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◆邪神ゲイエルウッドの贄(10)


スティールが立ち去ると、カイザードは周囲を見回し、建物と建物の間の狭い路地に走り、人気がないことを確認して座り込んだ。

(くそっ…お前宛の花束なんだよ…!)

結局、共に食事をした日以来、スティールとは何も出来なかった。
隊さえ違い、姿を見れぬ日も珍しくなく、口実を作って会おうにもその口実さえ思いつかなかった。当然、会話さえない日がずっと続いている。
そうしてカイザードはイベントごとさえ、いつもスティールが誘ってくれていたことに気づいた。控えめながらもポイントはしっかり抑えている後輩は、そういったことを欠かすことがなかったのだ。先輩としてリードしていたつもりでいながら、実際はいつもリードされていたことにカイザードはやっと気づくことができた。
友人も多くなく、恋愛ごとに不器用なカイザードは、別れてからも自分から動くということができないでいた。
そしてそんな親友に気づいていたのだろう。ラグディスが聖アリアドナの日に花束を渡したらどうだ、と提案してきたのだ。

『感謝の気持ちって事で渡せばいい。聖アリアドナの日はそういった理由で渡されることも多いんだからおかしくはないだろう?』

自分もコーザに作るから一緒に練習しようと提案され、カイザードは悩んだ。花束を渡すことで本心がバレるのではないかと思ったのだ。
しかし、ラグディスはそれでもいいだろうと言った。

『何も行動しないで現状が変わるわけがない。せめて一年に一度の日ぐらい花を贈っておけ。これを逃せば次はいつになるか判らないぞ』

さんざん悩みながらも誕生日プレゼントすら渡せなかったカイザードを知るラグディスにそう言われ、カイザードは決意した。
練習を始めると嬉しくなった。スティールのためということが心浮き立つのだ。
今はスティールに何も出来ない。だからこそ久々に彼のために何かできるということがとても楽しかった。
何日もかけて練習し、どの花を使うかも熟考して決めた。
会って渡すときの台詞だって、不自然にならぬよう考えに考えて決めていたのだ。
しかしスティールの反応は明らかに自分を対象として考えていないものだった。
彼はカイザードから花束をもらいたいと思っていないのだ。
このことが本来、気の強いカイザードを打ちのめした。

(やっと渡せると思ったのに)

聖アリアドナの日は年一度の祭りだ。

幸福、勝利、長寿、富、敬愛。

スティールを幸せを思って選んだ花の持つ言葉だ。
どんな反応であれ、受け取ってはもらえるだろうと思っていた自分の愚かしさにカイザードは落ち込んだ。いつだって自分はスティールに対して考えが甘いのだ。後輩の優しさや察しの良さにつけ込めると思っている部分が心のどこかにあるからなのだろう。
それでも花だけは渡したかった。別れた今、自分がスティールにやれることはほとんどない。何かしら口実がないとできない今、聖アリアドナの日は数少ない自然な口実の一つだったのだ。
こみ上げてくる涙が抑えきれず、カイザードは必死に声をかみ殺した。
こんなことで泣きたくない。弱い己が嫌だ。
それでも声を止めることはできず、カイザードは座り込んだまま、動けなかった。


++++++++++


(フェルナンには白にしよう。ラーディンは…うーん青もいいけどこっちの黄色も綺麗だ。あ、こっちの赤は先輩っぽくて綺麗だな)

花屋は予想通り賑やかだった。
スティールは多くの人の波に揉まれつつ、素早く花を選んだ。

(よし、気合い入れて作るぞ!)

そして時間がなかったため、花屋で買った花をその場でラッピングし、店員に腕前を驚かれつつ店を出たスティールはそのとき初めて、自分が花束を三つ作ったことに気づいた。
今まで三つ作っていたので、違和感を覚えなかったのである。

「あ……どーしよう」
「?」
「先輩の分まで作っちゃった」
「まだその辺にいるようだぞ」
「先輩、もらってくれるかなぁ」
「喜ぶだろうよ」

カイザードの気持ちを知る小竜は深く考えずにさらっと告げた。
小竜の言葉にスティールは喜んだ。好きな相手には花を渡したい。当然の心理だ。スティールはこっちだろうと思う方向へ歩き出した。
そして、ふと、疑問が浮かぶ。

「あのさ、ドゥルーガ」
「ん?」
「俺、何で先輩がいる方向が判るんだろう」
「通じ合った相印の相手はそういうものだ」
「でも違ったのに」
「そこら辺が俺にはよくわからん」

結局、小竜にもよく判らないらしいとスティールは思った。本当によく判らないことだらけだ。仕事にしろ、こういうプライベートのことにしろ。
相印の力で何となくこちらだろうと思う方角へ歩いていく。
そうしてたどり着いたのは路地であった。
騎士団の寮へ向かう方角からは少しばかりずれた路地。
赤い煉瓦造りの建物と建物の間に、顔を伏せてカイザードは座り込んでいた。
近づくにつれ、かすかに漏れ聞こえる嗚咽にスティールは息を飲んだ。

