえ」と言えるわけもなく、スティールはぎくしゃくと頷いた。
戦力的には五分五分だという。
故に早期決着を目指し、ある程度、敵に打撃を与えて退かせようという作戦だと聞いている。
スティールが所属しているコーザの大隊は精鋭部隊のため、第一軍の中でも中央付近の重要な場所に配置された。
戦いが始まると共に大きな動揺が軍を走った。

「馬鹿な!シグルドとアグレスがいるぞ!」
「アスター軍に青竜の使い手レンディの側近がいる!レンディも来ているんじゃないか!?」
「話が違う!青竜ディンガがいるのであれば早急に作戦を変更せねば、青竜の毒霧で大打撃を受けるぞ!!」

近年、シグルドとアグレスは必ずレンディと出陣している。今ではレンディの側近中の側近として名高い将なのだ。
混乱はどんどん広がっていき、自然と各隊の足並みが乱れていく。
そしてその隙を見逃すガルバドス軍ではない。徐々に状況は劣勢となりつつあった。
己の隊を作戦通りに動かすことで精一杯のスティールはおきている状況がよく判らなかった。
しかし、小竜の方は冷静である。彼は己の使い手を守るため、冷静に戦場を見ていた。
小竜は人間より遙かに視力がよく、感知能力が高い。

『上級印が動いている。炎と風。青いコート。こいつらがシグルドとアグレスとやらか』

近くではない、しかし離れすぎてもいない位置にウェリスタ軍へ打撃を与えている強い二人組がいる。片方は風、片方は炎を操る二人組だ。幸い、距離がある。まだ対峙することはないだろう。

『お、あいつらが来ているのか…』

二人組へ反撃を始めた別なる力を感じ、小竜はそちらへの警戒を緩めた。強い炎と土の力を感じる。シグルドとアグレスに勝るのではないかと思える大きな力だ。
そのとき、ワッと近場で声が上がった。

「敵の本隊が来るぞ!!」
「崩されるな!!ここが崩されれば軍が分断されるぞ!!」

周囲で声が上がる中、スティールの近くを青い影が駆け抜けた。青将軍だ。
スティールが青将軍だと気づいたときには、近場の数人がまとめて吹き飛ばされていた。それも素手でだ。驚くほどのパワーを見せた人物はそのパワーに似合わず、中背で痩せている。
更に彼は、襲ってきた数人をただの一蹴りで吹き飛ばした。
中には甲冑を着けた兵もいたが、まるで子供相手のように軽々と数メートル以上も蹴り飛ばされている。通常では考えられないほどのパワーだ。

(強い!)

どうにかせねばと印を発動しかけたとき、偶然、目に入ってきた光景に、スティールはゾッと背を振るわせた。

(黒将軍!!)

青将軍のやや先に、黒い男の姿があった。
ガルバドスで黒を身につけられるのは最上位のみ。誰であろうと黒という色は身につけない。最上位の将にはばかり、身につけないのだ。
黒のロングコートの左半身には彼の紋章である火蜥蜴が這っている。火蜥蜴がまとう炎が赤い花吹雪のように脇の裾から背にかけて色鮮やかに広がっている。長身なだけに布地が多いその黒衣はマントのようにも見え、男によく似合っている。
男は向かってきた騎士を手にした長棒であっさりとなぎ倒し、返す動きでその隣にいた騎士もはじき飛ばした。
別段、ずば抜けた強さは感じない。しかし、全く無駄のない動きで襲いかかってくる騎士のすべてを一撃で倒している。その側にいる赤将軍は黒将軍をサポートするように弓矢を正確に射っている。

(綺麗だ…)

極めた動きだ。一切無駄がない。
スティールは無駄のない戦いぶりというのを初めて見た。
棒術の黒将軍と弓使いの赤将軍はそれぞれにその武術を極めているのだろう。素早く冷静に襲ってくる敵を倒している。
一切の無駄がない動きというのは美しい。二人の無駄のない完璧な動きは、舞のように美しくスティールを魅了した。
しかし、見惚れてはいられない。やられているのは味方の側なのだ。

