文字サイズ

◆邪神ゲイエルウッドの贄(9)


春先に行われる『聖アリアドナの祭り』は花の祭りだ。好意を持つ相手に手作りの小さなブーケを贈る祭りなのだ。
手先が器用なスティールはいつも友人たちに頼まれて大量の花束を作っていた。
当然今年もそうなるだろうと思っていたスティールは年上の副官オルナンにあっさりと否定された。

「花束なぞ作っているヒマがあるわけないだろ」

オルナンは最近不機嫌だ。他の部下からの情報によると恋人とモメているらしい。
『こんな甘い雰囲気の時期に喧嘩するなんて勿体ない』とは情報提供者である補給担当の部下カナックの台詞だ。
カナックは花をやる相手も貰う相手も複数人いるらしい。オルナンとは正反対に浮かれきっている。
どうせ執務室に缶詰になるから、関係者以外は入って来れないだろう。安心しろ、とオルナンに言われ、スティールは複雑な気持ちになった。
いつも疲れるほど作っていたので作らなくていいのはありがたい。しかしその代わりに執務室に缶詰状態で仕事というのは喜べない。
一癖も二癖もありそうなニヒルな雰囲気を持つオルナンは、書類片手にスティールにニヤリと笑んだ。

「心配せずとも業務が終了すれば解放してやる。それからゆっくり花束は作るんだな」

『業務が終了すれば』の部分を強調して言われ、スティールは仕事が終わらなければ解放されないことを悟った。当然と言えば当然だが、なかなか死活問題だ。あまりにも遅くなれば花束を作るための花すら入手できなくなるかもしれない。

「が、頑張ります」

さすがに必死になるスティールであった。


++++++++++


結局、スティールが解放されたのは定時から一時間ほど経った後のことであった。
スティールは財布片手に街へ飛び出した。もちろん、目指すのは花屋だ。

「花、売り切れてなきゃいいけどなぁ」

去年までは友人たちに頼まれた花束作りで余った花が大量に手元に残っていたので、材料に困ることはなかった。
しかし今年は出世したばかりにそうもいかなくなった。スティールにとってはとんだ計算違いである。

「花ならばそこら辺に大量に咲いているだろうが」

どこに?と視線を巡らせたスティールは視界の先に入れた花にがっくり肩を落とした。
確かに花だ。綺麗に咲いている。花束にもできそうだ。
しかし…。

「それ、花壇だからドゥルーガ。摘んだら怒られるから!」

本気か冗談か判らぬ小竜につっこみを入れつつ、再び走り出そうとしたスティールは右折直後に人にぶつかり、慌てて謝罪した。

「すみません、よく見てなくて!大丈夫ですか?」
「スティール…」
「先輩」

聞き覚えある声に顔を上げると相手はよく見知った相手であった。
隊が変わったために毎日会うということはなくなったが、元運命の相手だ。
カイザードの手には花があった。
花束のように綺麗にラッピングはされておらず、根本だけをバラけないように紐で軽く結ってある。いわゆる花束を作る前の状態だ。スティールと同じように今から作るつもりで材料だけ買ってきたのだろう。

「先輩、花はまだ売り切れてませんでしたか?」

気になっていたことを問うたスティールに対し、カイザードは軽く息を飲み、頷く動作で返答した。

「よかった。間に合いそうだ。教えてくださりありがとうございました。先輩もいい花束を作れるといいですね」

花を買うことで頭がいっぱいのスティールはカイザードが花を買っていた理由を深く考えなかった。カイザードの運命の相手はバール騎士団だ。離れて暮らしている相手に花束を贈れるはずがないのだ。
一方、スティールの小手状態の小竜はカイザードが花束を作る相手を正確に見抜いていた。しかしスティール以外に興味がない小竜はそれを指摘することもなかったのである。