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◆黒き火蜥蜴の鎚(9)


せっかく運んで積み上げた薪の山が崩される。
振り返ると同年代の青年がイーニアスを睨んでいた。

「騎士様にひいきされているからといって、いい気になるなよ!」

最近、イーニアスに名指しの注文が多いので嫉妬しているのだろう。

「何とか言ったらどうだ!?」
「……」
「フン、喋ることもできないのか。愚鈍な野郎が。とっととどけ!!」

そのまま足音荒く去っていく男を見送り、イーニアスは無言で崩された薪を直し始めた。
こんなことは珍しくない。イーニアスは同僚たちには嫌われているのだ。
唯一、一番古い鍛冶師のゴートだけは何も言わず、たまに思い出したように同僚らを制止してくれているが、その効き目はほとんどないようだ。
バール騎士団は騎士と兵士だらけのため、当然ながら鍛冶師も複数人が働いている。
騎士団による生活の保証があるため、騎士団付の鍛冶師は人気職だ。当然ながら働いている鍛冶師らも厳しい試験をくぐり抜けて合格したものたちばかりだ。
その中にイーニアスは突然入ってきた。それもディガルド公爵家から入ってきたため、周囲にはコネで入ってきたと思われている。
真実は語れないため、誰も知らない。

騎士たちは自分の武具を鍛冶師に注文する。
どの鍛冶師と指名しない者もいるが、鍛冶師たちは指名されるのを好む。指名による注文はそのまま人気に繋がるからだ。『騎士様に指名されるほど腕を認められた』ということになるからだ。
騎士たちは高収入のため、指名の時は平均よりも高めに代金を払ってくれる。武具が気に入ったらその後も顧客となってくれることが多いため、鍛冶師たちも張り切ってよき武具を作る。
イーニアスは来て早々にそんなよき客を幾人か捕まえたため、嫉妬されているのだ。
イーニアスは若いから尚更だ。若い鍛冶師は腕を舐められ、顧客を取るどころか、雑用に回されることが多いのだ。

「あまり乱暴をするな、アチェロ」

ゴートが見ていたらしい。重々しく注意している。
白髪が交じるひげ面のゴートはいかにも鍛冶師らしい、丸くて筋肉質な体をした職人肌の人物だ。彼は同僚たちによく慕われている。

鍛冶場は広く、常に10人以上が働いている。鍛冶師以外の雑用や見習いも含めたら20人以上の大所帯だ。
通常、一人前の鍛冶師になるには30歳半ば以上と言われている。その中で二十代でありながら騎士から指名を受けているイーニアスは異例だ。
様々な意味で異例のイーニアスには誰もが好感を抱いていない。

「ハッ、公爵のひいきがあるからって、あんたも甘すぎるぜ、ゴートさん!大貴族にこびるのかよ!!」
「近々、その公爵が来られるのは確実なんだぞ」
「だからなんだってんだよ!!あんた鍛冶師の誇りを忘れたのか!?」
「じゃから…」
「よせ、ゴート。アチェロ、お前も俺には関わらない方がいい」

突然口を開いたイーニアスに周囲が驚いたように顔を向ける。イーニアスは滅多に口を開かないからだ。

「ゴート、庇ってくれるのは嬉しい。だが俺には関わらない方がいい」

事情を知るゴートは黙り込み、アチェロは舌打ちした。

「言われなくてもかかわらねえよ!」

それでいいとイーニアスは頷いた。
そう、それでいいのだ。
敵国ガルバドスで名を馳せた鍛冶師などに関わってはろくなことにならない。
イーニアスはガルバドスの将軍らを顧客に持っていた。彼らの武具を担当していたこともあるのだ。その武具でこの国の人々が何人殺されたことだろう。

『君が外出できるようになったら、二人で町を回ろう。君に紹介したい美味しい店があるんだ』

よく誘いをかけてくれるよき友セシリオの笑顔が脳裏に浮かぶ。
しかし二人で外出できる日は来ないだろうと思うイーニアスは心苦しく思う。

(コンラッドが来るのか…)

聡明な公爵と名を馳せつつある青年はイーニアスにとって絶対的な存在だ。
会うことになるのだろうか。
会いたくない。だが会わねばならないのだろうとイーニアスは思った。