「先輩…?」

ハッと息を飲む気配がする。
スティールはやや足早に駆け寄った。

「先輩、どうしたんですか?誰が泣かせたんですか?」
「…ス…ティール……」
「大丈夫ですか?何があったんですか?」

答えられぬカイザードにスティールは早口で問うた。
気が強く、プライドが高いカイザードは滅多に涙を見せぬ人物だ。
そのカイザードが泣いている。泣くだけの事情がカイザードにはあるはずなのだ。
大切な相手を泣かせた相手が許せない。スティールは珍しく怒りを見せて問うた。

「先輩…!」
「…だ、いじょう…ぶだ」

カイザードはスティールの怒りに気圧されたようにとぎれとぎれの声で答えた。

「大丈夫だ…俺が…弱い、だけ、だ。自分で何とかできるから…」
「先輩……でも…」
「大丈夫だ」
「暴行とか受けたわけではないんですね?」
「あぁ」

頷きながら立ち上がったカイザードは勢いよく涙をぬぐった。
赤く腫れてはいるがまっすぐな眼差しで見つめられ、スティールは軽く息を飲んだ。
泣くほどのショックを受けつつも立ち直ったらしいカイザードの眼差しは強い。まっすぐな眼差しは彼の秘めた強い意志を感じさせる。

「花束を作ったらもらってくれるか?」
「え?」
「壊れた夢を追うことは愚かだと思うか?」
「……」
「今は無理でも絶対諦めない。傷だらけになっても掴んでやる」
「先輩?」
「命を賭けるだけの価値があると信じる」

一体何を言っているのか。
しかし強い決意を込めた、力ある声にスティールは黙り込んだ。
理由は判らない。
けれど、なんだか危険なことのような気がして、スティールの胸は騒いだ。
傷だらけになっても、とか、命を賭けるだけの価値とはどういう意味なのか。
この人は一体何をしようとしているのだろうか。
理由を問おうとしたスティールは『花束を作ったらもらってくれるか?』という最初の問いに答えてないことに気づかなかった。
そのため、拒絶されたと受け取ったカイザードが表情を曇らせたことに気づけなかった。

「先輩、無茶はしないでください。何を考えているのか判りませんが先輩が危険な目に遭うのは嫌です」

カイザードは苦笑した。
無茶だとは判っている。まだ経験の浅い若き騎士である己が敵将の首を取るということがいかに無茶であるか、自覚しているつもりだ。
それでも目の前の後輩と共にいるためにはやらないわけにはいかない。自分にはこれしか道が残されていないのだから。
スティールの側にいたい。そのために出来ることは今のカイザードには数えるほどしか残されていないのだ。

「あ、そうだ、これ」

スティールは花束のことを思い出し、カイザードに差し出した。
カイザードは差し出された花束に息を飲んだ。
今年は貰えぬだろうと諦めていた花束。それをスティールがくれたのだ。
黄色とオレンジと赤という華やかな色合いの花束は見事な出来で、後輩の腕の良さを感じさせる。
受け取りを拒否しつつも花束をくれたその矛盾さに戸惑いつつもカイザードは嬉しかった。
別れて以来、ろくに一緒にいられなかった。声すら聞けぬ日だって珍しくない。不運なときは姿すら見れない。そんな日が続いている。
こうして向かい合っているだけで心浮き立つのに、不意打ちの贈り物だ。思わず声が詰まる。

「あ…りがとな…」
「似合いますね、作ったかいがありました」

スティールも嬉しそうだ。
その笑顔に心が浮き立つ。

(やっぱり好きだな)

こうして向かい合っていると再度、自分が相手を好きなことが思い知らされる。
これという理由はない。容姿が好きとか性格が好きとか、そういう具体的な理由は自分の中のどこを探してもでてこない。
けれども、ただ好きなのだ。側にいれないとつらいし、会えぬ日が続くと落ち込みが深くなる。こんなことは恋人であった頃は気づけなかった。
別れてから気づいたことは多い。別れてから、わがままだったのだ、と気づいた。
ああしろ、こうしろ、という命令をスティールはいつも従順な後輩らしく聞いてくれた。
どうにも受け入れられないことはきっちり断ってくるスティールだったので、カイザードも遠慮なく言いやすかったのだ。
元々、気弱な人物とは相性が悪いカイザードである。けれどスティールは大人しそうな見目とは違い、気弱ではなかった。言うべき時は言う、そんな性格だった。そんなところも気の強いカイザードとは相性がよかった。
そしてスティールは気のつく人物で、カイザードにもいろいろと気を使ってくれていた。
けれど一緒にいるときはカイザードは気づけなかった。
失って気づく。よくあるパターンだ。
後悔しても遅い。判っている。けれども今カイザードは後悔している。
スティールに何もしてやれず、礼すらも言えなかった当時の自分を後悔している。

「それじゃ、失礼しますね」

笑顔で去っていくスティールの手には残り二つの花束がある。そのことでどこに行くのか察せられる。

「スティール!……ありがとな」

花は渡せなかった。
けれど、別れ際に再度、今度ははっきりと礼を告げたカイザードにスティールは驚いたように振り返り、嬉しげに笑んでくれた。
その笑みがさきほどまでの悲しみを吹き飛ばしてくれた。