文字サイズ

◆黒き火蜥蜴の鎚(10)


その若き公爵コンラッドは鍛冶場までやってきた。
呼び出されなかったため、会うことはなさそうだと密かに安堵していたイーニアスの予想を裏切る行動だった。
鍛冶場は作業場だ。粉塵が舞い、高熱に満ち、すすや灰で汚れる場所。貴族にはあまりにも似合わない場所。
鍛冶師にとっては神聖な場所だが、まさかそんなところにまで大公爵がわざわざ足を運ぶとは思ってもいなかったのだ。

名を呼ばれ、姿を目にした途端、イーニアスは顔を強ばらせて固まった。
褐色の髪と黒い瞳の若き公爵は、ちらりと周囲に視線を走らせた。
周囲にはイーニアスと同じように驚愕した様子で鍛冶師たちが動きを止めている。
コンラッドの理知的な眼差しと聡明そうな雰囲気は相変わらずで、イーニアスを惹き付け、そして恐怖にも苛ませるものだった。

「久しぶりだ、我が鍛冶師よ」

私のという意味で呼ばれ、イーニアスはぎくりと顔を引きつらせた。
別れる前も所有権を主張された。それを再度主張されたのだ。

「幾本か武具を打ったらしいな。腕は落ちていないようで何よりだ。オーギュスト次兄上に殺されずに済んだかいがあったようだな。さて…そなたに問いたいことがある」
「……はい…」
「今のガルバドス黒将軍の中にそなたが武具を打った者はいるか?」
「……います」

周囲の鍛冶師から驚愕の視線が飛ぶ。
コンラッドは無表情で頷いた。

「名を申せ」
「レンディ将軍、ノース将軍。このお二方です」

今度はハッキリと驚愕の声が周囲から上がった。
公爵の護衛として付いてきていた騎士たちも驚きを見せている。

「……これは驚いた。青竜の使い手と智将の鍛冶師だったのか、そなたは」
「……はい…」
「ではその部下の武具もそなたか?」
「……ノース将軍麾下の方々は違います。レンディ将軍麾下のシグルド将軍とアグレス将軍は俺です。レンディ様に依頼され、俺が作りました」
「ではその武具の情報を貰おうか」
「…情報としての価値は薄いと思います。よく戦場に出られる方々ですので知られています」
「構わん」
「判りました」
「イーニアス。当家にお前たちを連れ戻しにガルバドスの手の者が来た。アスターという名に覚えはあるか?」
「確か…ノース様の麾下にいらっしゃる方ではなかったかと。うろ覚えですが」
「なるほど。智将の手によるものか。おかげでフリッツを奪われた」
「…フリッツ様は…元々『はぐれ』の方ですから…たまたまかもしれません」
「『はぐれ』?」
「特定の黒将軍についていない主を持たない青将軍の方々のことです」
「なるほど。では彼らの目的は『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』であるそなただったかもしれないな」
「はい…」
「…さきほど、そなたに外出を許してやってくれと嘆願してきた騎士がいた」
「!!!!」

ハッとして顔を上げたイーニアスにコンラッドは笑んだ。

「良き者がいるようだ。罰するつもりはない」
「…ありがとうございます」
「幸せに生きるがいい。今はそなたも我が民だ」

イーニアスは去っていくコンラッドの後ろ姿がみれず、無言で深く頭を下げた。
突然、他国に連れてこられた恨みや悲しみなどはとっくに完膚無きまでに壊されてしまった。そんなことも考えられぬような酷い日々を送らされた。
公爵に直訴したという友と、幸福を祈ると言ってくれたコンラッドの言葉に涙がこぼれ落ちるのが止められなかった。
遠い異国の地で生きる自分が幸せかどうか、イーニアスには判らない。
しかし、そうやって自分を思ってくれる者がいるということは確かに幸せなのだろう。
顔を上げられぬイーニアスの肩がポンと叩かれた。

「よかったな」

ゴートの声だ。

「その、悪かったよ。そんなすげえ鍛冶師だったなんて知らなかったんだ」

ついでかけられた言葉に驚いて顔を上げるとアチェロだった。
曲がった事が嫌いな彼は呆れるほどまっすぐな性格をしている。事情が判って、誤解が解けたため、イーニアスへの不快感も消えたのだろう。すぐに謝罪してくれるところが彼の性格の良さを表している。

「カミサマみてーにすげえ鍛冶師のくせ、みっともない顔してるなよ、ほら、ふけ」

顔に勢いよくタオルが放り投げられる。

「ありがとう…」

礼を言って涙を拭う。

「ウェリスタには二人しか『聖マイティスの鍛冶師(グラジ・エティスト)』がいねえからな、これで三人になったってわけだ。もう国に戻れねえだろうから、ここで生きろよ」
「……ここにいて、いいのか?」

迷惑ではないだろうか。そう思いながら問うと当たり前だと、勢いよく言われた。

「むしろ出られないならここで生きるしかねーだろ。真面目にやるやつは問題ねえよ」
「お前さんより働き者だからな。もう嫌がらせはするんじゃないぞ」
「うるせえ!……その、ほんと悪かったな」

周囲のからかう声に怒鳴り返しつつ、再度謝罪してくるアチェロにイーニアスは小さく笑って頷いた。

「ところであんた、あの騎士様と付き合ってるのか?」
「は?」
「いや、そーいうの面白いから気になるだろ」

アチェロはどうやら噂好きらしい。
興味津々で問うてくるアチェロに今度は別の意味で困惑するイーニアスであった。