「崩されるな!!分断されるぞ!!」
「第二中隊、聞こえるか!?持ちこたえろ!!踏ん張れ!!」
「陣が崩壊するぞ!!耐えろ!!」

あらゆる声が飛び交う中、スティールは視界の先に入った光景に目を見張った。

「先輩たちがっ!!」

黒将軍の射程範囲内に見覚えある二人を見つけ、スティールはゾッとした。
黒将軍の前方にカイザードとラグディスの姿がある。

「スティール!!行くな!!相手は黒だぞ!!」

カイザードの元へ飛び出そうとするスティールを慌てて止めたのは副官のオルナンだ。ベテラン騎士である彼のサポートのおかげで隊を動かしていると言ってもいい。
しかしスティールは止まらなかった。ここで止まったらカイザードを見捨てることになる。どれほどカイザードが腕のいい騎士でもまだ新人と言っていい年齢なのだ。

敵の将はラグディスが放った風の刃を己の印で相殺し、飛びかかってこようとしたカイザードをリーチの長い棒で足下の地面を狙い、威嚇するように止めた。
続くラグディスからの攻撃は地中から飛び出してきた地神の手が防いだ。近くに地の印使いがいるのだろう。
直撃こそ避けたラグディスだが、体勢を崩して倒れ込む。その隙を将は逃さなかった。長棒で大きく吹き飛ばす。
その間にカイザードが炎球を放った。しかしそれは体を前に倒すように避けられた。驚くべき事に、体勢を崩すような避け方でありながら、敵将はそのまま地面に片手を付きながら、大きく足を振り回し、カイザードを蹴り飛ばした。相当に体が柔らかく、体術に長けているのだろう。
蹴り飛ばした先には敵の兵が待ち受けていた。大きく振り上げられた地神の手がカイザードを掴んで、地面へ引きずり込もうとする。

「先輩!!」

スティールは、敵兵へ向けて、威嚇するように複数の炎球を投げた。
敵兵へ向かった複数の球は地の防御陣で防がれる。しかし、敵の術を解くには十分だったようだ。地神の手が解除される。
その様子を目に留めた敵の将が振り返る。静かな視線がスティールへ向けられ、絡み合った。
肩の小竜に気づいたのか、敵将は目を細めた。

「……紫色のトカゲ?……紫竜か…?」

(先輩……、どうか無事で!!)

倒れているカイザードとラグディスの身が心配だ。胸が騒ぐ。
しかし、今は目の前の敵に集中せねば殺されるだろう。

(火蜥蜴の紋章……ガルバドス黒将軍アスター…)

向こうも会ったことに驚いているようだが、驚いているのはこちらも同様だ。まさか戦場でこうして戦うことになるとは思わなかった相手だ。
しかし、彼はシグルドとアグレスが作り出したこちらの動揺を見逃さず、チャンスをものにしてしっかり攻め込んできた。
シグルドとアグレスは彼の麾下にいた。あの二人を扱えるだけの能力があるのだ。
男は最初の動揺をすぐに消し、無表情で身構えた。
向き合えばかなりの長身だ。無表情の相手は静かな威圧感を感じさせる。
武器は長棒。これは将軍職としては珍しい。
軍には様々な武器を持つ者がいるが、殺傷力の低い打撃武器を選ぶ者は少ない。一撃で殺せなければ、やりかえされる可能性があるからだ。そのため、大抵の者は武器に刃物を選ぶ。もっともポピュラーで殺傷力がある武器だからだ。

(だが彼は黒将軍だ…)

長棒という武器で将軍職にまで登りつめた人物。つまりそれだけ優れた腕を持っているということだ。
同じことを見抜いたのか、小竜が相手を見据えたまま、口を開く。

「接近戦はダメだな。遠距離戦。それもかなり離れて戦え」
「かなり?」
「あの武器はかなりのリーチがある。その上、あの長身だ。通常の倍以上の間合いがあるぞ。普通の剣じゃ相手にならん。
見たところ、上級印は感じられない。ということは、体術がずば抜けているのだろう。
絶対に近づくな。十分間合いを取って戦え。でなければ一気に間合いを詰められて終わりだ。油断すればやられるぞ」
「それって…」

遠距離限定となると大技の印ということになる。
大技はそれだけ発動に時間がかかる。
しかし、時間をかけてしまえば、大きなリーチを持つ相手に間合いをつめられ、やられてしまうだろう。

その躊躇いを読まれたのか、ハッと気づいた時には瞬時に間合いを詰められていた。

「チッ、早い!!」

ドゥルーガが舌打ちする。

(しまった!!)

スティールは体術が得意ではない。接近戦は苦手なのだ。
やられると思った瞬間、バチッと火花が散る。電撃による防御。ドゥルーガだ。
しかし、吹き飛ばされたのはドゥルーガの方だった。電撃をものともせずに地面に叩き付けられる。

「ドゥルーガ!!…うぁっっ!!」