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■暗月の招く影(4)


「ス、スティール、何処へ逃げるんだよ!?」

走りながら、ルーガに問われ、スティールは眉を寄せた。あてがあって逃げているわけではないのだ。

「広い場所があったら昨夜みたいに何とかできそうだけど…」
「広い場所!?山の中にそんなに都合のいい場所がごろごろしてるかよ!?」

もっともな指摘にスティールは確かにと思った。昨夜は幸運だったのだ。
そこへドゥルーガが空へ姿を消し、十数秒後に戻ってきた。

「山小屋があったぞ」
「ホント!?ドゥルーガ、案内して!」
「西南西だ」

道案内するようにドゥルーガが飛んでいく。その後をスティール達は必死に走っていった。
山道なので勾配がある。その上、整備されていない道なので走りづらい。
息を切らせつつ、背後を伺っていたラーディンが呟く。

「…追って…こないな…」
「もう、大丈夫なんじゃ、ねえか…?」

ルーガがやや走る速度を緩めつつ答える。

「そうかな?…スティール、どうする?」

ティアンが迷うように問い、スティールは眉を寄せた。

「俺はあまり大丈夫とは思わないな。追われている気がする。早めに山小屋に避難したいよ」
「追われてる?何故そう思う?」

冷静なヴェルザの問いにスティールは皆に合わせてややスピードを落として走りつつ答えた。

「俺の知る暗月の招音は、条件が一致するときに見られる、ということだけだったからさ。昨日がそうだったから、今日は当然出ないと思ってたよ。けど出たあげくに見ちゃったからね。おまけにドゥルーガが追ってこられるぞって言っただろ。ドゥルーガは嘘とか無駄なことって言わないヤツなんだ」

スティールの返答は皆の楽観ムードを打ち消す意見であった。
ルーガたちは顔を見合わせた。

「マジかよ…」
「じゃあ早めに山小屋に行くしかないな」
「追ってこられて捕まるのも気持ちが悪い。急ごう」

そのまま山中を走っていく。都合良く獣道や山道があるわけではないので、走りづらい勾配、それも低木や草の間をなるべく早足で駆け抜けていく。そして、いいかげん、走るのも億劫になったころ、朽ちかけたような山小屋が見つかった。

「うわ、使えるのかよ!?」
「さぁ。けど扉があるだけでもいいよ」

顔を引きつらせるルーガにスティールは冷静に答えた。田舎暮らしのスティールは汚い場所にも大して抵抗がない。さびて動きの悪い扉をこじ開け、蜘蛛の巣と埃にまみれた内部へ入っていく。内部は汚れてはいるが、使えないことはなさそうだった。狩人たちが時々使用している小屋なのだろう。緑豊かな山にはそういった小屋が点在していることが少なくない。

「…汚いな」
「そうだね、今日はここで寝るの?何だかかび臭いんだけど…」

王都士官学校は学費がかかる分、良家の出身者が多い。
入試の競争倍率も高いため、教育を受ける余裕のある家庭の子が多いのだ。
ルーガ、ティアン、ラーディンはしかめ面で周囲を見回している。
ヴェルザとネクリスは抵抗ないのか、こんなもんだろ、と答えている。
そこへ窓から外を見ていたドゥルーガが口を開いた。

「来るぞ、スティール」
「判った!」

スティールはすぐ暖炉に向かった。幸い、薪が置いてあった。スティールは印を使って火をつけると、火の付いた薪を一本手にとって、扉へ向かった。
閉じられた扉へ向かい、昨夜と同じように腕を動かす。

「人の子の彷徨いし魂よ、ここは死人の来たりし道にあらず。人の子の母より生まれし、血肉を持ちし者たる生きし人の道なり。そなたの手は肉を持たず、そなたの足は生の道を歩めず、ここへ届くことはなし。東の森を抜け、西の風を通り過ぎ、南の川を渡り、北の角を曲がりし先にありし、聖ガルヴァナの門を開き、還りたまえ」

小屋近くまで接近していた霊は、扉を開けることが出来なくなり、無念そうに動きを止めた。

「ほら、見ろ、スティール。さっきの首なしと男二人が加わっているぞ。男共は恐怖で魂が抜け落ちたんだろう」

窓から外を確認していた小竜が冷静に指摘する。
しかしそんなことを言われても何の救いにもならない。死者が増えたと判り、一層暗くなるだけだ。

「お、おい、本当にこれで扉は大丈夫なのか!?こじ開けてこられるとかいうことはねえんだろうな!?」

青ざめたルーガが焦った様子で問うてくる。不安で仕方がないのだろう。

「落ち着け、ルーガ。スティールにばかり頼るんじゃない。まぁ我々にこういった状況に対する知識がない以上、頼らざるを得ないんだが…」

ネクリスが宥めるようにルーガに言い、苦笑する。さすがに南方の士官学校でトップクラスの成績を維持していたというだけあり、冷静だ。

「元々、扉を悪しきものから守るためのまじないだからね。そういう意味では専門のまじないだよ。まぁまじないへの信憑性を言われると困るんだけれど、効いているから大丈夫じゃないかな」
「大丈夫じゃなかったらどうするんだよ!?」
「えーと……戦う?」
「どうやって!?」
「そこまで言われると困るんだけど…」
「いいかげんにしなよ、ルーガ。ネクリスもスティールにばかり頼るなと言っているだろう?僕もそう思う。不安なのは判るけどみっともないよ」

問い詰められて困り顔のスティールに、ティアンが割って入った。

「スティールがいなかったら最初の時点で捕らわれて、あの二人の傭兵みたいになっていてもおかしくなかったよ。縋ってばかりいないで感謝しなよ」

同級生の言葉にルーガも冷静になったらしい。申し訳なさそうな顔でスティールへ頭を下げた。

「ティアンの言うとおりだな。悪ぃ、スティール。ティアンもすまねえ。頭が冷えた」
「うん」
「いいよ。それよりも皆で対策を考えよう」