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■暗月の招く影(2)


影が見えなくなるまで見送った後、一行はスティールの指示で移動を開始した。

「小枝を見つけたら拾いながら歩いてね。後で集める手間が省けるから」

スティールの指示に全員が頷く。
奇妙なものを見てしまった緊張感はそのまま続いていた。
獣道を上っていくと小さな川があった。恐らく大きな川の源流の一つだろう。
すでにすっかり日は暮れていて、辺りは真っ暗だった。
その日はそこで野営することにした。

「身が汚れてしまったね」
「何だよ、それ!?身が汚れるって何だよ!?」

慌てるルーガにスティールは焚き火用の場所を川岸の石で組みながら答えた。

「いや、清めればいいから慌てることはないよ。幸い川もあったからね。今夜は炎を絶やさないようにしたら大丈夫だと思うし、夜さえ乗り越えれば朝日で自然と身は清められるんだ」
「アレは何だ?」

ウェルザの問いにスティールは焚き火用の小枝を組みつつ答えた。

「俺も見るのは初めてだけれど、死霊だと思う。普通は一部の人にしか見えないけれど、今日のように複数の条件が重なれば見ることができるらしいんだ」
「複数の条件って?」
「ええとね、殺されたりしてそのままにされた人たちがたくさんいること。死の自覚があるけれど、何らかの事情でこの世に捕らわれてしまっていること。暦が暗月の招音の日であること。新月の夜であること、だったと思う。あと方角が西北西だったかなぁ」
「わけわかんねーよ。それよりどうすりゃいいんだよ!?」

ルーガが叫ぶ。
そのとき、スティールの右の小手が動いた。紫竜ドゥルーガが小手から小竜状態になり、肩の上に止まる。

「スティール。来るぞ」
「え?…あ!ラーディン、魚か何か殺した!?」
「え?ああ、見えたから捕ろうかと。まずかったのか?」
「すぐに魚を水に戻して、血は綺麗に流して!死は死を招くんだ!」
「ゲッ、マジ!?判った!」

スティールの指示にラーディンが慌てて動く。
ドゥルーガは森の方角を見つめている。

「スティール、急げ。火だ」
「うん!!みんな、俺の後ろに!ラーディン、早く!」

手を洗ったラーディンが戻ってくるのと同時にスティールは炎を放った。
スティールが放った炎は数メートル先に飛び、炎の壁のように左右へ大きく燃え広がった。
深い森の中から川の方へ出てこようとしていた死霊の行列は炎に遮られて立ち止まる。
燃えさかる炎の向こう側から無念そうに見つめてくる死霊の姿は、引きずり込まれそうな暗さを漂わせている。

「川に入っちゃ駄目だよ。あくまでも陸で。そして話しかけられても何も答えちゃ駄目だ。完全無視!」
「わ、わかった…」

ぎくしゃくとルーガが頷く。

「スティール、俺たちに出来ることはないか?」

ネクリスの問いにスティールは焚き火を作るように告げた。

「彼等は火を恐れる。焚き火とそして松明を作って手にしておいて」
「判った」
「ラーディン、壁を作れるかな?時間稼ぎを手伝って」
「判った!」

ラーディンとスティールが土の守りと炎の壁で時間を稼いでいる間に、同じ班のメンバーは焚き火と松明を作り上げた。

「よし。ラーディン、土の守りを維持してて」
「判った」

スティールはティアンから松明を受け取った。そして空中に炎の軌跡を描くように松明を動かしていく。

「人の子の彷徨いし魂よ、ここは死人の来たりし道にあらず。人の子の母より生まれし、血肉を持ちし者たる生きし人の道なり。そなたの手は肉を持たず、そなたの足は生の道を歩めず、ここへ届くことはなし。東の森を抜け、西の風を通り過ぎ、南の川を渡り、北の角を曲がりし先にありし、聖ガルヴァナの門を開き、還りたまえ」

スティールの言葉は不思議な松明の動きと共に届いたのか、死霊はゆっくりと消えていった。

「ふむ、いなくなったな」

ドゥルーガの言葉にスティールはホッとして松明を手にした腕を降ろした。
ラーディンはまだ落ち着かないのか、守りは解かなかった。

「スティール、今のは?」
「魔除けの言葉だよ。本当は新月の夜に扉へ向かって、ランプやろうそくで使うものなんだけれどね。通じて良かったよ」
「へえ…お前いろいろ知っているんだな」

ネクリスが感心したように言う。

「たまたまだよ」
「そんなことないと思うぞ。机上の知識ではなく、こういう非常事態に役立つ知識というのは貴重で大切だ。見直したぞ」

ネクリスの意見に無口なウェルザも同意するように頷く。
褒められ慣れていないスティールはぎくしゃくと頷いた。

「あ、ありがとう」
「へへ、かっこいいぜ、スティール」

皆に認められたスティールを見て、ラーディンまで上機嫌だ。
そこへルーガがスティールの腕を引っ張った。

「おい、スティール。川はまだ入っちゃいけねえのか?水を汲みたいんだけどよ」
「うーん、今夜は我慢した方がいいと思う。夜明けまで待とう。川は『棲む』っていうから」
「そ、そうかよ。それじゃよくわからねえけど、そうする」

さすがにまたさっきのような目には遭いたくないのだろう。ルーガは素直に頷いた。

「それじゃ早めに休もうか。ドゥルーガ、悪いけど見張りを頼んでいいかなあ?」
「仕方がないな」

どんな場所であろうと身を休めるように訓練するのは騎士の基本である。
頼りになる小竜に見張りを頼み、スティール達は焚き火を取り囲むように眠りについた。