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■暗月の招く影(5)


とりあえず扉は大丈夫そうだということで山小屋の真ん中に丸くなる。
山小屋は暖炉とトイレがついているだけの簡単な丸太小屋であった。男が6人入ると、少々狭さを感じるが、ぎゅうぎゅうに詰め込めば最大10人ぐらいは眠ることが出来そうな広さだ。

「ずっと追ってこられているとなると面倒だな。毎回この山小屋に寝起きするというわけにもいかない」

ため息混じりにネクリスが呟き、落ちてきた深緑色の前髪を掻き上げる。

「けど命には代えられねえだろ。証は集めることができなくなるが、一週間乗り切る方だけでも全うするのも手だぞ」

ネクリスの指摘にルーガが眉を寄せつつ答える。

「昼は大丈夫なんだよね?問題はやっぱり夜か」
「食料の問題もあるしな。昼に魚を捕るのもまずいのか?」

ティアンがため息を吐き、ラーディンが現実的な問いを発する。無口なヴェルザは口を開かないが、時折頷いたりして身振りで相づちを打っている。
仲間達の視線を受けたスティールは軽く瞬きし、窓際の小竜をちらりと振り返った。

「うーん…とりあえず今夜は何とかなると思う。やばくなったらドゥルーガが教えてくれると思うし。そして夜さえ明ければ、また朝日を浴びることで身の浄化は出来ると思う。死の汚れを受けたことでアレに見つかったわけだから、浄化さえ出来れば追ってこられなくなるかもしれない」
「確信は持てないんだろ?」
「うん。確信は持てない」
「じゃあ賭けみたいなものか。命がかかっているんじゃ分の悪い賭けだな」
「で、魚は?昼に獲物を捕るのも『死の汚れ』か?」
「うーん……」

スティールは窓際の小竜を再度振り返った。

「ドゥルーガはどう思う?明日、朝日を浴びた後も追ってこられるかな?」

小竜は己の使い手からの問いに振り返った。

「身を清めた後は追ってこられないだろう」
「そうか。魚やイノシシを捕っても大丈夫かな?」
「血を流したらまた捕まるだろうな」
「うっ……それじゃ草食に徹しなきゃいけないのか。嫌だなぁ…。あのさ、暗月の招音じゃないのに何で追ってこられちゃってるんだと思う?」
「その『暗月の招音』とやらの知識もまた、正しくないからだろうな」
「え?どういう意味だい?」
「その話、誰から教わった?」
「父だよ。山の知識は全部父からだ。幼い頃、父の後をついて山を歩きながら教わったんだ」

薬師の子はそうやって直に山で草木を見分ける方法を学ぶのだ。スティールも弟のサフィールもそうやって幼い頃から山に入り、草木の見分け方と共に山の知識を学んだ。

「ふむ。完全な間違いではない。だが完全に正しくもないといったところか。口伝とはそうしたものだから無理もない。
スティール、確かに『死霊』は一定の条件が揃えば闇の印使い以外にも眼にすることができる。ただし、『邪霊』は条件が揃わずとも眼にすることができる」
「『邪霊』?」
「恨み、嫉妬、憎しみ、嘆きなど強い負の感情に捕らわれたまま亡くなった上、何らかの理由で力を持ってしまった霊だ。
ただし、そういったものは戦場で生まれることはない。不条理な死を押しつけられてしまった霊がなるものだからな。
戦場の死は誰もが少なからず覚悟を持っているものだから、巨大な負の感情に囚われることはない。仮にそうやって死しても他の多くの霊に導かれ、天へ還っていく」
「そうか……『邪霊』はどうやったら消せる?」
「応急処置としてはスティールのように魔除けのまじないを使うか、後は清き鈴を持ってたらいい。鈴の音が聞こえる範囲には近づけないはずだ」
「鈴って逆に呼ぶんじゃなかったっけ?ラジクが鈴で呼んでたような……」
「それは普通の霊の場合だろう。邪霊は憎しみに凝り固まっているから、輪廻の輪に戻りたいと思っているわけがない。清き鈴の音など鬱陶しいばかりだろう」
「う、そうなんだ。けど鈴なんて持ってないからどうしようもないなぁ…。他に対策はないの?」
「闇の印使いでも呼んでこい。後は風の上級印持ちに頼むか、だな」
「風?」
「属性が天だからな、風は。だから神官は風の印を持つんだ。魂を直接、天へ吹き飛ばし、強制的に浄化するというわけだ。まぁ普通の霊なら通常印でも可能だが、邪霊は抵抗力があるからそう簡単にはいかない。しかもあの数ではな……手練れの上級印持ちじゃないと無理だろう」

スティールは仲間を振り返った。
あいにくこの場に上級印持ちはスティールとラーディンだけだ。しかも両方共、風は持っていない。スティールの頭には風の上級印と言えば、すぐ思い浮かぶ相手がいるが、ここにはいない。

「う、今、フェルナンが恋しくなったよ」
「そうだな。ヤツなら問題なく浄化できただろう」
「ドゥルーガ、呼んできてくれない…かなあ?」
「却下だ。お前の側を離れる気はないぞ」

いつも通りの返答にスティールはがっくりと肩を落とした。

「結局どうにもできないってわけか」

ティアンが苦笑し、ネクリスとルーガが顔を見合わせた。この二人は風の印を持っている。ただし、上級ではないのだ。

「俺たちで何とか出来ないか?」

ネクリスの問いにドゥルーガは返答しなかった。小竜はスティール以外を無視する傾向がある。かろうじてスティールの家族と運命の相手は意識しているようだが、それでも完全ではない。一度そのことをスティールが指摘したが、小竜は『俺は武具だ』と答えた。意味はよく判らなかったがようするに彼等はそういうものなのだろう。

「ドゥルーガ。ネクリスとルーガが風の通常印を持っているんだけれど、無理かな?」

代わってスティールが問うとドゥルーガは無理だとあっさり答えた。

「強靱なトルネードでも使用できない限りは無理だろう。邪霊は20人以上いるんだぞ。抵抗する邪霊を強制的に天へ返すには、最低でも防御術を使った騎士を吹き飛ばすぐらいの威力がいるだろう。それが20人分だ」
「う、そうか……」

ネクリスとルーガは納得したらしく、顔を見合わせてため息を吐いた。
印の攻撃技と防御技は持ち主の力によって強さが変化する。印の強さが強ければ強いほど、威力も増すのだ。仮に邪霊が通常の印レベルの防御力を持っているのであれば、それ以上の印の強さがなければ邪霊を浄化できないということになる。
トルネードは風の上級印持ちの技だ。しかし巧みなコントロールが必要とされ、上級印持ちなら誰でも使えるというわけではない。そういう高レベルの技なのだ。

(ますますフェルナンが恋しくなるなあ…)

フェルナンは風の上級印の持ち主。しかも得意技がトルネードだ。彼はトルネードの形状さえも変化させて放つことができるという。

「ドゥルーガ、お前は何とかできない?」
「風のように良い相性もあれば、奴等と悪い相性もある。雷と奴等は相性が悪い」

あっさり告げるドゥルーガにスティールはがっくりと肩を落とした。
結局どうにもならないらしい。
仕方がないので、肉や魚を食べずに過ごすことにして、その日は各々、眠りについた。